・坂道の歩き方

 重力の影響は一定のまま水平に移動することと、重力に逆らって、または沿って、上下に移動することとは力学的に云ってまるで異なる。水平移動の場合は主として一種の摩擦抵抗にエネルギーが使われるのに対して、上下移動の場合は文字どおり物を持ち上げる、または物を降ろすことにエネルギー(筋力)が使われる。 60kgの人が高さ167mの丘に登ったとすると、約10tm(60kgx167m=10000kgm)のポテンシャルエナジーを獲得するわけだが、そのために少なくとも同量もしくはそれ以上のエネルギーを消費している。これは1tonの自動車を10mの高さまで持ち上げたことと同じである。登りはかなり多くのエネルギー増を強いられ、下りはポテンシャルエナジーによる推力は増すが加速度が増えた分、腰および下肢(膝、足首、足の裏)に負担をかけることとなる。
この場合、ギヤチェンジが必要となる。登りの場合は、平地と違って振り出した脚の膝を伸ばして踵から着地するのが窮屈になる。身体を前傾し、ひざを曲げたまま足の裏全体で着地するようになる。後ろの蹴り脚のみはしっかり膝裏を伸ばす。また、脚の振り出し早さはあまり変えずに、歩幅を小さくする。平地と同じ歩幅を保とうとすれば、息が切れてくる。これは平地で使う筋(遅筋)と違う筋(速筋)が働いてくるせいで、結果血中の乳酸が増え酸素を余計に要求するからである。これを続ければ、”ばて”状態になってしまう。血中の乳酸を一定に押さえ、酸素の供給を安定させればよいわけで、歩幅を調整し、心拍は多少上がっても、息が切れない状態を探せば良い。登りはじめは思い切って歩幅を小さくしてみて、それを拡げながら最良の状態を探すと良い。勿論速度は落ちて良い。呼吸法は吐く息を、腹筋を使って吐ききるよう心がける。そうすれば、吸う息は気道を思いきり拡げるだけで充分な空気を吸い込める。たとえば4歩または5歩で吐き3歩で吸う、など自分にとって無理のない呼吸法を見つけ出すこと。自身の肺活量を有効に使うこと。
あまり急すぎない下りの場合は、自然に歩幅が伸び、脚運びも早くなり、加速されるような状態になる。このままだと走り出してしまうことにもなりかねない。ブレーキをかけるわけだが、着地の時、足底全体で着地し、その摩擦と脚の突っ張りでブレーキをかけるのは、足とすねに負担がかかりすぎるのでさけなければならない。またこのような場合、体重が後ろに残りがちとなるため砂利道や濡れた土の道では滑りやすくなる。骨盤歩のところで少しふれたが、腕を棒のように伸ばして振ることで、腰の回転早さを調節し、脚運びにブレーキがかかるのだが、意識としてはブレーキをかけると云うより、調整しつつ加速するという気持ちの方がよい。あまり急でない坂道なら地面に垂直な感じで立てば平地での前傾と同じになり自然に推力が生ずる。歩幅を調節して脚の振り出しを速くすれば車が坂を下るようにスムーズに歩くことが出来る。この時かかとからの着地は守るようにする。ただし、普通は歩幅をあまり広くしない。そうすることで、着地足に対してかかる重心が真上に近い角度になり、滑りの危険を少なくし、同時に着地足にかかる衝撃を少なくする。地面が乾いた土とか草地など、滑りにくく、ショックを吸収しやすい場合など、歩幅を広くとれば速度も目一杯上がる。腰(重心)の位置と脚の振り出し速さを調整することによって、安定した速度を保つことが出来る。登り、下りとも勾配により応変の対応が必要である。急坂または階段の登りは一歩づつ膝裏を伸ばすことで体を押し上げる。荷が多いときは非常にゆっくりになる。呼吸を取るため、後ろ足に体重をかけた状態でポーズ(短休止)をとってもよい。急な下りは非常につらい。膝に負担がかかる。支持足を時々変えて片方だけを酷使するのはさける。また、靴の中で足が動くのもつらい。甲の部分で足が前へ滑らないよう保持できる靴があれば、少し楽かも知れない。
登りでは心肺機能の訓練、下りでは腰、膝、足の鍛錬とスピードの獲得、を心がけよう。また、足の裏の鍛錬には荷を背負って急な下りを歩くのが一番である。

