“市民球団”といわれながら、市民にそっぽを向かれスタンドで閑古鳥が泣いている清水に対し、Jリーグバブルが弾けた後も、人気が衰えることのない浦和は何が違うのか?解明してみよう。
駒場グラウンド観戦記 1997年8月6日(水)清水vs浦和戦
仕事で東京方面に出張した際に、偶然、駒場スタジアムでの清水vs浦和戦を観戦する機会を得た。他のスタジアムで閑古鳥が鳴いている今も、鹿島と浦和は相変わらずチケットが手に入らないとのことだったが、今回については何とかチケットを手に入れることができた。行く前は「どんな席でもいいや」とたかをくくっていたし、実際、わがままも言っていられなかったので、自由席のチケットを手に駒場に向かった。
JR高崎線に乗り、6時30分頃、浦和駅に降りたった。浦和レッズのホームページによると徒歩で約20分程度ということだったが、道が分からないのでタクシーに乗ることにした。タクシーを待っている人々の半分は、駒場に向かう人らしかった。タクシーに乗るまで10分ほど待たされ、一緒に出張した同僚と「キックオフには間に合あいそうもないな」と話しながらスタジアムに向かった。タクシーの運転手は「普段、この道は混まないんだが、今日は珍しく混んでいる」と言っていた。しかし、日本平に比べればたいした渋滞もなく、比較的すんなりとスタジアムに到着した。タクシー代は1,500円程度だった。
タクシーを降りると、日本平ではみることができなくなったダフ屋が「指定席のチケットがあるよ」といまだに元気な様子で迎えてくれた。正面からグラウンドに向かうと、まずエスパルスサポーター席が見え、聞き慣れたサンバが聞こえた。当然、サンバ隊の近くに座りたいと思っていたのだが、我々のチケットで入れるのは入り口が違うブロックだった。チケットが示している入り口から中に入ると、サイドスタンド1Fの立ち見席だった。一応、アウェー側だったが浦和サポーターしかいなかった。清水サポーターの近くがいいなと思ったが、アウェーチームのサポーター席は隔離された場所にあり行くことができなかった。立ち見席の手摺りにはすべて先客がいるので、通路に狭い空間を見つけそこで観ることにした。
立ち見席は傾斜が緩く、グラウンドの高さに近いので試合が非常に見にくかった。また、2階席が低くせり出して視界を邪魔しているので、後ろの方の席ではグラウンドの一部を見ることができなかった。また、清水サポーターのいるブロックとは、透明なアクリル板で仕切られており、警備員が常に3,4名張り付いていた。やっとのことで落ち着く場所を見つけたとき、試合はすでに始まっていた。浦和が1点リードしていたが、ボールは清水が支配していた。しばらくすると清水が同点に追いつき、浦和サポーターは非常に熱狂していた。応援はときおり歌や掛け声を合わせて行う程度で、ファインプレーやラフプレーに対する“どよめき”がスタンドを支配していた。特に味方のミスに対しては強烈な野次が投げかけられた。サポーターの反応は非常に攻撃的で、中には、特にラフプレーがあった訳でもないのに「死ねー」というような、応援とはいえない声も聞こえた(しかも、清水の選手に言っているのか、浦和の選手に言っているのかすら分からなかった)。総じて男性的なイメージがあり、サッカーのスタジアムというよりは、むしろ競馬場のスタンドに近い雰囲気があった。
日本平では、仮にサポーター席に相手チームのユニフォームを着た人がいたとしても、変な目で見られることはあっても怖いと思うことはないだろう。しかし、そのとき我々は怖いと感じていた。我々から10mくらい離れたところでは、浦和サポーター同士が小競り合いをして、警備員が止めに入っていた。立ち見席全体に、凶暴な雰囲気が立ち込めていて、清水のサポーターは改めて“良い子”だと感じた。我々は幸い仕事帰りでスーツ姿だったので清水サポーターには見えなかったが、清水の得点シーンを喜ぶこともできず、両チーム合わせて7点も入るスリリングな試合を、ひたすら黙って見守るしかなかった。
立ち見席には、女性や子供たち、中高年の人も多くいて、年齢構成・男女比は日本平とあまり変わらないようだった。5割から6割の観客は、浦和のユニフォームか、ロゴの入ったTシャツを着ていた。ただ、目についたのは、スカート姿の女性が多いことだ。日本平では、女も男もユニフォームのほかに、ジーンズやTシャツなど、いかにもスポーツを観戦するんだというようなスタイルの人々がほとんどである。しかし、駒場では、かしこまっているのとも違うけれども、しっかりおしゃれしている女性が多かった。
