EMBRYOー胎児ー
暗い景色である。川面から上がる湯気・・・ゆらゆらと私を囲む。何もない空間だ。
それでも私は川の、舟の上に居ると分かる。小舟の上で流れに揺られていく。
流れ着く先も、私の今置かれている状況も知っている。
ただ一人だけ一緒に居るのはこの小舟の漕ぎ手。男の人は何も喋らず、こちらも見ず、
何も見えないはずの前方を目を凝らし見つめたまま、無心とも思える手つきで舟を漕いでゆく。
小舟はゆらりゆらりと小さく揺れ続けていた。霧を裂いて少しづつ進む。
ギシギシと微かな音を立てて。
私はこの何も無い景色が何故か大好きだった。いや、ここではその訳は知っているのだけど。
そしてこの景色は懐かしくて暖かくて、居るだけで泣いてしまうのだった。
霧は白ではなく、少し桃色掛かって・・・もしかすると紫とも言える色。
景色自体もその色に染まり、何処までが境目なのかも分からないほど同じ色が続いている。
見えているのはその色と、そして舟の作る水の波紋。
それは舟の後ろをチロチロと尾を引いて次々と儚く消えて行くけれど、
私を運ぶことに喜んでいる様だった。
漕ぎ手の持つ長い棒が水に入れられる度「チャプン」という小さな音が聞こえた。
私は目的地に着いた時、きっとこの景色を忘れてしまうだろう。
今では総て知っている答えも、私の記憶から消えて行くのだ。
舟を漕ぐのは私が産まれる事を待ちわびているであろう父の顔だという事も。
漕ぎ棒の立てる水音が私の鼓動の音だという事も。
そしてこの景色が母の体内である事も・・・。
産まれる前は総てを知っているのに、この記憶は一体何処へ行ってしまうのだろう。
舟から降りる瞬間私は思った。無心に舟を漕いでくれる父。懐かしい景色の母。
きっとそれは、総ての親の象徴なのかも知れないと・・・。
1998,4月