チーム紹介
REBELDES(ヘベウデス)=ポルトガル語で反逆者達
「自由にやる気まんまんな」の意味です。


活動場所:沼津市千本浜公園

 
REBELDESは、非常に国際色豊かなチームです。最も多いのは日系ブラジル人で、カナダ人、イラン人、アメリカ人,フィンランド人 。もちろん日本人もいます。お互い言葉がままならないので、コミュニケーションをとるのは難しいときもありますが、それでもリンクの中でのチームワークは最高!

  全ての始まりは95年の春。当時、インライン・スケートが日本を一世風靡しました。その頃、私達(メンバーの内数名)は、約80名のブラジル人が働く某工場(静岡県三島市)に勤務していました。ブームの波は御多分に洩れることなく私達のところにも到来し、インライン・スケートはたちまち私達の間でも大流行したのです。しかしその時はただ滑る事だけを楽しんでいました。

  私達にホッケーを教えたのはJulio(ジュリオ)でした。当時彼は、神奈川県にある日本人のチーム『YOMI』でインライン・ホッケーをやっていました。ある日、彼は三島の工場で働く兄弟のところに遊びにやってきて、私達にインライン・ホッケーを紹介したのです。もちろん、すぐに夢中になりました。はじめの頃は、深夜に百貨店の駐車場で練習していたのですが、おまわりさんが来て「うるさい」と注意されてしまったので、やむなく場所を移すことになりました。それからもあちらこちらに場所を変えなければなりませんでした。また、練習場所だけでなく、練習日もなかなか安定しませんでした。一応練習日は週1〜2回ということになっていましたが、メンバーの都合が合わなくて全く練習できない週がずっとつづくこともありました。工場の勤務は三交替制で、メンバー全員が集まるのはとても難しい状況だったのです。

  そこで、キャプテンのWladimir(ウラジミル)は仕事を変え、土日曜日に休む事が出来ました。部屋も沼津に移しました。つづいて残りのメンバーも次々と仕事を変え、ようやく練習日が安定したのです。はじめはブラジル人だけのチームでしたが、そのころから日本人や他の国の人も遊びに来るようになり、今のチームができあがりました。そして、Wladimirは、チームの移動手段として車を購入。遠征にいくときや、みんなで遊びにでかけるときなどに、大いに役立っています。

  REBELDESのブラジル人たちが活動を始めたのは95年。とは言っても、チームとして本気で活動をするようになったのは去年(98年)からで、それまではただの遊びとしてホッケーを楽しんでいました。

  チームとして、98年4月12日、初めて出場した大会“CSC SPRING CUP in 伊豆修善寺(静岡)”で、なんと!いきなり優勝(『REBELDES 2』)と準優勝 (『REBELDES』)を獲得!軽い気持ちで参加した大会だったのでみんな驚いてしまいましたが、何はともあれ、それが刺激となって、以来真剣にホッケーに取り組んでいます。それ以後も東京や神奈川の数々の大会に出場し、よい成績をおさめています。


by: #96 Wladimir Segura.
担当:#22 芹澤由里