終了間際の劇的なクライマックスが訪れ、90分で試合が決すると、我々は早々にスタンドを後にした。立ち見席の観客のうち、半数は我々と一緒にスタンドを去り、半数がスタンドに残って試合の余韻を味わっていた。帰り際によく観察すると、暴力的なサポーターはごく一部の様子だった。多くのサポーターは、礼儀正しく、模範的なリーダー格に統率されていた。ホームチームが負けた試合だったが、サポーターが荒れた様子はなく、「負けたけど、いい試合だったな」という声が浦和サポーターからも聞かれた。帰りのシャトルバスを待っている間、偶然、バスを待つ列でエスパルスサポーターに前後を挟まれたとき、初めてエスパルスの勝利を大きな声で口に出すことができた。それだけ、緊張した空気が漂っていた。
周辺の道路が混雑していないためか、シャトルバスの回転が早く、乗る人が多い割にはあまり待たずにバスに乗り込むことができた。往路よりも短い時間で浦和駅に到着し、高崎線、埼京線と乗り継いで宿舎のある池袋に着いたのが10時前だったから、交通の便は良いといえる。最後に全体的な感想としては、必ずしも快適な観戦ではなかったと思う。最大のマイナス点は、立ち見席だ。サンバ隊と一緒に踊っていれば良いが、90分の間、立ったままで静かに観るのは非常に苦痛だった。しかも、ハーフタイム時間中も座れないうえ、手荷物を椅子の下に隠せないので常に自分の身の回りにおいておかなければならないのにも困った。サッカー観戦の楽しみの一つは、仲間と一緒にビールを飲みながら、試合を批評することにあるというのが私の考えなので、これができないのは大きなマイナス点だった。チェアマンが固定席の整備を強調する理由がよくわかったような気がした。
他にも、売店が少ないことや案内板の不備など、日本平と比べて居心地がよいとはいえない。それでも、エスパルスよりも戦績がはるかに悪く、プレーの内容的にも劣るレッズのサポーターは、日本平よりはるかに劣悪な環境にある駒場にいまだに通っているのである。交通の便は、若干、日本平より良いとはいえ、このような差がでるのはどこに原因があるのだろうか?立ち見席で一つ感じたのは、チームに対するサポーター(観客)の思い入れの差である。浦和のサポーターと観客は、“浦和レッズ”というチームに対する思い入れが強い。清水のように、入場料が高いとか安いとか、駐車場があるかないかという問題ばかりが全面にでるのは、観る側に思い入れが少ないからである。
ただし、清水の観客に思い入れがないというのではない。清水市民のサッカーに対する思い入れは、鹿島や浦和と比較しても、恐らく比較にならないほど強い。Jリーグが始まる前、清商にしても、清水FCにしても、あくまでも清水のサッカーの象徴または代表ではあったけれどもすべてではなかった。それは現在もいえることである。清水の観客は、エスパルスというチームに対する思い入れではなく、“清水のサッカー”に対する思い入れが強いのである。
今まで、様々な経緯があって、エスパルスは未だ清水のサッカーと同化していない。その結果として、清水のサッカーに対する思い入れがいくら強くても、エスパルスが清水のサッカーなんだという意識を持つことができない。逆にエスパルスに関して自信を失うことで、清水のサッカーに対する自信をも失ってしまう結果を招いている。日本平に多くの人を呼び戻すために必要なのは、単純にエスパルスが強いとか、弱いとか、アクセス面を含めてスタジアムでの観戦が快適かどうかという議論ではない。サッカーのまち清水という大きなシステム・文化・ライフスタイルの中で、エスパルスがどう位置付けられるのか、どのような役割を担い、どのように評価されるべきなのかを考えて行くべきだと思われる。
今回の駒場での観戦は、様々な意味で、清水のサッカーを見つめ直すのに有意義だった。いつも通りにサンバ隊に囲まれていては、見えないものを見ることができたような気がする。
- この文章は、筆者が’97Jリーグの「浦和vs清水戦」(駒場スタジアム)を観戦したときのレポートである。
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