FIFA World Cup 2002 Korea / Japanのベースキャンプの内幕は意外と知られていない。特に清水に滞在したロシア代表チームは「秘密主義」と言われていたが、本当のところはどうだったのか?キャンプの現実について紹介する。
ベースキャンプ地の裏側 2002年8月3日サロン2002総括シンポジウムより
ロシアキャンプが決まるまで
皆さん、こんにちは。清水市から参りました、宮城島と申します。清水市からとご紹介できるのもあとごくわずかと言うことで、静岡市と合併してしまいますので、ちょうど今日、記念になると言うことで感謝致します。ワールドカップが終わってから一ヶ月ほど経つわけで、祭りの後のもの悲しい気分かなとも思います。また、私も市の職員として、やっと職場復帰できたかなというのが現在の状況です。
清水市はロシアチームのベースキャンプを受け入れましたが、はじめに、ロシアに決まった経緯をお話します。
昨年の夏、出張サロン2002ということで、今日、ご参加されている方の中からも何人か、今回のキャンプ施設となりました清水ナショナルトレーニングセンターに来られましたので、トレセンがどのような施設かをご存知の方も多いかと思います。この施設は、普通の市民から、トップアスリートまでが使えるトレーニング施設として、清水市がもともと造りたいと思っていた施設でしたがW杯が開催されるということで、それに合わせてつくることになりました。オープンは昨年の4月です。
当初は、日本代表チームの招致を目論んでいましたが、日本はヤマハの葛城北の丸に合宿地を決めてしまったので他の外国チームに来ていただこうということになりました。それが昨年の11月の初めのことです。私は、その方針が出されてから、日本サッカー協会理事で清水市役所職員としてベースキャンプを担当している綾部さんのもとで、特別にその任にあたることになりました。今、考えれば、日本代表はロシア以上に露出や交流がないし、磐田市がつくった練習場は一回も使われないし、ロシアの方がよかったかもしれません。
誘致合戦の決め手
その頃から、ベースキャンプ地の誘致合戦が始まりました。本来なら、「誘致合戦」ということばはおかしいのですが、とにかくそういう状況でした。日本国内の開催地は大都市と中心に、国内に均等に散らばっているということが特徴としてありました。釜山で行われたファイナルドローの頃には、各出場チームは開催地間の移動を飛行機で考えていました。日本人は便数や正確性から新幹線での移動を考えるところでも、飛行機でないと嫌だと考えていたわけです。それで、清水は近くに飛行場がないので苦戦することになりました。
ファイナルドローの頃には、アルゼンチンと交渉していました。施設内容的にはアルゼンチンは我々の施設を気に入った様子でしたが、アクセス面で気に入らないようでした。釜山には市長と綾部さんほかのメンバーが入っていて、私は他のスタッフと一緒にトレセンの特設事務所で待機していました。あの日は深夜の2時頃まで市長から国際電話がかかってきて、自衛隊の浜松基地が使えないかとか、浜松基地に降りることができる機体にはどんなものがあるかとか、緊迫した声で聞かれるわけです。10年前なら「そんなこと、夜中に突然言われても調べようがない」の一言で済んだのでしょうが、今はインターネットで調べると浜松基地の飛行場の長さがわかるのは当たり前として、マニアックな人が飛行機の種類だの、助走距離などをHPに載せていて、全部わかってしまうのです。答えると、また、次の質問がとんでくる。いい加減にしたらどうか?と思いました。
アルゼンチンは結局、北の方の試合会場が多いFブロックに入ってしまったのでJ−ビレッジを選びました。面白いのは、私がこの任に当たる前にアルゼンチンが視察に来たとき、Fブロックの会場とのアクセスを非常に気にしていたということです。抽選会の前とはいっても、第一シードの南米チームが、FまたはCに分かれるだろうということは予想されないことでもなかったのですが、日本代表スポンサーのアディダスをスポンサーとするアルゼンチンが日本ブロックのFに入り、韓国代表のナイキブラジルが韓国のCに入ったのは偶然か?とスタッフの間では、いろいろと推測したものです。ちなみに、12月4日にアルゼンチンの最後の視察が入ったときには、ほぼ「お詫び」視察ということがわかっていましたので、切ない思いで受け入れました。地元のマスコミを中心に大勢集まりましたので、他のキャンプ地のように子どもたちを並べてお迎えということも考えたのですが、最終的にがっかりすることがわかっていたので、このときはやめました。
狙いはH3
