おおぞら写真館 A館

 '97年夏に訪問したベトナムの様子を写真と文で紹介したいと思います。なお、4/4追記しました。

 今年の7月、友人を頼りにベトナムへと渡った。もっとも、かねてから行ってみたい国だったのだが、たまたま友人が『子どもの家』の秘書として行くことになり、お願いして施設見学を日程にいれ、12日間の旅行とした。なお、フエには約1週間滞在し、宿泊したホテルのまわりに住んでいる子どもたちとほとんど遊びほうけていた。ホーチミンではやや緊張した生活を送っていたが、フエに来ると、一気に田舎のため人々ものんびりとして優しかった。特に、シクロのおっちゃんたちはとても気さくで、昼から一緒に飲んだりした。人間的な営みがはっきりと見えたベトナムから日本を見ると、どうしても合理化・清潔・スピーディーなどという感覚をよしとしているようで、人間社会がなくなってしまうのではないかという危機感すらもった。

 さて、今回ベトナムへ行くにあたっては、気になることがあった。私は、昔から、飛行機がどうしてもだめで、自分としてもこれは克服しないといけないなあと思っていた。そこで、北海道へ行く際に飛行機を利用したりして機上人の生活へ体・感覚を慣らしてきた。今回約6時間のフライトだったが、その成果が出たのか結構リラックスして過ごすことが出来た。ただ、機内で昼食が出るとは思わず、関西空港でしっかりと離陸2時間前に食べてしまったことが唯一の失敗だった。しかし、ビール2本は飲み、機内食はほぼ食べた。スチュワーデスの方々は誰も皆いわゆる美人系で、応対も見事だったが、主任なのか、年配?の方は、どうも昔の日本航空を思わせる機械的・無機質的な対応だった。

 それにしても、ベトナムは美しい。緑の大陸がずっと続く。窓から食い入るように景色を眺め続けた。そして、徐々に高度が下がり、タンソンニャット国際空港に到着した。街はすっかり夕方の情景になっていた。あわただしく家路を急ぐ人、夕食の材料だろうか、店で何やら買い物をしている人、などなど。


 ホーチミンでは、やや高かったが、2日間シクロを借り切り市内観光をした。1時間3us$は現地では高い。しかし、安全と日本語のガイド付きならまあいいのではないだろうか。とにかくホーチミンの名所は大体まわり、フエへと向かうのだが、ここで言いたいのは、シクロのおっちゃんたちの日本語についてである。私の乗った「コイ」さんは私と同じ年なのだが、結構日本語ができる。もっとも、重要会話は英語になるのだが、その日本語はどうも観光客から教わったらしく、まあ、卑わいな単語を随所にちりばめた日本語であった。そして、マージンをもらうのであろうか、売春を斡旋する。断ると、「you okama!」と言ってくる。そこまで教えなくたっていいっつーの。カラオケも用心である。売春と密接に関わってくる危険性がある。特に一人でいると、必ず斡旋のおやじが話しかけてくる。「1時間1us$(11,600ドン、当時)」が、相場らしいが、しつこさには閉口する。

 夜は、デインジャラスストリートナンバー1とも言われる「ドンコイ通り」を歩き、「ドラえもん・カカ」(日本名:ドラえもん食堂)へいった。ここのご主人の細井さんはとても気さくな人で、帰りも深夜の飛行機で大分待ち合わせがあったのだが、6時間も店でのんびりさせてくれた。夕方6時頃空港へ行こうとお勘定を頼むと、「飛行機はまだだろ、お茶でも飲んでゆっくりしてなよ」と言って、私もそのお言葉に甘え、トンネルズやエイリアンのビデオなどを鑑賞した。やはり、どこでもそうだが、なじみの店を持つといい。その土地のこころの居場所があると、疲れもとれ、リフレッシュしてまた旅が続けられる。

 フエへは寝台列車で向かうことにした。国内飛行機も大丈夫だと言われていたが、どうしてもいやだったので、21時間かけて行くことにした。すると、何とベトナム航空のカンボジア便が落ちたではないか。これからもきっと鉄道を利用するだろう。てつどうは、じっくりと景色を眺めて旅が出来る。しかし、ことばの問題は思ったよりもつらい。丸一日、ベトナム語でやりとりするのは最後には疲れる。フエまでは、親切な家族と同室だったため、いろいろなものをいただいたりして楽しかったのだが、それでもことばの問題は何とかクリアーした方がいい。ベトナム語を学んでいくのがやはりベターだ。よく、英語を率先して使おうとする人たちを目にするが、やはり、英語を使う前にまず現地語で接するのがマナーではないかと思ったりする。


 フエに着くと、友人とその連れ合いが迎えてくれた。ホーチミンに比べ、ほっとする。やはり田舎だからであろう。シクロに乗り、まずはホテルに向かう。一泊25ドルのホテル(いわゆるミニホテル)はきれいでとても快適である。日本ならば、ゆうに6,000円は下らない設備である。7日間の滞在にはとてもたすかったが、ちょっと贅沢なのかも知れない。

 早速夕食になった。夕食は友人たちが長期宿泊しているゲストハウス(一泊7ドル)で頂くことになった。一食1ドルであるから、安い。もっとも、現地では贅沢な部類に入ってしまうのであろうが。

 ここのおばさんは、大学でフランス語を教えていたそうだが、日本語しか出来ない私とは言葉が通じなかった。しかし、身振り手振りでも何とかなった。コミュニケーション論をここで言うつもりはないが、語学力よりももっと大切なことを日本の外国語教育は生徒に提示していないのではないだろうか。

 夕食後、近所に住む子どもたちと遊ぶことになった。何か、とても懐かしい情景である。すぐ、自分の子どもの頃の風景なのだ、と気づいた。それにしても、このような、夕方子どもたちが道路で思いっきり遊んでいる風景など、近頃静岡では見たことがない。一体子どもたちは何をして暮らしているのだろう?

 子どもたちと遊んでいると、赤道付近特有のスコールに見舞われた。それでも、子どもたちは遊び続ける。このパワフルさが子どもたちなんだと、つくづく感じた。 

フエの名所とも言えるトーチカの丘から

子どもの家にて

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