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『ぜったい、治るから……』
先生は、言ってくれた。
『大丈夫よ、栞。よく寝てちゃんとしてればきっと治るから』
お母さんは言ってくれた。お父さんも言ってくれる。みんな言ってくれた。『ぜったい治る。奇跡は起きるから』と……。
けど、私は知っている。奇跡は起こらないから奇跡というんだってこと。だから……
そんなこと言う人嫌いだった。
ー 奇跡の方程式 ー
刺すような冷たい風が身体に染みる。瞼を閉じても分かるくらいの光が朝を感じさせてくれる。
小鳥のざわめきが聞こえてくる。
私は16歳の、朝を迎えることが出来た。
「………………………」
瞳をゆっくりと開く。感じた通りの朝……迎えることがないと言われていた、奇跡の光景。なんて言うんだろう。こういう時は。
「祐一、さん……」
重荷にならないよう軽く、離さないよう強く抱きしめてくれる優しい人。私に奇跡を願わせてくれた、大好きな人……私を見たら、何て言うんだろう。
起こさないようゆっくりと、私は祐一さんから離れる。祐一さんの手……暖かい。
私を少しでも暖めようとする、優しい手。だから離す前に、私の暖かみを上げた。私の手には、もう……必要ないから。
誕生日のプレゼントとしてもらったスケッチブック。
早速使わせてもらおう。祐一さんの顔……最初のページに描くモノはこれ以外にないだろう。
これを見て、時々でいいから思い出してくれればいい……あなたをこんなにも思う、馬鹿な女の子がいたと。
お姉ちゃんからもらったストール。お姉ちゃんがその分いっぱい思いを込めてくれたプレゼント。これも、祐一さんにあげます。
二人分なら、もっと暖かいと思うから……
「……………祐一さん」
起こしたかった。そして祐一さんの素敵な笑顔が見たかった。けど駄目。それを見たら泣いてしまうから。
祐一さんは優しいから、そんな私を抱きしめてくれるから、だから駄目だ……そんなことをされたら、最後まで泣きやむことが出来ないから。
「さよなら、祐一さん」
そっと、唇を触れさせた。私からした、始めてのキスだった。少し冷えてたけど、祐一さんの暖かみが感じられたからいい。
けれど言いたかった『またね』と、そして……私はその場を後にしていた。
「サガシモノミツカッタンダヨ・・・」
『栞……奇跡は起きたんだよ』
お母さんはそういい、私は今ベッドの上にいる……白衣を着たおじさん、同じ服を着たお姉さんに囲まれて。辺りを白で塗られた部屋の中にいた。
家に帰ってすぐ、お母さんとお父さんが私を迎えた。その後ろにポツンと、お姉ちゃんがいた。表情は変わらない……
でも、お姉ちゃんだけには言っておいた。祐一さんと、最後を迎えたいと。
だから、『よかったね』と言ってくれてるように感じた。
「ボクノネガイハ・・・」
病院の手術室。何でもABCだかDEFだか分からないけどとにかく私とピッタリと一致する、少女がいたと。
だから、私は治るかもしれないと……
私は思う。もしそうなら確かに奇跡だろう。けどその子は死んでしまう。それでも奇跡なのだろうか。そう思ってたら、お姉ちゃんは言った。
『今のままならあなたもその子も死んで終わり。ただ、奇跡が起こればあなたもあなたの中でその子も……二人とも生きてくことが出来るわね』と……
お姉ちゃんは『奇跡』と言ってくれた。お姉ちゃんは『奇跡』を願ってくれた
……なら私も願おう、私も祈ろう。『奇跡』というモノを……もし起きたのなら、真っ先に会いに行こう。大好きなあの人の元へ、たくさんのお昼を買って。
「サイゴノオネガイハ・・・」
天井のライトに照らされ目を閉じる直前。私は見た……横に横たわる、私と同じくらいの年齢の少女を。
どこかで見たことがあるような、栗色の髪をした女の子が眠っているのを……
「ユウイチクンノタメニ・・・」
クーラーボックスにあったアイスを全部買った。今月のお小遣いを全部使い果たしてしまったけど仕方がない。これが約束なのだから。
あの人の姿が見えた。私は物陰に隠れてしまう。まだ、心の準備が出来ていない。
初めは笑顔と決めているのだ。今出ていったら涙がばれてしまう。
『何も、言ってないから』
今日の朝、お姉ちゃんは言った……『自分で言え』との意味だろう。一歩目を踏み出す。
ちゃんと言わなければならない。奇跡は、起きたのだと。
背を向けたあの人に、一メートルの距離まで来た。何て言おう、何て切り出そう。言いたいことがいっぱいありすぎて逆に出てこない。
そうしたら、私の気持ちが届いたのであろう……祐一さんが、振り向いてくれた。
次の瞬間、ゆっくりと笑みを作ってくれた。私を迎えてくれるように……
だから私は思った。『奇跡は、起こしたいから奇跡なのだろう』と……だからこそ、神様は私を最愛の人の元へ送り返してくれたのだから。
Kanon哀の激情4
奇跡の方程式 完