この前、私の親父が死んだ。

親父は、大工職人で、すごく無口。
人付き合いが苦手で、頑固で、めちゃめちゃヘビィースモーカー。
恐いってのとはちょっと違うけど、存在感のある人だった。
極度の病院嫌いで。。。

仕事を引退してからは、大好きなパチンコの回数も減り、
家でビデオを見たりして過ごしていた。

長い間積み重ねてきた喫煙生活も手伝って、仕事をやめてからの父の体は、見る見るうちに弱っていった。
まぁ、世間一般で言うところの、立派な老年期であったが、
父はほんの数ヶ月・数年間の内に、何倍速かで年をとっていった。

父にとっては、それだけ「仕事」と言うものが、活きることの大部分を占めていたのかもしれない。

髪は白くなり、腕は細くなり、頬は痩け、年中咳をするようになった。
それなりに医療に関しての知識がある私からみても、
父は、病院に行けば数ヶ月入院することが出来る状態であった。
しかし、病院に行かせようとはしなかった。
母は、何度か病院に行くよう勧めたようであるが、父は頑として行かなかった。
自分の状態は、おそらく父が一番知っていただろう。
そんな苦しい状態にあっても、父は決して病院に行こうとはしなかった。

そして、日々は過ぎ
父はいよいよもって、普通の日常生活を送るのに無理が生じるようになってきた。
何度か、家族で父の話が出たが、父がどんな人であるか、家族全員が知っていた。
そして、父の考えを尊重していたのである。

端から見れば、無理矢理にでも病院に連れていけばいいのにって思うかもしれない。
実際、母は、何度もそうしようと思ったことがあったという。
父と一番長く一緒にいて、一番理解し、愛していたのは、母だったのだから。。。
でも、それが父のためにはならないことを知っていた。
父にとっては、病院に行くこと事態が苦痛なのである。
それならば、家にいて好きなことをして、たとえ苦しくても、そうして死んでゆく。。。
そうする人なのである。

ある日、母は、ついに決意した。
私が休みの日、父に内緒で、知り合いの近医に連絡し、往診を依頼した。
その日、突然母に言われ、
ここ数日、入浴も出来ない父を私は清拭(体を拭くこと)した。
石鹸を使い、説明しながら、丁寧に体を拭いた。
普段、病院では何気なく行っていることだが。。。
それは、初めての経験だった。

それから。。。
父を畳の客間に移すことになった。
医者に診てもらうためである。
母がきれいな布団を敷き、
私が抱き上げて移した。

子供の頃から見上げていた、あんなに大きかった父は。。。
とっても軽かった。

自力で立ち上がることも難しくなっていた父は、
不審に思いながらも、私たちの指示に従ってくれた。

Drが来て、診察したが、レントゲンを撮るために、結局近医まで行くことになった。
車で移動し、近医にて診察してもらった結果、
予測どおり、父の状態は、すでにレッドゾーンに入っており、総合病院への入院を勧められた。

そのことを父に説明した。
が、
その状況にあっても、父は入院を拒否した。
家に帰ると。。。

このまま返れば、そう長くない間に死ぬかもしれない。
そのような説明を理解しながらも、Drを説得し、家に帰った。。。
点滴と酸素ボンベを借りて。。。

その晩、母は嫁に出ている姉たちの家族にそれぞれ連絡した。
家族全員が集合し、会議となった。
義兄は、家に訪れた時、父の姿に驚き、
私に殴りかかろうとした。
なぜ看護士である私が着いていながら、こんな状況になってしまったのかと。。。
違う場所で生活し、普段の父を知らず、突然、やつれて酸素をし、ベッドで寝たきりになっている父を見たのだから、それも仕方ないだろう。

事情を説明したが、姉・義兄達の理解は得られなかった。
今から、病院に連れていこうと。。。
しかし、それは私たちのニーズであり、父のニーズではなかった。
確かに、それで私たちの気がおさまるかもしれないが、
父はどうなるか。

私にはわかっていた。病院に行って、父に何をされるかを。
病院で何が出来るかを。
その場にいることは、父にとって苦痛のみに他ならない。
確かに、短い時間が、数ヶ月・数年間に延びるかもしれない。
しかし、私は、父にそんな苦痛を味わっては欲しくなかった。
話し合いは、真夜中。数時間にわたった。

気が付くと、涙がこぼれていた。
確かに、家で看るということは、優しい選択ではなかった。
世間体もあるだろう。
様々な問題も出てくるだろう。
でも、私は、それが父のためになると確信していた。

言い争いの中、みんなの意見を聞き、ずっと黙っていた母がようやく口を開いた。
「私は、どんなにみんなから、鬼だと呼ばれてもいい。悪魔と呼ばれてもいい。病院には連れていかない!」
母も泣いていた。
その言葉を聞いて、みんな一瞬にして静まり返った。
どっと。。。   涙があふれた。

父のそばに行き。。。
私は、初めて、肉親のために「看護」をした。
そして、その日の夜の内。。。
父は、家族みんなの顔を見ながら、静かに息を止めた。

父が救急車で、総合病院を訪れたのは、呼吸が停止してからだった。
そして、死亡確認された。

お疲れさまでした。。。と、
私は、自分の働く総合病院の一室で、父の2度目の。。。そして最後の清拭をした。

母は、静かに、私に「ありがとう」と言ってくれた。

その日、すべては運命的に流れていった。
それぞれが、それぞれの思いを抱えて。。。

火葬場で、煙と骨に変わってゆく父に
これ以上ないほどの涙を流し、その場から離れられないでいる母の姿が、はっきりを心に焼き付いている。
一番父を愛し、苦しんでいたのは、母だったのだから。。。

父の死は、看護士として、自分がどうあるべきか。
私が、これから、どのように生き、どのような看護をしていくか。
色々なことを考えるきっかけをくれた。
父は、本当にたくさんのことを、私にくれた。

確かに、色々な人から、様々な意見をもらったが、
今でも、私は確信している。
あの時の選択は正しかったと。。。

最後まで、自分らしい生き方を貫き通し、自分らしく死んでいった 父。
すごく かっこよかった。

ありがとう。。。お父さん。。。