「10年間」 第4週金曜日。実習最後の日に彼、(たくや)は死んだ。 自分の受け持った患者、しかも、僕と同じ年・・・。 もし僕が看護士になったなら、こんな夜を迎えることが何度もあるのだろうか。 重い。・・・重すぎるよ。 涙があふれて、止まらなかった。 部屋中に拡げられた、看護過程のプリントとテキスト。 文字も滲んで見えない。 こんな事、何の意味があるのか。 僕が(たくや)にしてやったことは何だったのか。 それから2日間。僕の心の中から(たくや)が消えることはなかった。 提出物は何ひとつ進まないまま、評価の朝を迎えた。 クラスの女の子たちが、あれやこれや楽しそうに話している。 いつもと同じようにまた、退屈な日々が続く。 ありふれた毎日が。 ただチャイムが鳴るのをひたすら耐える時間。 先生の話をぼんやりと聞きながら。 僕はふと、(たくや)の最後の言葉を思い出した。 「3月13日。この本を持って、桂ヶ丘に行って」 ・・・3月13日。今日だ。 何のことだろう。 僕は無性に気になった。 「たくや」 ・・・。 「3月13日」 ・・・。 僕はチャイムが鳴るのを待たず、教室を抜け出した。 こんなことは初めてだ。 授業をサボれば、補修レポートが待っている。 理由もイヤになるほど追究されるだろう。 でも、僕は(たくや)の方が大事な気がした。 ・・・。ただ、なんとなく。 約束を果たさなくちゃ。 職員室の前を通るのを避け、裏門を飛び出した。 とにかくすごいスリルだった。 僕はまず、真っ先に本屋に向かった。 (たくや)の持っていた本を探さなきゃ。 キリンの絵の書いた、絵本。 タイトルは・・・、何だったか? とにかく黄色っぽくて、小さい・・・。 突き刺さる視線を向けるおばちゃんにもめげず、 あやしげな歌を唄う子供と一緒に、 僕は絵本を探し続けた。 ・・・こっ、これかな? そうだ、確かこんな感じだった。 「クレヨンのなる木」 やっと探し当てた。 よし! 小さなガッツポーズをしていると、 子供が、僕のズボンをつかんでいることに気が付いた。 そんなに物欲しそうにみつめたってだめだ。 これは僕の本だ。 すぐさま金を払い、今度は桂ヶ丘に向かった。 10時30分。桂ヶ丘の公園に到着した。 そこは、子連れのママと、じいさんばあさんの天国だった。 まあ、こんな時間だ。それも仕方ないだろう。 とりあえず僕は、池の周りを一周した。 絵本をもった、いい年の青年がひとり。 こんな真っ昼間に公園をぶらぶら。 周りの視線は厳しいものがあった。 今頃学校では、どうなっているだろう。 家に電話がかかってきてたりして・・・。 でも、学校をサボるのもいいもんだと思った。 ここに来たことは、結局、何の意味もなかったようだけど。 キラキラひかる池を眺めながら、 ぼんやりと今までのことを考えてみたりした。 「こんにちは、いいお天気だねえ」 突然、どこかのばあさんが、声をかけてきた。 「こ、こんにちわ」 ぺこっと、頭を下げると、 ばあさんは、にっこりと笑い。去っていった。 なんか。なんか、いいなぁ。 こんなあいさつは、久しぶりだ。 ウーロン茶の缶を片手に、ベンチに座った。 絵本をひろげてみる。 それは、 こんな話だった。
あるところにひとりぼっちの女の子がいた。 女の子はある日、クレヨンのなる木を見つけた。 その木になるクレヨンは、何でも願いが叶う魔法のクレヨンだった。 女の子は、そのクレヨンで、お友達になってくれるキリンを描いた。 すると、キリンが現れ、一緒に遊んでくれた。 キリンは、たくさんのお友達を連れてきてくれた。 女の子、キリン、お友達、 毎日、みんなで楽しく遊んだ。 しだいに女の子は、キリンを独り占めしたくなった。 お友達と遊ぶキリンが、イヤになった。 そして女の子は、 キリンを描いてある絵を破ってしまった。 キリンは、 いなくなった。 お友達はとても悲しんだ。 女の子も悲しかった。 女の子はとても後悔をした。 お友達と女の子は、 もう一度、絵を描くことにした。 しかし、クレヨンの木に行ってみると、 木は枯れてしまっていた。 お友達と女の子は、木に水をやった。 一生懸命、一生懸命、水を注いだ。 でも、 クレヨンがなることは二度となかった。 女の子は泣いた。 お友達も泣いた。 けど、 だけど、 クレヨンの木には、花が咲いた。 小さなひとつの花が。 女の子は喜んだ。 お友達も喜んだ。 キリンが来ることはもうなかったが、 女の子は、本当の友達を見つけた。 女の子がひとりぼっちになることはもうなかった。
