高校選手権は、単なる高校生の大会に過ぎない。プロを目指す選手にとって、高校選手権は必ず通るべき道ではない。Jクラブのユースチームに入りトップ出場を果たす方が価値がある。
高校サッカーの 限界を感じる
今年の高校選手権、清水商業高校がベスト16で敗れた時、FW佐野裕哉選手が「静岡のみなさんに申し訳ない」と話していた。
静岡県の代表校はつねに優勝候補に挙げられるように、全国大会では最低でも「ベスト4に残らないと恥」とされている。
Jリーグが発足する前、高校選手権が日本サッカー界で最も陽の当たる場所とされていたころは、特にそういう傾向が強かったと思える。何しろ、今回のような成績だと、清水駅から学校まで、わざわざ裏道を通って"こそこそ"帰るようなことをしていたのだから。
指導者は選手のモチベーションや集中力を高めるために「静岡の代表として恥ずかしくない成績を残すように」と選手に繰り返して言い聞かせることがあり、チームの伝統もそういう雰囲気を自ら作り上げてきた。
しかし、今はそういう時代ではなくなった。高校選手権は単なる高校生の大会に過ぎなくなった、といっても過言ではない。
地域のチームが出場すれば応援するし、優勝すれば心から祝福もする。しかし、彼らが正々堂々と戦いさえすれば、1回戦負けでも非難はしない。そういう大会になったのだ。
確かに高校選手権が日本のサッカーを支えていた時代もあった。Jクラブやそれに準じるようなクラブが無い地方の選手にとっては、今でも、高校選手権がJリーグに通じる有力な手段には違いない。ただ、それがベストで唯一の手段ではないように思える。
特に佐野選手のようなずば抜けた才能を持つ選手には、市川大祐選手(清水エスパルス)のような選択をしてもらいたい。いくら高校選手権がレベルの高い大会だと言っても、Jリーグとは雲泥の差があると思う。
高校選手権の決勝で国立のピッチに立つのと、市川選手や和田選手(清水エスパルス)のようにユース登録選手としてJリーグ公式戦を戦うのでは、個人の思い入れの違いはあるにせよ、サッカー選手としての客観的な物差しでは後者の方が数十倍も価値があるように思える。
佐野選手が、普通の高校生として、普通の青春時代を送り、社会人になりたいのならば、高校でサッカーをすることはいいと思う。しかし、静岡というサッカーどころで、他にJクラブという選択肢があるにもかかわらず、サッカー選手として大成するために高校サッカーを選んだとしたら、おおいに疑問が残る。
清水商業高校をはじめとする高校指導者のみなさんの指導が悪いと言っているのではない。ただ高校の部活動は、教育的配慮など部活動の枠を超えられないところに良さがあり、純粋にサッカー選手を育てるためにあるのではないというところに限界があるのだ。
学校制度全体がダイナミックに変わらない以上、学校としての枠を超えたチームがあったとしたら、高校チームとしては失格なのだ。
真にサッカー選手を目指すのなら、「静岡県の代表」などという取るに足らない誇りよりも、Jリーグや日本代表で戦うことの厳しさに価値を見出して欲しい。また、若い選手たちが、そう思えるような環境づくりを日本サッカー協会や各地域の協会が進めなければならないと思う。
この文章は、筆者が「サッカーダイジェスト」誌に投稿し、1999年2月10日号の背番号12コーナーで採用されたものです。投稿した原文とは、大分、改変されていましたが、掲載された文章の方が優れていると判断し本ページ上の文章も差し替えました。(趣旨は、まったく改変されていません)
なお、タイトルは「サッカーダイジェスト」誌でつけていただいたものをそのまま借用しました。また、「てにをは」及び漢字等、若干の変更をさせていただきました。
最後に、掲載してくださった「サッカーダイジェスト」誌には、厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。