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   磐田の強さの秘密はなんだろうか?自信に満ちたプレースタイルがその源泉だと推測するが、そのプレーが日本サッカー界に投げかける危険性について考えてみたい。



磐田の 強さの秘密


   (サッカーダイジェスト1999年)6月2日号の「ペリマン清水監督の提言(前編)」を読んで、よくぞ言ってくれたと感激した。

   磐田の選手らの非紳士的な姿勢に対する指摘は、我々がどう表現していいのかわからないムズムズしたものをはっきりと言い当てていたと思う。そして、その原因を、あの静岡ダービーの笛を吹いたレフェリーに限らず、Jリーグのレフェリーの未熟さに原因を帰していたが、それも正当な主張である。

   しかし、ペリマン監督が気付いているかどうかはわからないが、あの試合が、他のどの試合でもなく、磐田戦だったことについて、一言、付け加えなければならない。結論から言えば、改善すべきは日本のレフェリーにあるが、あの試合に限らず、磐田の選手たちがレフェリーの未熟さを利用していると言わざるを得ない。もっとも、彼らが、それを意図的・自覚的に行っているかどうかは分からないが。

   私自身は清水のファンだが、同時に美しいパスゲームのファンでもある。かつて、V川崎と清水が覇権を争っていたとき、川崎というチームは嫌いだったが、あのパス回しやゲーム運びには憧れを抱いていた。今の磐田は、当時の川崎以上に良いチームなのだろうと思うのだが、磐田の試合を見ると何故か嫌悪感を抱いてしまう。ペリマン監督は、それを見事に見ぬいていたわけだ。

   磐田の強さは、個々の選手の自信に満ちたプレーが、チームとして機能しているところにある。磐田の選手は「ここにボールが来る」と思ったら、そのイメージを自信をもって実現しようとする。だから、プレーに迷いがない。その迷いの無さは、勝負に対する割り切りという面でも強く発揮される。ペリマン監督が指摘した藤田選手・鈴木選手の時間稼ぎやPKに対する抗議などのアンフェアな行為をするときも、あたかも自分たちのやっていることが正当であるかのように振る舞っている。その自信に満ちた態度に、レフェリーは心理的に支配されてしまうのだ。日本のレフェリーの欠点は繊細さにあり、日本人の性質として一般的に言われているように、ある種の権威に弱いのではないだろうか。微妙な判定を要する場面で混乱に陥りやすいために、相手の毅然とした態度に打ち勝つことができないのだと思う(C大阪戦のレフェリーが外国人だったことは偶然ではない)。

   一方、磐田の選手のこのような態度は、今後、どう扱うべきか。おそらく彼らは変わらない。人によっては、彼らのこのような性質は、ドゥンガがもたらしたと言うかもしれない。しかし、それは違う。ドゥンガ自身は、いわゆるマリーシアであるとか、毅然とした態度を教えたかもしれないが、アンフェアな態度は教えていないし、彼自身そういう振る舞いはしない。彼らのそういう性質は、Jリーグ昇格以前から見ることができた。ボールを奪ったら、とにかく中山へロングボールを送る。中山は相手のGKに競り勝ち、どんな態勢でも決めた。その戦術に迷いはなかった。レベルや内容の差こそあれ、今と変わらない。このような性質こそが彼らのアイデンティティなのだ。

   では、どうすべきか。レフェリーの技術(というよりは心理面)の向上は当然のこととして、それよりもむしろ、フェアプレーに徹するチームが、彼らを上回る力をつけることが大事だと思う。フェアプレーの精神をもった不屈の闘志で、彼らを凌駕するチームが出てくることを祈るばかりだ。


  • この文章は、サッカーダイジェスト誌「背番号12」コーナーに投稿したものです(ボツかな?)。
  • 無断転載を禁止する。
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