作者 プロフィール

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氏 名 宮城島清也(ミヤギシマセイヤ)
年 齢 34歳(昭和44年5月28日生)
家 族 妻、息子2人、義母、義祖母の6人暮らし
趣 味 サッカー、読書、パソコン
略 歴

清水市立三保第一小学校−清水市立第五中学校−静岡県立清水東高等学校−国立東北大学社会学科社会学専攻−清水市役所
1999.4-2001.3:財団法人静岡総合研究機構に派遣
2001.11-2002.6:清水市ワールドカップ推進本部でロシア代表チームのベースキャンプを担当
2002.8:構造改革推進特区「日本平特区(通称)」を担当
2002.9-2003.3:清水市最後の記念イベント「清水市制79年メモリアル事業」を担当。服部克久さん指揮・編曲のもとで、西条秀樹さん、岩崎宏美さん、サーカスのみなさんを迎えメモリアルコンサートを開催
2003.4- :新・静岡市で市民生活政策課所属。NPO・ボランティアを担当

制作秘話

タイトルには、最初「サッカー社会学のすすめ」とつけようとしたが、私の“社会学もどき”程度の知識では恥ずかしいので、“社会”と“学”の間にサッカーを入れることにした。

制作当初に使っていたモデムが14400bpsと低速だったので画像が多いと自分で見る気にならなかったし、HDDも800MBしかなかったので、画像は増やせなかった。それで、字ばかりの堅いホームページになってしまった、と言い訳していたんですが、平成11年1月にパソコンがクラッシュ!したのを機に新型機に買い換え、下記のようなスペックにパワーアップ!したのでこれからは画像を増やしたい、と決意はしてみましたが、増える予定はありません。

ちなみにクラッシュと言っても正確にはクラッシュではありません。データを失った理由は、パソコンと新しく買ったカードモデムが相性が悪く、IRQの設定等をやっているうちにOSの入れ直しが必要になり、その時にOutlookのアドレス帳のデータをバックアップするのを失敗しただけです。ウイルス等によるものではありませんのでご安心を。

当サイトの内容については、作者の勝手な主張を並べただけのものです。元はといえば、平成9年度の懸賞論文に応募した「地域スポーツクラブの可能性」が、たまたま入賞してしまい、調子に乗って愛読しているサッカーダイジェスト誌に投稿したら、採用されたことがきっかけで、やってみようかなと思ったのが始まりです。平成10年度も同懸賞に入賞することができたのは、みなさんの励ましとご助言があったからだと思います。ありがとうございました。

夢はサッカー&スポーツで飯を食っていくことですが、夢は夢、難しいだろうなあと思っていました。ところが、夢の大舞台・ワールドカップではベースキャンプ地招致に担当になってしまった!(詳しい経緯はレポートを読んでね。)好きな仕事とは言いながら、休み無しの激務でストレス解消のため食事からお菓子まで食べ過ぎて、着任中の6ヶ月で5kg太ってしまった。しかし、食べずにはいられな〜い。後々の公務員人生には何の役にも立ちそうもないが、自分的には充実した6ヶ月でした。

ワールドカップ終了後、市役所の(自称)頭脳ともいえる企画調整課に戻り、構造改革特区を担当。一ヶ月間、久々の役人らしい仕事に打ち込む。合併よりも、こっちの方が大事なのでは?と感じつつ、合併の波に呑まれ一人相撲に終わり、申請は断念。

清水市として最後のイベントとなる「清水市制79年メモリアル事業」を任される。「僕はイベント屋ではないぞ!」とゴネつつも、結局はイベントプロ根性に燃えてしまう。お客様の安全と喜び、イベント内容のグレード保持など、こだわりを持つが故に上層部とは対立。間に入った中間管理職のみなさまにご迷惑をかけつつ、現場レベルの同僚に助けられ何とか成功した(と思う)。

新・静岡市では、NPO・ボランティアを担当。新しい分野のため、過去のしがらみや合併のすり合わせもなく、気の合う上司・同僚にも恵まれ、久しぶりに役所の企画部署らしい仕事を満喫中。

スペック IBM Aptiva 2153−2
CPU:AMD K6−2 300MHz
メモリ:64MB
2次キャッシュ:512KB
HDD:6.0GB
モデム:56Kbps
自慢話 小学校〜高校時代はサッカー部に所属し、当時のチームメイトにはJリーガーになった者も多い。私自身は公式戦の登録メンバーにも入らないような、いわゆる底辺に属するプレーヤーだが、練習や紅白戦の中で、彼らのような一流選手と一緒にプレーすることができたことは、サッカーだけでなく、人生に対する態度とか、あらゆる面で良い刺激になったと思っている。
当時のチームメイトには、
小・中学校時代:
古賀琢磨選手(磐田→清水→C大阪)、岩科信秀選手(元清水)、村松幸典選手(元浦和)、
三浦文丈選手(横浜M→京都→磐田→F東京)、古賀正人選手(横浜M→元鳥栖)、藤田俊哉選手(磐田)
高校時代:
古賀琢磨選手(磐田→清水→C大阪)、大滝克己選手(元清水)、武田修弘選手(元V川崎)、
長沢徹選手(現本田技研コーチ、元選手)、相馬直樹選手(鹿島→V川崎→鹿島)、
堀池充洋選手(元FC東京)
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