そんなこともある一方で、実際には、利便性や金銭的理由から新幹線利用が増えるだろうということは予測されましたが、それを12月の段階で相手に理解させるのは困難でした。ですから、飛行機利用とは関係のない、われわれは東海道シリーズと呼んでいましたが、開催地が1次リーグの会場になっているH3に入ったチームに的を絞り、アプローチをしました。H3は会場が横浜、神戸、静岡ということで東海道新幹線での移動がベストで飛行機を使いようがないところです。トーナメントに勝ち上がっても、東海道から大きく外れるのは宮城くらいで、清水を選ぶのがベストだといっても過言ではありません。
ただ、問題はHグループですから、日本と対戦するということです。しかも、そのH3に入ったのがロシアということで、内部的にも議論がありました。受け入れには多額の費用がかかりますから日本と対戦するチームの受け入れに市民の了解を受けられるのかどうかとか、ロシアに対しては高齢者を中心にシベリア抑留や北方四島返還絡みの因縁があるがどうかとか、ただでさえ金がかかるのに日本の過激サポーター対策や右翼対策のために警備費がかさむがよいかどうかとか、問題はいろいろとありました。私は個人的には、激しい誘致合戦のもとになった「何が何でも誘致」ということにこだわらず、サッカーのまち清水としては、別の関わり方もあるのではないかと提案しましたし、綾部さんも私に近い立場でした。それでも、もし、選ばれれば喜んで受けようということで待っておりまして、最終的にロシアに選んでいただいたわけです。
ロシアベースキャンプ受け入れの3つの目的
私ども、清水市にとつて、ロシアのベースキャンプの受け入れの目的は3つありました。一つ目は、ロシアチームが活躍できる最高の環境を提供することでした。市民にとってはともかくとして、私たちスタッフにとってはロシアチームはお客様ですから、彼らの成功がわれわれの成功だといえました。ですから、相手が日本だろうが何だろうがロシアが勝つことを常に祈っていました。
二つ目の目的は、トップレベルのスポーツを通じた国際交流とスポーツ振興でした。これは、少年サッカー教室などの交流イベントがあたります。三つ目はワールドカップを機とした地域の活性化・経済振興でした。
ロシアを受け入れるということ
これら三つの目的が果たされたかどうか、ということが今回の私のお話の核になろうかと思います。一つ目のロシアチームの成功については、達成できなかったということが言えるかもしれません。何しろ、1次リーグ敗退ですから。他のキャンプ地では公開練習が多く行われていたようですが、ロシアはほとんどありませんでした。エスパルスとの公開マッチがあった程度です。
実は、彼らは、日本と対戦するということで情報漏れに非常に神経を使っていました。トレセンは日本代表チームも使う施設だということで、われわれのことをスパイだと思っていたかもしれません。初日の練習のとき、市長と助役がグラウンドに来て、何気なく練習を見に行ったところ、すぐにとめられて練習を見るなと言われました。市長と助役だと説明すると「わかった。10分だけ許そう。それも市長だけだ」とのことで、それからは我々スタッフも練習を見る機会はありませんでした。エスパルスとの公開マッチも、やる前までは、野次やら、投石やら、何をされるかわからないと不安だったようで、試合をしたら自分たちのことを応援してくれたと喜んでいたそうです。
そういうふうに思うのも当然で、5月の連休中にトレセンの芝生が枯れるという事件が起こったりして、自分たちが歓迎されていないと思ったのでしょう。芝生事件のときには、除草剤をまかれてひどく芝生が枯れ、一時はショッキングな状況になりましたが、私や綾部さんは、トレセンの芝生メンテナンススタッフが優秀なのが分かっていましたので、たぶん大丈夫だろうなと、あまり心配していませんでした。実際にロシアがキャンプ入りしたときには、ほぼ回復していましたのでまつたく問題ありませんでした。ただ、事件がゴールデンウイーク期間中ではなく、あと2週間遅かったら、修復は間に合わなかったかもしれません。また、この事件で静岡県警察が本気で立ち上がってくれまして、私どもの施設の警備は万全なものになりました。テロですから、国際問題になりかねませんから、県警のメンツをかけて取り組んでくださったのがよかったのだと思います。