「たくや」 (たくや)の笑顔がはっきりと浮かんだ。 きみは、ずっと、 ひとりぼっちだったのかい? 寂しかったのかい? 君は、いったい、どんな気持ちで死んでいったんだ。 痛みをこらえて、 最後まで、笑顔で、 そんなのつらすぎるよ。 20年間。 病院から出ることもなく。 ひたすらその時が来るのを待って。 ただ、・・・ただ、 その時を待って。 ・・・。 ・・・。 ・・・。 人は何のために生きるのだろう。 僕は何のためにいるのだろう。 (たくや)は何のために・・・。 学校も、 生きることも、 すべてが無意味に思えた。 もう、 やめようかな。 なんか。なんか、疲れるよ。 でも、 それでも、(たくや)は精一杯生きた。 (たくや)はわらってた。 たったひとりで。 僕にもあんな笑顔出来るだろうか。 ・・・。 もう、帰らなきゃ。 それとも、 ため息をひとつ。 最後に振り返り、ひとつのことに気が付いた。 まだこの桂ヶ丘で、行ってない場所がある。 あの丘の上。 頂上にある、ひとつのベンチ。 きっと、そこに、 僕は一生懸命走った。 そして、 たどり着いたそこには、ひとりの少女がいた。 制服を着た、中学生くらいの女の子。 「たっ、たく・・・」 女の子が僕に気が付いた。 「たくにい?・・・たくにいでしょ」 女の子が言う。 「え?」 「たくにい」 女の子はじっと僕の顔をのぞき込む。 「きみは?」 「まみだよ。久しぶり」 その(まみ)という女の子は、僕のことを(たくや)と勘違いしているようだ。 「いや、ぼくは・・・」 「たくにいだよね。覚えててくれたんだ。うれしい!」 「え、あの・・」 「だって、その絵本」 さっと、僕の手から絵本をとった。 「これは・・・」 「まみね、ほんとはすごく不安だったんだ。もう来ないかと思った。だって、あんな昔の約束」 約束・・・ていったい。 絵本をもって、ひとりで(まみ)は歩き出す。 なにやら、次から次へと話まくり、 (まみ)は急に立ち止まり、ぼくに小瓶を差し出した。 約束とはこういう事だった。 10年前。(たくや)と(まみ)はあの病院に入院していた。 そのとき(たくや)は10歳。(まみ)は5歳。 二人はとても仲良しだった。 そして、10年前の今日。3月13日。 (まみ)が別の病院に転院することになった。 しばらくの間会えないことを(たくや)は知っていた。 そしてこう約束した。 10年後。 10年後の今日。 桂ヶ丘のこの場所で会おうと。 二人のめじるしは、 (まみ)の大好きだった絵本。 (たくや)の宝物の小瓶。 そして、(まみ)はここに来た。 (たくや)も約束を覚えていた。 10年前の二人の約束を。 (たくや)は、自分の死を知っていた。 約束を、 僕にたくした。 「たくや」 「まみ」 僕は、本当のことが言えなくなった。 今日。今日1日だけ、ぼくは(たくや)になろう。 僕たちは、街へ飛び出した。 月曜の自由な街へ、 「まみね、本当はまだ治ってないの。病院。抜け出して来ちゃった」 「はは、ぼくもだ。学校抜け出してきた」 「ほんと?」 「こうやって、街を歩くの始めて!」 「あっちへ行こう」 「まって、たくにい」 「おいしいね、このアイスクリーム」 「だね」 「あはは。たくにい、もっときれいに食べなさい」 「みてみて、キリンのぬいぐるみ」 「本当だ。かわいいね」 「まみ、キリンが一番好き」 「たくにい、今何してるの?」 「ん?・・・。看護学校行ってる」 「え?