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酔っぱらいの芸術家たち

  ミチキのシンカリョーフとフロレンスキイ
                                 鈴木正美


 ある朝ひどい二日酔いのマクシムは、両手で頭をかかえ、ふらふら
ゆれながら座っていた。そこへフョードルがやってきて問いかけた。

「仏道の意いずこにありや?」
「おのれの仏道とともにケツの穴に行ってしまえ」と
弱々しくマクシムは叫んだ。
フョードルは頓首して引き下がった。

 これはウラジーミル・シンカリョーフ(一九五四ー)の「マクシムとフョー
ドロフ」という短編の「あちらへ、逆へ(禅仏教の寓話と公案)」という一
節である。この節にはロシア風の公案が一三もあって、なかなか笑わ
せてくれるのだが、その底には作者の哲学がしっかりと潜んでいる。
つまり酔っぱらい擁護の哲学だ。「マクシムとフョードロフ」はこの他にも
アフォリズム、短歌、俳句、悲劇、叙事詩、映画の脚本、自伝のための
資料、落語の「親子酒」や「禁酒番屋」を思いださせる会話など、さまざ
まなスタイルで書かれた寓話で構成されている。しかも一八ページに
わたる注までついていて、公案や短歌の説明もしてある。一九八〇年
に書かれたこの物語は全編ほとんど酔っぱらいのマクシムとフョードロ
フのふざけたばか話ばかりで、この世界にはまってしまうと抜け出せな
くなる読者が多いらしい。ロック・グループ「アクアリウム(水族館)」のリ
ーダーだったボリス・グレベンシチコフも、トールキンと並んで好きな作
家と評したほど、アンダーグラウンドで広く読まれていた。この「マクシ
ムとフョードロフ」の他に「ゴンドゥラスのパプアス」「家ハリネズミ」「ミチ
キ」の三編を収めたシンカリョーフの初めての作品集が最近出版された。

 シンカリョーフの本業は画家で、前号の本欄でも紹介したノンコンフォ
ルミストの画家の一人であった。しっとりとしたトーンで表現主義風の室
外・室内風景を描く彼の作品が公の展覧会に展示されたのは一九七
八年のことだが、その後もやはり公の展示はあまりできず、アパートの
一室で非公式の展覧会をしていたらしい。一九八四年、レニングラード
(現ペテルブルグ)に住む同じような境遇の画家たちが自然に集まって
できたグループが「ミチキ」である。シンカリョーフはこのグループのリー
ダー格の一人となった。グループ「ミチキ」は翌年一二月はやくもキーロ
フ文化会館で公式の展覧会を開くことに成功した。ペレストロイカの波
に乗って「ミチキ」は次々に展覧会を開催し、八八年にはパリ「ロシア・
ロック・ポスター展」、九〇年にはビエンナーレに出展するまでになっ
た。

 「ミチキ」の作品の特徴は油彩よりも、モノクロの素朴な画風に特徴
がある。ヘタウマという言い方もできるのだが、子供の描いた漫画のよ
うな絵はユーモラスで親しみやすい。こうした作品は本の挿し絵として
人気を集め、またアニメにもなっている。一九九二年からA四版一二ペ
ージの「ミチキ新聞」(九三年の第一〇号の発行部数は千部)も発行。
お揃いの横縞のシャツを着て、展覧会場で痛飲しては大騒ぎのパフォ
ーマンスを繰り広げる「ミチキ」は現在ペテルブルグでもっとも有名な芸
術グループのひとつとなっている。イコンや民衆版画のルボーク、ゴン
チャローワやラリオーノフのプリミティヴィズムの伝統に連なる彼らの作
品のテーマに共通しているのは、まさにこの酔っぱらい、大酒飲みたち
の物語である。かつて文学者のリディア・ギンズブルグが指摘したよう
に、「行動する芸術家たち『ミチキ』は、貧しい現実をベールで覆い隠
し、暴飲と悪口雑言、ばかげた遊び、牛の鳴き声のようなふざけた言
葉で表現をする」。ペテルブルグの日常生活は酒の酔いとともに乱痴
気騒ぎ、カーニヴァルと化していく。

 現代版のルボークを描くドミトリイ・シャーギン(一九五七ー)、絵本の
ような単純な色彩でポップなイメージを表現するオリガ・フロレンスカヤ
(一九六〇ー)、パリ在住でスキャンダラスな文集『ムレタ』を編集して
おり、パリから「ミチキ」たちにメール・アートを送り続けるトルストイ(一
九三七ー。文豪トルストイとは関係ない。本名ウラジーミル・コトリャロー
フ)など「ミチキ」の画家たちの作品はどれも面白い。シンカリョーフと並
んで「ミチキ」グループの中でもっとも有名なのがアレクサンドル・フロレ
ンスキイ(一九六〇ー)だろう。セルゲイ・ドヴラートフの三巻作品集(一
九九三)や『あまり知られていないドヴラートフ』(一九九六)の表紙、挿
し絵は特に評判になったし、最近も『現代のバラードと残酷なロマンス』
の装幀を手がけている。僕がとりわけ気に入っているのは、昨年出版
されたチムール・キビーロフの詩集『レーニンが少年だった頃』だ。レー
ニンの少年時代の新聞、雑誌、広告、百科事典などから切り抜かれた
さまざまな写真、図版からフロレンスキイが再構成したこの詩集は、キ
ビーロフの諧謔的なテクストと相まって、明るいレーニン像が皮肉に表
現されている。この詩集は「ミトゥキリブリス」社からでているのだが、こ
の出版社は「ミチキ」たちの経営らしく、彼らの物語、装幀の本を作品と
して多く出版している。粗雑な本ばかり出版されているロシアにあっ
て、今後この出版社からどんな本が出るかとても楽しみだ。

 「ミチキ」は今年六月にもモスクワのクズネツキー・モストにあるモスク
ワ・ギャラリーで「ミチキ・ポラロイド──ブロウ・アップ展」を開催した。こ
の展覧会カタログは新書サイズでとても可愛らいしもの。ソ連時代には
誰でも見た映画『チャパーエフ』やジャン・コクトーの『美女と野獣』、「ミ
チキ」の自主製作映画『ヨーロッパのミチキ』などを素材にし、画面に画
家たちの顔写真だけを貼りつけたものをポラロイドで撮影したという趣
向である。この作品展は、陽気な酔っぱらいたちの物語を映画として神
話化してしまおうとしているらしい。彼らは今どんな酒を飲んでいるのだ
ろうか?。



発表・掲載誌: 「ユリイカ」1996年12月号 344-345頁


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