中津江村はカメルーンの遅刻で大騒ぎ、ロシアは...

 ロシアチームの来清は、当初、5月26日の予定だった。カメルーンが遅刻して大騒ぎしているとき、ロシアは予定より1日早く来てしまった。飛行機問題は公になっていたので、マスコミはロシアがいつ来日するのか、非常に注目していた。我々が来るのを知ったのは、前日だったと思うが、まさか、そんなぎりぎりまで分からないなんていうことは日本人の感覚としては理解し難いので、我々が「いつ来るのか、分からない」と答えると、マスコミは「なぜ、隠すんだ。知らない訳ないだろ」と苛立ちをぶつけてくる。でも、本当に知らなかったんだよね、僕たち。おかげで、市長の出迎え日程や歓迎セレモニー連絡で大慌て。

日程変更

 「一大事」とチーフリエゾンが駆け込んできた。ロシアが「今朝は練習なし。市内でショッピング」いやー、参った参った。清水警察署、ジャスコへ連絡。電話の向こうで目を丸くしている警備課長の顔が浮かんだ。
 モストボイは、滞在時間は1時間といったのに髪を染め始め、一体、何やってんの!。美容スタッフに「1時間で終わって。途中でもいいから終わって」と頼む。美容スタッフ、突然のVIPに浮かれボールや色紙を買ってきてサインをねだる。そんな暇あったら早く髪の毛染めて。ジャスコのこの日、ボールと色紙がよく売れた。

抜き打ちテスト・・・ならぬ、抜き打ちサッカー教室

 「今日、少年サッカー教室をやる」。突然言われても、それは無理。会場どうするの?参加者はだれにするの?せめて翌日にと、大慌てで手配。さすがサッカーのまち清水のノウハウを活かし大成功。よく成功したもんだ。
 ミニゲーム大会の優勝チームは、チームと一緒に写真を撮ろうと言われ、子どもたちはみんな大はりきり。1次リーグ敗退で、それどころではなくなってしまったが、優勝チームにはモストボイとペトロシャンツコーチの生写真付きサイン入り色紙が贈られました。

寝場所

 清水ナショナルトレーニングセンターの宿泊ルームが足りないため、チームスタッフの一部を「サンルート清水」へ分宿させた。大きなおなかを突き出したポリンスキーがチームと帯同できないイライラが重なり大きな声で話す。通訳のブブノフさんに罵声を飛ばし穏やかな彼も怒りで顔が紅赤色化し険悪ムード。ブブノフさんは、あまりに無礼な話で通訳できないと我々に伝えた。ロシア語がわからないためいやな気分にはならなかったがポリンスキーが怒っていることは理解できた。ブブノフさん一人がいやな思いをした。でも、ブブノフさんが我々と同じ立場にいてくれたことが嬉しかった。寝場所がみんなと同じならもっと平和だったでしょう。ホテルに帰る車の手配が悪いとまくし立て、配車担当スタッフが苦労した。何時に帰ると前もって言えば済むのに大人気ない。

ノーと言えない日本人

 日本人は、イエス、ノーをはっきり言わない。外国人は、イエス、ノーをはっきりさせる。日本人は、できないことを「できない」といつまで経っても伝えない。わからないことをわからないとはっきり言わない。ロシア人いわく「日本人は、とてものんびりしている。何でもかんでも時間をかけてやる。すぐ解決することなのに。」日本人の皆さん早口言葉です。わかったの?わからないの?わかったならわかった。わからなければわからないと言わなければわかったかわからないかわからないじゃないの….わかった?