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「これ、違う」

「はぁ?」

 舞の呟きに、俺はご飯をかき込むのをやめ顔を上げる。

「何だよ、舞。俺の飯、まずかったか?」

「たこさん。足六本しかない」

「だぁっ」

 摘まれたたこさんウィンナーを前に、俺は机に突っ伏していた。


Kanon哀の激情  「まいんちが日曜日


 あの学校を卒業し、俺と舞と佐祐理さんの三人で暮らし始めて早半年……そんな、とある昼下がりの出来事であった。

「あのなぁ舞、いいじゃねぇかそんくらい……味は変わりゃあしねぇだろが」

「佐祐理は、ちゃんと作ってくれる」

「うっ……」

 舞も痛い所を付いてくる。今日は佐祐理さんがバイトの日で昼の食事は俺の担当である以上、かなわないまでもそれなりの モノを作る必要がある。

「じゃあ舞……それはタコと人間のハーフでその名を『たこじん君一号』だと思え。なら、おかしくないだろ」

「なら足は五本……」

「だまらっしゃい……ほらっさっさと食べた、食べた食器が片づかないだろ」

「………………………」

 釈然としない顔で食事を再開する舞。空腹には勝てなかったらしい。


「お〜い、舞。食器これで全部かぁ?」

「………うん。たぶん大丈夫」

 台所越しに舞の返答がかえってくる。これは舞用語で『そうだ』の意味であり、俺は泡だらけになった食器を勢いよく水で流し出す。

 何せこれさえ済ませてしまえばゆっくりと舞と二人の時間を満悦できるのだから、心なしか皿洗いの速度が増してしまうのも

 愛嬌と言ったモノであろう。


 駅に近くバス・トイレ付きの1LDK、オレ達三人が住んでいる家である。本来なら家賃もそれなりの値になるのだが

 昨年この部屋で首吊り自殺があったらしく、相場の三分の1以下で借りることが出来た。

 俺は何となく嫌な気もしたのだが、

 舞曰く、 『気にしない』

 佐祐理さん曰く、 『その時は四人で楽しく過ごせばいいじゃないですかぁ』

 などと言われてしまえば俺としても反対する理由はなく、そして現在に至っている。

 三人のバイトで生活費を稼ぎ、夜は舞を真ん中に川の字になって眠る………かつて見た夢を現実にすることが出来たのであった。

 ちなみに三人のバイトだが俺は朝夕の新聞配達、佐祐理さんは秋子さんの紹介で保育所のお手伝い。そして舞と言えば……

「出来た、ぞうさん」

「何やってんだ商売道具でぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜っ!」

 フラワーアレジメント。英語で言えば華やかだが日本語で言ってしまえば、造花作りのアルバイトであった………

「あ〜ぁ、花用の紙こんなにしちゃって。これじゃもう使えないじゃないか」

「ぞうさん、可愛い……」

「分かった分かった。今度折り紙買ってくるからそれでタコでもイカでも作ろうな。とにかくこれは仕事用なんだから折り紙にしちゃダメだってば」

「うん………」

 力なく頷く舞。どうやら舞はこの造花用として使う透けるような色をした用紙をえらく気に入ってしまったらしく、

 部屋のあちこちにはこの用紙で作ったくまさんやぱんださんやきりんさんが所狭しと置かれている。

 今やこの部屋は動物園状態であり、今回の注意も一週間もてばいい方だと思っていたりもする。

「ほら舞、一緒に折ろうぜ。そうすりゃさっさと終わるし後は遊び放題だ」

 俺は身につけたエプロンで手に付いた食器洗いの水気を拭き取り座る。紙を掴もうとしたその時、

「私は、迷惑なんだろう?」

 舞の口から、そんな言葉が紡ぎ出されていた。

「はぁ、何言ってんだよ舞。んなこと思うわけ…」

「佐祐理も、祐一も働いてるのに私だけいつも…」

「お前だって働いてるじゃないか」

「でも、私は……一日中、家で遊んでばかりだ」

「舞………」

 舞はそれきり視線を落とし、俯いてしまう。二人きりの部屋に沈黙という名の風が流れる。

 俺は気づいてやれなかった………舞が感情を表に出さない少女だと分かってて、いや分かった気になって満足していただけだったのだ。

 彼女がこんなにも自身を重荷と感じ傷ついていたというのに、言われるまで分かりもしなかった自分が、どうしようもなく……恥ずかしかった。

「なぁ舞、一度しかやらんからな。よく見とけよ」

「?」

 キョトンとした顔で見上げる舞。俺は手近にあったクマの折り紙とタヌキの折り紙を掴み、そして………

『よぉポンポコ、どうしたんだよ暗い顔して?』

 唖然とする舞を無視し、両手に持った折り紙で紙芝居を始めたのであった。

 『何だよハチミツ、今落ち込んでるんだからあっち行っててくれよ』

 『そう冷たいこと言うなよ、友達だろ。借金の保証人以外なら相談にのるぜ』

 「祐一、口動いてな……」

 『じゃあ言うけどさ……オレ、好きな子のことで悩んでるんだよ』

 『誰だいポンポコ、その好きな子ってのは?』

 腹話術………以前、佐祐理さんの働く保育園で園児相手にやった芸の一つ。ぶっつけの割にはなかなかの評判を得たモノであった。

 俺は2匹(2作品)の会話を続ける。

 『舞って言うんだけどさ、無愛想だけど本当は凄く可愛い子なんだよ……
  けどさ、舞は自分が家で遊んでばかりの足手まと いだって思っちゃてるんだよ。どうしたらいいと思うハチミツ?』

