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   選手の価値は報酬によってのみ決まるのか?選手のモチベーションとファン心理から考える



プロサッカー選手のモチベーション とファンについて


   プロサッカー選手は、報酬の多寡によってチームを選ぶべきだろうか、レギュラーポジション獲得の確実性によって選ぶべきだろうか、それとも、自分の出身地などの思い入れで選ぶべきだろうか。

   世界のプロサッカー選手を見る限り、それは様々である。ほとんどの場合、チームを移籍するということは、力を認められて報酬がアップするか、認められずに報酬がダウンするかのどちらかである。この事実だけを見ると、プロサッカー選手のモチベーションは報酬が第一であると推測される。しかし、それは一面では真実だと言えるが、まったく報酬のみが選手のモチベーションの元だと言いきれるだろうか。

   今回は、アルダーファーという心理学者のERG理論によって、選手たちの心理を分析してみたいと思う。

   ERG理論は、マズローの要求5階層説を修正したものである。マズロー理論は、単純に言えば、空腹が満たされれば安全を、安全が確保されれば他人との友好や愛情関係を、愛情関係が満たされれば自尊心と他人からの評価を、それらが満たされれば究極的な自己実現を求めるというものである。マズローは、低次の欲求の充足がなければ、より高次の欲求がそれ以上に生ずることはないと主張したが、アルダーファーは、低次の欲求と高次の欲求の並存することもあるとし、欲求の段階を、生存欲求、関係欲求、成長欲求の3つに集約した。

   このERG理論にプロサッカー選手のモチベーションとなる要因を照らすと次のようになる。

生存欲求
必要な報酬の確保/ドクター・フィジカルトレーナーなどの充実/望まないコマーシャル等への出演拒否
関係欲求
家族との関係/監督・チームメイト・フロントスタッフとの良好な関係/友人・後援者との良好な関係/レギュラーポジションの獲得
成長欲求
自身の個性とチーム・ファン・地域の同化/スポーツ文化の理念への貢献

   プロサッカー選手のモチベーションについて、一般的に最大の要因として考えられているのは報酬である。報酬つまり「金」は多面性を持っているが、将来への備えを含め、彼と彼の家族を養うに十分な収入を得、かつ、より豊かな生活を送りたいという意味では、生存欲求に分類されることになる。それと関連して考えるとレギュラーポジションの獲得は、来季のオファーの確保につながるので、同じく生存欲求ということができる。また、健康管理の充実も、怪我をしたくないという安全に対する単純な欲求に加えて、プロサッカー選手という職業からの怪我によるリタイヤを防ぐ意味での生存欲求である。その他、良いコンディションを保つために練習場やトレーニングジムの完備、サッカー以外の仕事の回避なども同様にくくることができる。

   一方、報酬の多寡は、サッカー選手としての彼の存在価値を測る尺度でもあり、その意味では自尊心を満たすための関係欲求に関係すると言える。同様にレギュラーポジションの獲得は、彼の自尊心を満たすので関係欲求でもある。監督やチームメイトと気が合うことは、彼のモチベーションを高めるだろうし、ほどよいポジション争いも関係欲求に基づくモチベーションの高まりをもたらす。チームの所在地によっては、家族との同居が難しい場合もあり、そのことへの配慮も関係欲求だといえる。また、チームの所在が選手自身の出身地であるかどうか、地元に古くからの後援者がいるかどうかということがきっかけになるのも関係欲求の一つの表れである。

   選手自身の個性をチーム全体の戦い方に反映し、勝利をもたらすことは成長欲求である。美しいパスワークで組み立てるサッカー、しっかりとした技術とスピードで相手を切り裂くサッカーなど、選手の個性とチーム全体が調和することは、選手の成長欲求を満たす。フェアプレーに徹するサッカーという表現もあり得るかもしれない。それらが望ましい結果(チームの勝利)をもたらすことは、成長欲求の最も高次なものの一つである。また、ピッチの内外を問わず、選手自身のプレーや言動が地域スポーツの振興に結びつくようなことも、成長欲求に由来すると言えるだろう。

   以上のように、プロサッカー選手の動機付けにかかる欲求を分類してきたが、これらの欲求は受身的なファンと深い関わりがあることに気付く。

   まず、初めに、選手の生存欲求を満たすものは、ほとんどがファンの入場料によって賄われている。放映権料やスポンサー収入も、消費者であるファン―必ずしも競技場には来ない―が間接的に支払っている。ファンは、自分が支払った入場料に見合うだけのパフォーマンスを選手に要求するが、それは、選手にとっては義務的な要求である。

   また、ファンは、地元出身選手やゆかりの選手を贔屓にする。その選手と個人的な関わりがあったり、ファン自身は会ったことはないが、配偶者が友人だったりするとその贔屓度はさらに増すことになる。チームには地元出身選手との契約が求められ、中でも、スター候補と呼ばれる選手との契約の失敗は、戦力としての意味以上にイメージとして、チームに大きなダメージを与える。一方で、選手たちは、少年向けのサッカー教室や地域内のイベントへの参加を求められる。地元では、スターまたはアイドルであると同時に身近な存在でなければならないのである。ファンのこのような要求は、明らかに関係欲求と関連がある。

   さて、選手たちが入場料に見合うパフォーマンス(チームの勝利あるいは良いプレー)を披露し、かつファンとの関係が良好だったときでも、ファンは、それ以上の何らかの表現を望んでいる。それは選手たちが、ファンの所属する、あるいは理想とする文化を表現することである。ただ強いだけではダメなのであり、選手たちがファンとの一体感のある状態の中で、ファン自身の人間的な充実感を満たすようなパフォーマンスを期待している。このときファンは、このような高次の欲求の満足を(より高額の入場料を払えばこのようなパフォーマンスが得られることが確実ならば入場料の値上げに同意することがあるかもしれないが)、入場料に相当するものとして期待するわけではない。しかし、それが望めない状況のとき、ファンは監督の交替を要求する。つまり、選手の側の成長欲求とファンの希望が一致する可能性がないとき、その可能性の出現を要求するのである。

   これらのファンの欲求は、ファンの欲求であると同時に選手自身の欲求でもある。ファンは、選手がもたらすパフォーマンスや勝利を通じてのみではなく、選手が欲求を満たそうとするプロセスを通じて、自らの欲求を満たそうとしているのである。ファンは、選手にとっての観客であるとともに、選手と同じ体験を共有している。

   このことにこそ、通常の経済モデルで語れないスポーツの本質があるのではないだろうか?つまり、観客も選手も、単純な功利的動機によってのみ、行動するのではないということである。選手は、報酬の多寡によってチームを選ぶが、報酬の多寡によってのみチームを選ぶわけではない。同様にファンも、 "費用" 対"効果"の原理によってのみ、応援するチームを選ぶわけではないのである。Jチームの存続危機やファンサービスに関する問題は、このような選手とファンの関係という視点から見ることで、少しは理解することができるのではないだろうか?

アルダーファーのERG理論(ページの先頭へ戻る)

「生存(Existence)欲求」
さまざまなの物質的・生理的な欲求のすべてを含む。飢えや渇きはもとより、賃金、付加的給付、物理的労働条件などへの要求を含む。
「関係(Relatedness)欲求」
自分にとって重要な人々(家族、友人、上司、同僚、部下、敵など)との関係を良好に保ちたいという欲求で、これを満たすためには分配や相互依存の過程が関連する。
「成長(Growth)欲求」
自分の環境に創造的・生産的な影響を与えようとする欲求で、これを満たすには、能力を十分に活用したり開発することが必要だが、充足すれば人間としての充実感が得られる。

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