右翼の問題も心配としてあったのですが、街宣車も来ませんでしたし、それも警察の方が頑張ってくれたと思います。基本的には右翼の皆さんは、ワールドカップはめでたいことと思っていらっしゃったようで、あまり問題はありませんでした。一度、電話が来て「ロシアが来ているだろう」と言うことで、右翼団体らしい名前を言うわけです。何だろうなあと思っていたら「ロシアが来ているのなら、日本の皇室とロシアは関係があるから皇室の写真集を買ってくれ」と言われましたが、何の関係があるのか全然よく分りませんでしたし、「いりません」との返事をしましたら、素直に電話を切ってくれました。意外に「何でロシアなのか」というクレームは、ゼロではありませんでしたが、少なかったと思います。逆にボランティアの中には、シベリア抑留を経験された方が3名おられまして、ロシア語が出来るからと言うことで、積極的に参加された方もいらっしゃって、非常に良かったと思います。
国際交流と経済振興
2つ目の国際交流とスポーツ振興ですが、主なイベントとしては、エスパルスとの公開マッチのほかに、チームスタッフによる少年サッカー教室や保育所訪問、役員チームと地元のサッカー協会との交流試合などがありました。役員チームとの交流試合は他にはないイベントだったと思います。日本戦の前日に前哨戦をやり引き分けたので、後日、再試合が申し込まれ、5−2で負けました。市民やマスコミのみなさんからは選手が出るイベントが何もなかつたじゃないかと言われましたが、彼らは試合に来ているのだからそんなことは当たり前なので、我々としても、無理なお願いはしませんでした。ただ、最終戦の翌日、もう試合もなく他の予定がありませんでしたし、トレーニングも関係なくなったのでエスパルスドリームプラザへ出かけて買い物でもしようよ、と投げかけました。期間中、選手はトレセンに缶詰め状態になっていてお土産くらい買いに出かけたいという様子があり、チームスタッフも少し気持ちが動いたらしく、事前チェックにはでかけたのですが、結局、実現しませんでした。だから、選手たちはトレセンと試合会場の狭い空しか知らずに母国へ帰ってしまったわけです。それが、すごく残念でした。
三つ目の目的の地域の活性化、地域経済振興ですが、のぼりやバッチ、バンダナなんかをつくったりしてそれなりに盛り上がりました。今日はバンダナをお持ちしまして、お分けしました。これには、サミットの時に小泉首相がプーチンさんに渡したというエピソードもおまけに付きました。これをデザインしたのは自分なのですが、それを言いたくて今日持ってきたのです。ロシアの招致をする中でいろいろとゴタゴタしておりまして、あれもこれもしなければならないと言う状況の中で、こういうどこでも作っているようなグッズ品のことを作るのをかまけていましたら、上の方の人たちがいろいろと勝手に作ってしまいました。それが余りセンスのないものだったので、自分たちでこの程度のレベルは保ちたいと示したいなあと思ったのですが、業者に頼むとたいへんなので、自前で作ることを提案したところ通りまして、それがこのバンダナです。そんなことで、これは人気がありまして、結構盛り上がりました。ほかには、市内の全小学校がそれぞれ応援の千羽鶴を折って、ロシアチームに贈りましたが、彼らはすべて持って帰りました。
経済効果はほとんどなかったと言ってよいと思います。ロシアからのサポーターはロシアサッカー協会のスポンサー関係以外はほとんど来ませんでしたし、マスコミのみなさんも宿泊を伴って清水に滞在した方はそれほど多くなかったと思います。個人的には期待外れと言うよりは当たり前、と考えていますし、清水は他所と違って、経済効果を前面には出していませんでした。中津江村などごく一部のキャンプ地を除いて、経済効果はなかったのではないでしょうか。日本代表ベースキャンプの北の丸やフランス代表の指宿の岩崎ホテルみたいに、自治体主導ではなくホテル主導で収益を狙って誘致したところではホテル自体はトータルで儲かったかもしれません。そもそも、市レベルで経済効果を測定すること自体が、意味のないことなのでそんなことは考えるだけ無駄です。
国際感覚・時間感覚
そんな中で、今ひとつ、市民の盛り上がりにつながりにくかった事情があります。それは、イベントなどの日程が直前にならないと決まらないということです。少年サッカー教室は6月2日の日曜日に行われましたが、実は前日の朝「今日、やろう」と言われたのでした。やることだけは前もって決まっていましたが、日は決まらず、突然、そう言われたのです。参加者の都合もありますので「ちょっとそれは無理です」と答えまして、翌日にやりましょうかということになったのでした。あらかじめ日程がきまっていれば、参加チームを募って抽選で決めると全体としても盛り上がるのですが、時間的余裕がなく、一本釣りで都合をつけて実施しました。参加したチームは喜びましたが、それ以外のチームに広がりがありませんでした。
