top menuへ    加茂監督の更迭に始まり“カズ外し”まで、岡田監督は歴史上、日本で最も有名になったサッカーの監督だろう。その監督という不思議な存在に注目してみました。


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監督の 社会学

「社会サッカー学を論じるならば、サッカーチーム内の選手や監督の間での社会学に目を向けなければ、甘いな!!!」shimadaさんより

   よくよく考えてみると、監督という役柄は不思議なものである。日本でいうところのコーチやトレーナーは、選手が最高のコンディションで試合に臨めるように、過程の段階で補助するのが主な役割だ。監督はこれらのことにも関わるが、コーチやトレーナーと決定的に違うのは、自分自身も試合に参加してしまうところにある。

   その極端な例として、日本の野球を挙げることができる。バッターがバントをするか否かのように選手の具体的な動きまで監督が決定してしまう。ほとんどの選手が、常にベンチのサインを見ながらプレーするのが日本の野球である。

   サッカーのような競技ではそこまでは踏み込めないが、それでも選手交代などを通じて試合に参加することができる。近年、わざわざテクニカルエリア(試合中、監督が選手に指示できる場所)を設けたように、監督が試合中に果たす役割は大きい。

   しかし、不思議なのは、選手に対しては年齢・性別・国籍などの出場制限が厳しく適用されるのに対し、監督にはそのような制限がない。高校野球では、大人の監督が少年たちをコマのように使う。1試合を通じた戦略的な部分では、選手よりも監督の方がより大きな部分を占めている。

   サッカーのW杯においても、ヨーロッパや南米の伝統国を除けば、アジアやアフリカの代表チームは、監督を伝統国から招いている場合が多い。サッカーは、その国の文化を表わすといわれるが、代表チームのカラーに最も影響を与える監督が外国人というのは一見すると矛盾している。


   一方、監督と選手の関係、つまりどちらが主役か?という問題も複雑だ。単純に考えれば主役は選手だ。しかし、どの選手が出場するか、という点については、監督が決めるのである。

   陸上競技のようにタイムや飛距離などの客観的な記録で順位を決め、上位から順に選手を選ぶのなら問題はない。コンディションの良し悪しなどを考えなければ、監督でなくとも、誰でも決めることができる。しかし、球技のように相手との相対的な力関係を計るスポーツは比べることが難しい。相手や味方との相性で、能力が変化する。また、リーダーシップや経験といった客観的評価が難しい要素が求められる場合も多い。

   中には、野球のように防御率や打率など、選手の能力を数値化しやすい競技もある。だが、サッカーは数値によって評価することすることは非常に難しい。しかも、フランスW杯で岡田監督がカズを外したように、能力的にはレベルに十分に達している選手でも、監督の好みのシステムに適合しないと選ばれないことが多々ある。

   また、監督と選手の人間関係の悪化が、チームの崩壊に繋がることも多い。自尊心の高い選手がスタメンを外されて監督に抗議するといったことはどこの国にもある。その選手が他の選手たちのリーダーであるようなときは、監督が辞めない限り、チームの崩壊は避けられない。

   むしろ、近年のオランダのように人種差別が根っこにある場合は深刻だ。スリナム(オランダ植民地)系黒人選手と白人選手の不和が、クローズアップされるようになったのは、ここ10年ほどのことである。アメリカW杯では、これが原因でチームが空中分解を起こした。今回も白人のヒディング監督と黒人のダービッツ選手との間で確執があったが、スリナム系選手の憧れであるフリットをスタッフに入れることで仲違いを解消した。昔のアメリカのように強烈な人種差別があった訳ではないから、W杯という大きな目標のもとでお互いの信頼を取り戻すことができたのだろう。


   いずれにしても、監督は、選手に優るとも劣らない重要な役割を担っている。ただし、チームという社会的組織の営みという部分では、選手よりも監督が果たす役割が大きい。つまり、チームの人間関係が良い方向に向いているか、精神的コンディションが整っているかということは監督の手腕による部分が多分にあるのである。

   監督と選手の間に強固な信頼関係があれば、チーム内の人間関係に起因する問題は起きにくい。その信頼関係の背景としては、監督がサッカーに関する優れた知識や視野を持っていること、人間的に魅力のある人格者であるということ、選手とのコミュニケーションに長けていること、選手が尊敬し得る偉大なプレーヤーだったということなどが挙げられる。実際には、その中の複数の要因が重ならないと優秀な監督だとは言えない。

   サッカーは、その地域の文化を表現するスポーツである。監督は、結果(=勝利)が求められるのはもちろんのこと、チームの戦い方や選手たちの人間性も含めて、所属する社会を代表するチームとなるよう努めなければならない。その監督を選定する主体が誰で、基準は何かという問題は残るが、監督として成功するということは、社会的役割を果たすことだといっても間違いないのだ。


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