・ハイな状態

 かなりの距離を歩き、足にも痛みが出、疲れもたまってきた時、突然調子の良い状態になる。痛みも疲れも気にならず、速度も上がり、あと何10kmでも歩ける気分になる。ウォーカーは必ず経験することである。第2の風と呼ぶ人もある。このハイな状態は一種の陶酔状態といえるのだが、好都合な状態ではあるので、この状態になりやすいよう、永く継続出来るよう工夫することは、たいへん有益である。ランニングハイとかジョギングハイとかいわれているのと同じで、ウォーキングハイとでもいうのだろうか。一説によれば、脳内にエンドフェンなる物質(鎮痛、麻薬効果あり)が分泌されるせいだという。クスリも使わずハイな状態になることをナチュラル・ハイというが、これもその一種であろう。休養も充分、水、食料の補給も充分という状態では、まず起こらない。これは一つのヒントとなろう。一定のリズムで少し速めに歩くこと。単調なくり返しが知らぬ間にひとつの境地に入り込んで行く。ハイな状態を続けるには、それを享受すること、続いている限りその状態を変えないこと。速度も変えず、水や食べ物もとらない。ただし、行き過ぎないこと。少なくとも2時間に1回は休み、必要な補給をした方がよい。食事休みは充分に時間をとり、靴下も脱いで足を乾燥させる。

・歩き方を洗練する

 ウォーキングの面白さや意義づけは、多くの人達が色々云っているが、歩きそのものを洗練する楽しみを強調したい。スポーツするという範疇以外で身体を動かすといえば、踊りと歩きになるが、踊り、ダンス、バレーなどは、難しい身体の制御が必要で、ふつう修練の結果できるようになると、考えられている。歩きについては誰でも出来る、いってみれば、呼吸みたいなものと考えられている。というより、そんなふうに考えたことさえない。しかし、勿論、歩きの機構を正確に見てみれば、驚くほど厳密で微妙な、まさに芸術的な身体動作であることは、想像するに難くない。街へ出て人が歩いている様子を注意深く観察すれば、実に千差万別の歩き方があることがわかる。体型、年齢によって違う。周囲の状況、目的、内面の感情によっても変わる。しかし、それ以上に、くせ、あるいは、良くも悪くも個性というものを各人が持っている。歩くということは、誰にとっても同じことを意味している、誰もが同じ動作をしていると感じている。自分の歩きには癖があって、世の中にはもっと良い歩き方がある、正しい歩き方があると云われても、たぶん、にわかには信じられない。と思う。しかし、このことに気がつき、より良い歩きを極めてみようと思ったとき、洗練された歩きとは何か、厳密で微妙なその機構を正確に認識できるか、合理的なその動作が可能か、が課題となり、目的となる。つまり、ダンスに習熟するように、歩きに習熟する必要があることが理解される。そして、それがウォーキングの究極の楽しみとなる。
仕事量として考えれば、60kgの身体が1km移動するのも1tonの物体を60m動かすのも同じである。1tonの物体が宇宙空間にあったとすれば、慣性力を変えるだけの力で移動できる。もし氷の上であったら少し抵抗がある分余計な力が必要である。レール上で物体に車がついていれば、もう少し余分な力が。舗装道路なら、でこぼこ道なら、さらに大きな力が必要となる。1tonの物体が車もなしに地上にどんと置かれていたら、これを動かすには途方もないエネルギーが必要である。このように実際の水平移動には一種の摩擦抵抗を打ち消すだけの力が必要となる。比喩的に言えば、いろいろな歩き方は水平移動における摩擦抵抗に置き換えることも出来る。 もし正しい歩き方が獲得できれば摩擦抵抗は少なく、使用する筋力も最小ですむ。これが歩きを洗練するということの基礎なのである。
ところで、歩きの基本的な目的は何か。それは長い距離を歩き抜くことにある。そのためには、心身の消耗と損傷を限りなく少なくすることである。大地との接点である足の裏は最初にダメージを受ける。従って、接地に関してノンインパクト、またはソフトランディングを心がけることは何にもまして重要なことである。体重も、靴の重さも含めて同行する荷を出来るだけ軽くすること。さらに最も重要なこと、それは心を軽く保つことである。少し高揚した気分と適度な集中力、心配事はとりあえず余所において、くつろいだ気持ちと最後までやり抜くことについての確信、これがあなたに翼を与える。また、歩きの途上、心と身体に気晴らしを与えてやることも忘れてはならない。ゴルフボールを夢中で追っている時は疲れなどまったく感じていないし、まわりのすばらしい景色、歴史的な事物に対する興味、被写体を追い求める熱意、同行者とのおしゃべり等など、いわゆる気分転換が自然に出来れば歩くことは少しも苦痛にならない。気持ちの上だけでなく、身体の動作においても同様で、長い単調な動作で平地を歩いている中に、階段を上ったり坂道を上ったりと、それだけをとれば、余計に消耗するような動作であっても、これが挟まることで筋肉の気分転換につながり、歩きをリフレッシュする。小休止でのストレッチングも勿論、効果がある。洗練された歩きを獲得するための第一歩は、歩いている時の、心と身体のメカニズムを探求し理解することなのである。

 

・心肺機能と筋力の強化には登り坂を歩く。

・関節と足の裏の鍛錬、それにスピードの獲得には下り坂を歩く。

・そして、平地を歩く時には常に正しい歩き方を探求しなさい。