また、ロシアサッカー協会から、神戸で行われた初戦のチュニジア戦のチケットが市に贈呈されたことがありました。これも、試合前日の朝、突然、500枚贈呈の申し出があって午後3時頃に市役所に届けられたのですが、この処理にも困りました。試合前日で、しかも神戸での試合で、受け取ってみたら500枚以上あって何枚あるかよくわからんという状況で、誰に、どうやって配ったらよいのか悩みました。市の幹部は、その辺を甘く考えていて、内輪で配ってしまおうと考えた人もあるようです。しかし、私は、2月に日本平で行われた代表紅白戦や、ロシアとエスパルスの公開マッチのチケットで、ワールドカップの魔力を思い知らされていたので、市民に配りましょうと主張し、綾部さんや他のスタッフと協力して一般配布することができました。
それを聞きつけた市の職員が先着順の列の初めに並ぶという失態もありましたが、何とか、無事にチケットを配ることができました。私たちの意見が通ったのは、たまたま、市の幹部の出張が重なり、私が実質的な責任者になったことが大きな理由ですが、職員の失態に対して市民のみなさんから寄せられた批判の大きさを考えると、内輪で配るなんてことをしなくてよかったなとつくづく思います。その分、内輪で配りたかった人には非常に恨まれまして、後々、個人的には大変でした。
午前中にロシア側から申し出がありまして、お昼過ぎにコミュニティFMの「FMしみず マリンパル」で「午後四時から1人につき2枚まで先着順で配ります」とアナウンスしました。それしか広報していないのに配布開始時刻には100人以上の方が並んでいました。4時から6時まで配布する予定でしたが、枚数も多かったこともあって、6時の少し前に最後の一枚が配られました。そのとき、配り終わってはじめて、総数が741枚だったことがわかったわけです。「もっと告知をしっかりすべきだ」とか、「事前に分かっていたんだろう」とか、「清水がもらったのに何で神戸サッカー協会に渡すんだ」とか、「行かないでチケットを記念にしている人もいる。本当に行く人に配るべきだ」とか、いろいろと言われましたが、たった一日しかない中で、今回のやり方はベストだったと思います。
私がこのキャンプから得たこと
一つは、ワールドカップの魔力についてです。本大会のチケットが足りないフィーバーしたのは、みなさんもご存知のとおりですが、2月の日本平の日本代表紅白戦やロシア対エスパルス戦のチケットもプラチナチケットと化しました。両者とも、あっという間になくなって、チケットをゲットできなかった方から、恨み節やら脅迫やら、いろんな電話がかかってきました。チケットの発売開始日の前後2日間は、電話がなりっぱなしでした。
特に、代表の紅白戦の時は、本当に電話がとぎれないでかかってきまして、電話を受け終わって置くと、また電話がかかっている、それがずっと続いているという状態でした。電話の内容も激しいもので「訴えてやる」とかいう電話がありまして、事務局で受けるスタッフも殺気立っておりまして、大変でした。日本代表の紅白戦の方は、運営自体を私が担当をしておりまして、チケットの発券も「出せ出せ」と言われても出しませんでしたので、当日もトラブルはありませんでした。
ロシア対エスパルス戦の方は、私が日本代表の時に厳しくチケットを管理してしまいましたので、私は担当を外されてしまいまして、別の人が気持ちよくばらまきました。それと実は、スタジアムの収容能力を超えて来場されたと言うことで、危険な状態でした。その対応に追われまして、会場にいたにもかかわらず、私自身もほとんど試合は観ていません。もう少しで、明石の事故の二の舞という状況でした。
そういうチケットも含めまして、本大会についても、「おまえは仕事柄、チケットを持っているだろう」と言われることが多く、自分でとったチケットも勘ぐられるのが嫌なので、人に譲ってしまって、一試合も見ていません。一試合だけ、ベルギー対ロシア戦は、チームのスタッフを車で乗せて行きましたので、会場に行っています。ただ、運転手のADカードしか持っていないのでトイレにも行けないような状態で、スタンドの下の駐車場で歓声だけを聞いておりました。一回目の歓声を聞いたときには、得点が決まったのかと思いましたが、これは日本対チュニジアの一点目と言うことでエコパのスタンドは揺れていた、とのことでした。その時の歓声は一斉に上がりましたが、そんなに大勢がラジオを聞いていたのかなと不思議に感じました。
二つ目は、国際交流と申しますか、そのギャップです。先程の飛行機と新幹線の件もそうなのですが、根本的な価値観の違いを短期間に埋めることは、非常に難しいことです。特に、担当者が困るのは、先程もイベントの時間が決らないと言うことがありますけど、日本時間と世界時間の違いともしますか、スケジュールが直前にならないと決まらない、と言うことです。
