top menuへ
   FIFA World Cup 2002 Korea / Japanの一次リーグで日本と対戦し破れた‘北の巨人’ロシア。欧州カップ戦では、堅固な守備と鋭いカウンターで大物食いを見せる同国クラブチームの素顔に迫る!



ロシア・プレミアリーグ観戦記 2002年4月6日スパルタク・モスクワvsロートル・ヴォルゴグラード戦


 ロシアサッカー協会が用意してくれた車で、スパルタク・モスクワのホームスタジアムである「ルズニキ」に到着した。

 このスタジアムは、8万4745人収容で陸上競技との兼用スタジアムであり、1980年のモスクワオリンピックではメイン会場となった。現在、スパルタクの他にトルペド・モスクワがホームスタジアムとして使用している。

 我々が到着すると駐車場の入口で検問を受けた。カーキ色の制服の警備員がいて、トランクを開け危険物の持ち込みをチェックしている。彼らは、OMON(オモーン)と呼ばれるテロ対策部隊である。スパルタクのサポーターには、ネオナチ系のフーリガンが多いと言われており(読売新聞2001.12.11)、彼らを取り締まるためだろう。

 入口の目の前の駐車場で車を降りスタジアムへ向かう。我々が案内されたVIP専用入口の頭上に「スパルタク・チャンピオン」のような看板があったので写真を撮ろうとしたら、若い警備員に「撮るな!」と言われた。今回のロシア滞在中、寺院や博物館の中を除くと撮影禁止と言われたのは、唯一このときだけだ。

 スタジアムは、外見はかなり古く、そんなに立派には見えないが、中は大理石の階段や小ぎれいなバーなどがあり、ウェイトレスなどのスタッフが忙しそうにしていた。

 我々は、メインスタンド中央、中段の特別席に通された。スタジアムが古いせいか、観戦可能なガラス張りVIPルームはないようだ。しかし、座布団や毛布の貸し出しもありVIP扱いには違いない。メンバー表が配られるが、コンクリートの手すりの上に無造作に置いてあるので、風が吹くと飛んでいってしまう。

 今日の対戦カードは、ロシア代表監督を兼任しているロマンチェフ監督率いるスパルタク・モスクワ対ロトル・ヴォルゴグラードである。スパルタク・モスクワは1924年設立の強豪だ。ソ連リーグ時代にも12回の優勝経験がある強豪だが、特にソ連崩壊後のロシアリーグでは圧倒的な強さを誇っている。現在の主力選手は、代表でも活躍しているMFチトフ、FWベスチャスニフなどである。外国人選手はスタメンにはユーゴから1名、セネガルから1名が名を連ね、ケニア1名、ナイジェリア1名が控えに入っていた。

 対するロトルも1933年設立の歴史のあるクラブだが、長い歴史の中でタイトルを取ったことはない。ヴォルゴグラードはモスクワから南に700km離れた飛行機で2時間程度のところにある。「ヴォルガの舟歌」で知られ、カスピ海につながるヴォルガ川と黒海につながるドン川が交わる運河の起点として知られる、人口が約100万人の南部ロシアの中心のまちである。1961年まではスターリングラードと呼ばれていた。

 アウェーチームのサポーターは一人もいなかったが、距離が遠いからだろう。強豪チームが相手のとき、例えばサンクト・ペテルブルグの強豪ゼニート・サンクト・ペテルブルグ戦では、多くのアウェーファンが訪れるそうだ。

 この日の観客数は5000人というところだろう。大きなスタジアムのホーム側サイドスタンドの一角にこじんまりとサポーターが集まっている。800万都市モスクワの人気チームの試合にしては少し寂しい。ファンの多くは黒っぽい服にスパルタクのタオルマフラーを持っている。応援は太鼓やラッパはなく声によるものだけで、3種類くらいの応援パターンがありそうだ。よく聞こえなかったが「スパルターク・チャンピオーン」と言っているようだ。得点シーンにはマフラーを頭上でグルグルまわし喜ぶ。ときおり、発煙筒が焚かれていた。

 入場料は我々の観た特別席が1000p(ルーブル。ロシア語の「P」は英語の「R」。1p=4円)で、ゴール裏が100p。すべて独立の椅子席になっており、立見席はない。

 前述のように、フーリガンが問題になっているらしく、警備員の姿が多い。彼らは内務省の軍である。スタンドの最前列に3メートル置きに観客の方に向いて立っている。また、スタンドに立っている兵隊のほかに、1隊100人程度の部隊が2隊、通路に待機していた。採算性などを考えれば日本ではあり得ないほどの厳重な警備だ。

 セレモニーも音楽もないまま試合が始まった。ロシアプレミアリーグは冬の寒さが厳しいため、他のヨーロッパ諸国と違い3月〜11月がシーズンだが、4月でも気温0度前後の日が多く芝の状態は最悪だ。青々とした部分はなく、泥んこの中でやっているようなものである。旧ソ連諸国でも、国によってサッカーが違うと言われている。高さとパワーに任せて放り込むタイプのウクライナに対し、ロシアはパスゲームを好むという。しかし、このようなピッチ状態では、パスゲームは望むべくもない。当然のことながら、ミスの多い試合となった。

 そのような状況でも、パスゲームを展開しようという意図は、終始、一貫していた。スパルタクがボールを支配し相手陣内でのゲームが続くが、なかなかシュートにつながらない。スピードのあるカウンターもなく、悪いときのエスパルスの試合をみているようだった。

 スパルタク優勢の中、前半の終わり頃、左からのクロスをスィチョーフがヘディングで決め、スパルタクの一点リードで前半を終了した。試合は、後半に一点を追加したスパルタクが2対0でロトルに勝利した。

 この日は、天候もよく、風もなかったのでサッカー観戦には適した日と言えるが、観戦客が少ないのは人気カードではないせいだろうか、あるいは、フーリガンのせいだろうか。フリータイムに訪れたボリショイ劇場でのバレエが、小学生くらいの子供たちから、若いカップルやお年寄りまで幅広い客層で満員になるのと比べ、寂しい気がした。


  • この文章は、筆者が2002年4月5〜9日に清水市長を団長とする表敬訪問団の随行員として、ロシアプレミアリーグの「スパルタク・モスクワvsロートル・ヴォルゴグラード戦」(スタジアム・ルズニキ[モスクワ])を観戦したときのレポートである。
  • 無断転載を禁止する。
TOP MENUへ