たくにい、看護婦さんになるの?」 「違うよ。看護士って言って、男の人がなる仕事があるの」 「ふーん。たくにいなら、きっといい看護士さんになれるよ」 「そうかな」 「うん。絶対!まみがほしょうする」 「まみはねぇ。今度、卒業するんだぞ」 「そうか。おめでとう」 「・・・。学校には、まだいけないんだけど。病院で卒業式してくれるんだ」 「・・・。そっか。」 「もう、歩けないよ」 「まみ、はやく来いよ」 「もう、待ってよ。たくにい」 「あっ。この看板覚えてる」 「ボウリング場?」 「そう。いっつも病室の窓から見えてた」 「あぁ。あの頃から変わってないから」 「いっつもね。あそこは何のお店だろうって、不思議に思ってた」 「ねぇ」 「ん?」 「どうしたの?たくにい。じーっと、人の顔見て」 「ううん。なんでもない」 「・・・。へんなたくにい」 「さっ。今度は、どこ行こうか」 「ううん、もう十分。ここでいい」 「まみ。うれしい」 「なにが?」 「たくにいが生きててくれたこと」 「・・・。」 「あと何年で、たくにいに会える。それだけを、生きる励みにしてきたの」 「・・・。」 「あの頃は、10年て時の長さがわからなかったのね」 「うん」 「ただ、いつかは会える。ずっとそう思ってた」 「・・・。」 「だから」 「まみ。うれしい。たくにいに会えて」 「よかった。・・・たくにい」 「たくにい」 ・・・。 「じつはね、まみ」 僕は悩んだ。真実を語るべきか。 「もう、帰らなきゃね。婦長さんたち怒ってるよ」 「あの、・・・。あのね」 「きょうはありがとね、たくにい」 「・・・。」 「じゃぁ」 「実は、たくやは・・・」 「うれしかったよ。だって。たくにい。まみとおんなじ病気だったから」 ・・・。 ・・・。 ・・・。ぼくはそのことを聞いてしまって、ほんとの事が言えなくなった。 (まみ) (たくや) ・・・。 「ねぇ、たくにい。また、会えるかな」 「そうだな。また・・・、10年後に」 「えー。また、10年も待つの?もう、だまされないぞ」 「10年後」 「ほんとに?・・・。それまで、会えないかな」 ・・・。 「わかった。10年後、絶対だぞ」 「僕が約束破ったことないだろ」 「うん」 「じゃぁ。10年後はこれがめじるし」 「えー。せっかく買ってくれた、キリンのぬいぐるみ?」 「宝物だろ」 「じゃぁ。まみは、・・・この時計」 「うん。絶対返しに来るんだぞ」 「たくにいも絶対だぞ。きりん」 「おう!」 「・・・・。死んじゃ。死んじゃだめだぞ」 「・・・。」 「やだからね。10年後来てくれないと」 「わかったよ」 「ばいばい。たくにい」 「ばいばい。まみ」 3日。あと3日だけ。 (たくや)どうして、待てなかったんだ。 9年間待ったんじゃないか。 あと3日だけ・・・。 悲しいよ。悲しすぎるよ、こんなの。 これでよかったのか? なぁ、(たくや)。 彼女をだました。 ・・・。嘘をついた。 本当のことを言わない優しさもあるのか? (たくや)。教えてくれよ(たくや)。 いや、もう彼女は気付いていたのかもしれない。 いや、それとも、 ・・・。 そして、(まみ)は帰っていった。 (まみ)ははじめて、1日をふつうに過ごした。 ふつうに歩いて、 ふつうに話して、 ふつうに買い物して、 ふつうに食べて、 ふつうにはしゃいで、 ふつうに怒って、 ふつうに笑って、 ふつうに泣いて、 ふつうに恋して、 ふつうに、 ふつうに、 ふつうに、 ・・・。 ふつうの日 (まみ)にとって、今日は特別な日だった。 「クレヨンのなる木」 あの本を愛した少女(まみ) 彼女もまた、孤独だったのかもしれない。 だけど、 彼女もまた、精一杯生きていた。 ぼくなんか、ずっとかなわないくらいに。 彼女は、あと1週間もたたないうちに、(たくや)のところに行ってしまうのかもしれない。 でも、僕は信じたい。 10年後。 彼女がまたここで、 あの笑顔で、待っていてくれることを・・・。