われわれ現場レベルでは、早い時点で相手に合わせることを覚えたのでロシアチームに混乱させられることはありませんでした。他のキャンプで、チームがキャンセルして困ったという記事がよくでていましたが、全部が全部そうかと言われれば違うのですが、相手のチーム、特に監督さんの事情も考えずに、自治体と代理人と大使館当たりで勝手に決めた予定が、その通りに行くはずがないのではないか、というのが現場の感覚でした。私どもは、あらかじめ決まらないものは決まらないのだから、決まった時点ですぐに対応するのがプロだと考えていました。だから、前日やら、当日やらにいろんなことが決まっても、準備や対応は大変ですが、困っているのとは違うと思います。また「できないものは、できない」と言いますし、それでもやはり「サッカーのまち」ですから、サッカーのことに関して出来なかったことと言うのは少なかったと思います。
そうなると、困るのは、その事情の分からない人たちへの説明です。市の幹部やマスコミの人たちは、情報を早く欲しいので私たちを急かします。大体、毎日一度は電話をかけてきて情報を聞き出そうとします。事務局では「分らないものは分らない」「決っていないものは決っていない」という対応をしました。「決りつつある」とか「こういう話しもある」と言うことは言いません。何故かというと、それが決ったように報道されたり、スケジュールに組み込まれたりするからです。スケジュールは勝手に決められないので「Yes」か「No」か、で答えました。そうすると面白くないからか、プレッシャーをかけてきます。私や綾部さんは、そんなプレッシャーは屁でもありませんが、他のスタッフの中には悩んだ人もいるようです。
また、マスコミの皆さんも、自治体の担当者や市長の皆さんが、困ってオロオロするところを撮りたいと思って「それじゃお困りでしょう」と、誘導尋問の様に聞いてくる様なこともありました。しかし、私は「いえ、困っていません」と答えるので面白くなかったと思います。本当に困っていないものですから、仕方がないのですが。困っているのは、日本人が相手に合わせようとしないということです。私たちが困っているのは、市の幹部やマスコミのみなさんなどの同じ日本人に対して困っているわけです。
パブリック・ビューイング
最初は、ベニューで何カ所と決まっていました。JAWOCの方での努力のおかげで、キャンプ地についても条件付きながら、キャンプしているチームのみパブリック・ビューイングを行ってもいいよとのことになりました。その通知のファックスを受け取ったのが、5月17日金曜日の夜7時でした。もう、大会は間近でした。その日はもう週末で、週明けの22日に説明の会議が東京であると言うことで、パブリックビューイングが可能になったことに対しての感謝の気持があるというのと同時に、今頃言われても困ると言う、両方の気持を持ったキャンプ地が多かったのではないかと思われます。実際に、時間的な問題と予算的な問題、場所の問題、それとスカパーが絡むと言うことで自治体がキャンプ地を運営していると言うこともあって、断念したキャンプ地が多かったと思います。
その一方で、清水は行おうと言うことになりました。そう言う難しい背景があっても、清水は日本戦がありましたので、お客様は日本戦だけ入りました。それ以外のロシア戦絡みは、20人から30人くらいしか来ませんでした。日本戦は600人入りました。もし、事前に広報がきちんと出来ていれば、もっと来たのではないかと思います。その日本戦についても、我々はキャンプ地として、ロシアを応援するパブリック・ビューイングを行ったのですが、会場でロシアを応援したのはわれわれスタッフ以外にはロシア人が一人くらいしかいなかったかもしれません。ロシアキャンプの手伝いのボランティアの中にも、日本が勝って喜んでいた人が何人かいましたし。
終わりに
最後に、先程の長岡さんのお話で「約束は約束で、守るのは当然」という事もあったのですが、我々キャンプ地としては「約束は約束で守るのは当然ですが、守られる約束でないと意味がない」、つまり、守られると約束できない、予想できない約束が多かったと思われます。
例えば、ワールドカップの表示ができない問題等に関してはガイドラインが無く、どこまでやって良いのかがサッパリ分らない。それで、我々がどうしたかというと「白か黒か、はっきりさせようとすると全部が黒になってしまうので、灰色のものは灰色のままやってしまおう」というものでした。セキュリティなどには、当然配慮をしますが、それ以外の影響のないものに関しては、時間もかかってしまいますから、事務局でいちいち確認をすることはしませんでした。そう言った点が、開催地とキャンプ地の違いということが言えるかと思います。
《質疑応答から》
◆今後、各地域にどのように残って行くのだろうか?