 『そういう時はさ、素直な自分の気持ちを言ってやらないとだめだぜポンポコ』

 『自分の、気持ち?』

 首を傾げさせたポンポコに前後に揺すったハチミツ。両手をフルに使って臨場感を表して見せる。

 『そう気持ち。お前、自分が舞ちゃんとやらをどんだけ好きだって言ったか?どんだけ必要な存在なのかって言ったのか?』

 『い、いやその……』

 『好きな子との夢が叶った嬉しさ、仕事で疲れた時でもその子の顔を見れば心を和らげることが出来る喜びとか、
 自分を待っていてくれる人がいることのありがたさとか……ちゃんと言ってやらないとダメなんだぜ』

 「祐一……」

 「だから、ちゃんと言ってやるべきだったんだ……俺はお前といることが、いられることが幸せなんだって。だからそんなこと気にするなって言わないと駄目なんだ」

 もう、作った声は使っていない……既に自分の声、自分の意志を伝えていた。舞に俺が今どれだけ幸せか知ってもらうために……

 「けど、舞が俺のこと嫌いになったって言うなら諦めるしかないか。そうなら佐祐理さんにでも交際を申し…」


   チョップ……


 「……佐祐理は、嫌いじゃない。けど、祐一はもっと嫌いじゃない………だから、嫌だ。祐一は、祐一は……私の祐一だから……」

 力のないチョップが頭に置かれている。俺は両手から折り紙を離し、舞の体を引き寄せていた。

 柔らかく暖かい……俺は舞の鼓動を全身で感じていた。

 「なぁ、俺は今幸せだぜ。勿論佐祐理さんだってそう思ってくれてる。ならいいじゃないか……
 みんな幸せなのに何を迷う必要があるんだよ。そんな悩みは辛くなってから、三人で解決すればいいじゃねぇか………
 幸せってのはそういうもんだと思うぜ」

 「祐一……」

 「舞……、いいか?」

 「ん…」

 ゆっくりと舞は目を閉じる。俺は同じくらいゆっくりと舞の唇に自分の唇を重ねた。自然の流れのように緩やかなキス。たまらなく、嬉しかった。

 「舞…」

 舞の服の中を、空けた右手で探る。

 「祐一、その……」

 「愛してるぜ、ま…」


   チョップ!


 「ぐあっ!」

 脳も裂けるほどの突っ込みに、俺はもんどりうったのであった。

 「舞っ!いきなり何す……」

 既に舞はその場にいない。何故か部屋のすみ、壁を前に正座していた。髪の隙間から覗ける舞の肌は赤く染まっている。
 何故なら……

 「ほぇー、お邪魔でしたねぇー佐祐理ってば」

 我が家第三の住人がそこに佇んでいた。

 「………そんなこと……ない」

 舞は弁解しようとしているが壁を見ながらではまるで説得力がない。一方俺は……

 「お帰り佐祐理さん、早かったね」

 「はい、今日は保育園がお昼まででしたので」

 至って平然と会話を進めていた。

 「今、舞と仲良くしてたんだけど佐祐理さん一緒にどう?三人で仲良しこよし……」

 「あははーっ。そうさせていただきたいのは山々なのですが、舞に怒られてしまいますから『私の祐一さんを取るなって』」

 「そうだよなー舞はラブラブだからなー」


   チョップ! チョップ!


 佐祐理さんと俺に連続チョップを当てる舞。これ見よがしな照れ隠しである。

 未だに自分の気持ちが周りにばれてないと思っているのだから………けれども、そんな所も含めて『舞』なのだから……愛しい存在であることには変わりない。



 「あははーっ、では今日の夕食は舞のお邪魔をしてしまったお詫びに『佐祐理特製スペシャル牛丼』にしましょうね。舞も、それでいいですか?」

 「………相当に、嫌いじゃない」

 俺からも佐祐理さんからも笑みがこぼれる。微妙な変化で分かる舞の喜怒哀楽。目の前の不器用な少女に、俺は思わず訊ねていた。

 「なぁ、舞。俺と牛丼どっちが好きなんだ?」

 「同じ………けど、祐一も嫌いじゃない」


 そんな舞が、俺は好きなのである。



       Kanon哀の劇場3
               まいんちが日曜日  完

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