太平洋との遭遇

 先遣隊のスタッフが、選手がリラックスできる場所を教えてくれ、と言うので、どういうところがよいか聞き返したら「景色がよくて、泳げるところがいい」というので羽衣の松へ案内した。「ここは泳げない」と説明したが、海に入って楽しそうに遊んでいた。自分たちが入りたかっただけなのでは?

たったの一ヶ月

 2月27日に日本平スタジアムで行なわれた日本代表チームの紅白戦は、日本で初めての有料公開練習だったが、この企画にGOサインが出たのは、本番まで1ヶ月を切った1月31日だった。チケット原稿の作成をはじめとして、すべてがそのときから始まった。エスパルス、トゥー○ンプロモーション、M商事、○岡鉄道、県警など、普段、Jリーグ運営のノウハウを持つ関係者が集まり、総力を挙げて準備に取り組んだ。
 中でも、S○TEのM月さんが果たした役割が大きい。基本的には、私が総括的な役割を担わなければならないのだが、大事なところは必ず私に確認してくる一方で、あまり重要ではないことは自分で判断してきっちりと仕切ってくれた。また、裏方として表には出過ぎず、根回しは漏れなく行ない、私のところでは処理が難しい仕事をかなりの部分、担ってくれた。時間と膨大な業務に追われていた私にとっては、たいへん有難かった。このようなノウハウと人材の蓄積が「サッカーのまち」の財産なのだとつくづく感じたイベントだった。

チーフエクゼクティブ

 ロシア選手団の代表はツクマノフ・チーフエクゼクティブだった。プサンのファイナルドローのあと、他のHグループの代表者と一緒に写真に写っていた人だ。名目上はコロスコフ会長が団長なんだけど、実質的にはツクマノフさんが仕切っていたんだ。キャンプ地選定の段階から、交渉事は全部、この人とやった。
 ツクマノフさんは元代表選手で、副会長を経て、今のチーフエクゼクティブという地位についた。マスコミには「チーフエクゼクティブって、何て訳すんですか?」とよく聞かれたけど訳がわからない。副会長と会長の間の役なんてないもんね。だから、やっぱり、チーフエクゼクティブはチーフエクゼクティブなんだ!

通訳 ブブノフ アレクサンドル

 「彼がいたからベースキャンプが成功した。」といっても過言ではない。みちのく銀行の協力でロシア代表滞在期間中、清水市でボランティア。彼を通して「ロシア人は、悪くない。」と思った。サハリン出身26才。とてもきれいな日本語を話す。明朗で素直 好青年だった。
 日本人の私たちが知らない津軽弁を話し カラオケは吉幾三の「北国」「酒よ」と演歌の世界。チームリエゾン(世話役)もいたが、ブブノフ氏に頼みやすく何でもかんでもブブノフさん。ロシア側から「清水市との交渉通訳はブブノフ氏を」と希望され、双方の板ばさみになったりいやな思いをさせたことに心が痛む。ブブノフ氏の伝え方で相手方も我々を信用する。とても大切な立場であった。彼の人柄も手伝って我々はロシアと友好的(彼らは我が家のようだ、親戚ができた)に付き合うことができた。ブブノフさん ボリショイ スパシーバ

天皇家の写真集

 われわれスタッフとしては、ロシア代表チームが滞在するということで、右翼のみなさんが大挙襲来するのではないかと、内心、ビクビクしてました。エリツィン大統領が伊東に来たときには数百台の街宣車が来たという実績もあり、本当に来たらどうしようと真剣に考えてしまいました。
 そんなある日、電話をとると、その相手は○○社といういかにもそちら系の名を名乗った。「とうとう来た!」と、緊張して話を伺うと「そちらにロシアチームが滞在するとお聞きしましたが、私どもは天皇家の写真集を発行いたしまして、ぜひ、これを買っていただきたいのですが」と切り出してきた。これは遠回しの脅迫か?と考えたが、とりあえず「そうですか。でも、私どもには必要ありません」と答えた。次にどんな出方をするか、あれこれ考えている暇も無く「わかりました」との一言だけで電話は切れた。「???」とまるで狐に化かされたような気分。次は迫力のある電話がくるのでは?とも考えたが、仕事に追われている間に忘れてしまい、それらしい電話は二度となかった。あれは一体、何だったんだろう?

トルシェ

 日本代表トルシェ監督は、清水にロシアが滞在すると聞いて「日本と対戦するチームなのに環境が良すぎる。食べ物や芝生にいたずらを!(もちろん冗談だった)」それに対して「5月24日まではトルシェの味方だけど25日からは、私たちはロシアの最大サポーター。ロシアを守る。」と宣戦布告。その後、トレセンの芝枯れ事件が発生し もしかしたら犯人はトルシェかも???(これも冗談)