この話題になってしまうと模範解答になってしまうのですが、一つは、子供達への波及です。我々も交流が少ない中で、出来るだけ子供達を交流の場に参加させる様に努力をしました。個人的になってしまいますが、自分の子供を一人取ってみても、今、幼稚園の年長さんですけれども、出場国の国旗を全部覚えたり、あるいはサッカー選手になりたいと言ってもおりましたが、こういった子供達に対する波及は、相当あったのではないかと思います。それを、今後、活かして行けるようにしたいと思っております。
それと、Jリーグに関しては、我々はエスパルスがありますから、今後も期待をしています。あと、開催地ではないキャンプ地ならではの事として続けて行きたいと思っているのは、特定の国と関わったと言うことで交流を続けて行きたいと思っています。この夏に、全国少年少女草サッカー大会という大会がありまして、今年は男子が240チーム、女子が32チームの合計272チームが参加する大会ですが、こちらの方にロシアのサハリンからチームに参加して頂いて、そして交流をして行こうと予定しております。例えば、少年サッカー教室などでもロシアのコーチに指導をして頂いて、ミニゲームを行いました。条件付きでミニゲームを行いまして、声を出すな、と言う条件でした。日本で指導をする場合、大体もっと声を出せ、と指導をしていると思います。しかし、彼は声を出すなと言いました。その指導者の方というのは、少年サッカー教室などで全国をまわられているような方です。最初は変なことを言うなと思っていたのですが、見ていると意味が分りました。小学生の年代ですと、体格差などが発達の差があります。
毎年、8月に清水で行なわれる全国少年少女草サッカー大会を見ていると、ゴールキーパーとディフェンスの真ん中、あとフォワードの真ん中に160cmくらいの大柄な子が3人にて、その子達が中心になってボールを集めて、そして「キャプテン翼」で言えば「日向小次郎」のようなFWの子が、テクニックとパワーで突っ込んで行く。その彼には、GKがキックを蹴るという場合がよく見られます。声を出している場合、そういった中心選手がチームメイトに指示をしています。
それが悪いと言うことではありませんが、その指導者が言った言葉は「指示された方は自分の判断ではなくて他人の判断でプレーをしている」と。だから、声を出さないでプレーをして、全て自分で見て考えてプレーをしなさいと言うことです。そう言う指導をしていると、そんなに長い時間ではありませんが、動きが違ってくるんです。それまでリーダーだった子は、自分が声を出さないことでパスをもらえなくなり、イライラしていましたが、他の子は非常に能動的に動くようになります。その指導に良し悪しがあると思うのですが、一つ非常に面白いなと言う発見にもなりましたので、今後も交流が続いて行ければと感じています。
◆終わりに
私は、この半年間、凝縮して関わることになりました。この間に、失ったものもあります。私は、プライベートな部分で清水サッカー協会の常任理事もやっておりまして、そちらの方でサッカーの普及をメインに行っております。期間中、そちらの方が疎かになってしまったことが残念です。一番大切なのは、サッカーやスポーツをやる人、観る人、ボランティアさんのように運営に関わっていく人、と言う人達が増えて行くこと、そして内容的な喜びの質も高めて行くと言うことではないかと思います。
そういうことに対して、ワールドカップがどれだけ貢献できたかと、これだけの金と労力を普及の方に別のやり方で行えば、もっと普及は進んだのではないかとも考えます。そういう風に言われないように、今後に活かしていくと言うことをもう少し考えていかなければならないと、私は思います。個人的には、できるだけロシアのキャンプが次につながるように、頑張って行きたいと思っています。
- この文章は、筆者が2002年8月3日に東京体育館で行なわれたサロン2002主催の「ワールドカップ総括シンポジウムでの発表を元に加筆したものである。
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