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<ピンクの傘>
〜里村 茜〜


「だから嫌なんだよ」
オレは今、雨の中を走っている。
何のことはない、いつものように学校に遅刻しそうなだけなのだが、
今日は少しわけが違った。
毎日やかましく迎えに来るはずの幼馴染の瑞佳が隣にいない。
なぜ来なかったかはわからないが、おかげでこのざまだ。
しかしこの際そんなことはどうでもいい。
とにかく遅刻を免れるためにオレは走るしかなかった。

学校の昇降口に着いた時には、全身ずぶぬれだった。
「なんとか、間に合ったな・・・」
一人息を切らせながらつぶやいていると、後ろから
「・・・風邪、ひきますよ」
という声とともに、オレの頭にタオルがかけられる。
振り返ると、長く太い二つのお下げ髪の女の子が立っている。
「よう、茜」
しかし、茜はそれを無視するように歩いていってしまう。
「おい、待てよ」
その声に少しだけ振り向き、
「・・・遅れますよ」
オレも頭を拭きながら慌てて隣に並び歩く。
「タオル、サンキュな!」
顔をのぞき込みながら言うと、茜は少しだけ笑ったように見えた。

今日は土曜日、帰りのHRも終わり教室を出ると、
前を茜が歩いていた。
「早いな、もう帰りか」
「はい」
「雨、やんだな」
「そうですね」
「もう、降らないかな」
「分かりません」
う〜ん、どうにも会話が弾まない。
ただのクラスメイトなのだから、こんなものなのかもしれないが。
しかし、今日のオレは茜に借りがあった。
そこで、
「今からどこか行かないか」
「・・・嫌です」
相変わらずのその言葉。
いつもならひるむところだが、今日は切り札あるのだ。
「前に食べそこなったたい焼きを食べに行こうと思ったんだけどなぁ」
「行きます」
即答され、少し唖然としていると、
「早く行きますよ」
オレは慌てて、その後を追った。

「まったく、甘いものに目がないんよだなぁ、茜は」
たい焼き屋の屋台までの道のりに色々と話し掛けたのだが、その度に
「・・・早く」
「それしかないのか・・・」
オレがつぶやいたときには、茜はもう歩き出していた。

「ここ・・・なんだけどな」
そこにはたい焼き屋の姿はなく、ただ閑散としているだけだった。
「昼前まで雨だったからか・・・」
振り返ると、本当に残念そうな顔の茜がいた。
「・・・たい焼き」
「ごめん、また食べられなかったな」
「・・・はい」
「じゃ、いこうか」
「・・・・・・はい」
力なく歩く二人の下に空から滴が落ちてきた。
「また雨か・・・」

結局寄るところもなく商店街のあたりまで来ると、風が強くなってきた。
隣で茜が必死になって傘を抑えている。
「大丈夫か」
「平気です」
平気なようには見えないのだが・・・。
その時、突風が茜の傘をさらった。
「あっ」
走って取りに行こうとするその前から車が、
キィーーーーーーーッ!!
「あぶない!」
オレはとっさに茜の方へ跳んだ。
「茜っ大丈夫か!」
何が起きたのかわからず呆然としていたが、やがて
「・・・・・・なんとも、ないです」
しかし、ほっとしたのもつかの間、
茜が車の方を見て悲しそうにつぶやいた。
「・・・・・にい・だ・・のに」
「え?」
オレもその方を見てみると、ピンクの傘が無残な姿をさらしていた。
「そうか、お気に入りだって言ってたよな」
「・・・・・・はい」
「でも、体が無事でよかったな」
反応がない。
「たい焼きのかわりに、新しい傘を買いに行こうか」
明るく言ったつもりだったが、
茜はその場に座り込んだまま動こうとしない。
「ほら、立てよ」
オレは茜の手を取り無理やり立たせる。
「・・・もう帰るか?」
やはり反応はなかったが、家まで送ることにした。


今日は日曜日。
普段ならゲームセンターにでも行く所だが、
この日に限っては予定があった。
あの傘を買いに行く。
オレは眠い目をこすりながら家を出た。

茜の持っていた傘は、近くの商店街にはなかった。
「やっと、あったな」
三つ隣の駅前でそれを見つけたときには、もう日は暮れていた。


月曜日の朝、いつもより早く目が覚めると外が妙に暗かった。
「また雨なのか」
オレはすばやく起き、朝食もそこそこに二本の傘を持ってあの場所へ向かった。
そう、いつもの空き地に。

そこにはすでに、先客がいた。
「よう、また来てたのか」
答えはない、しかしその姿を見てオレは目を丸くした。
いつもと変わらない、そう全く何の変化もない・・・傘までもが。
「どうしたんだ、その傘は」
茜は、やはりいつもと同じ表情で
「・・・買ってきました、お気に入りですから」
「そうか」
力なくうなずくオレ。
しかしそこで茜は、珍しくというより初めて見せる顔で
「それ、どうしたんですか」
「ああ、これか。買ってきたんだけど、もういらなくなったな」
「そう・・・ですか」
沈黙がどれくらい続いただろう。
だが、あまりこうもしてはいられない。
「さあ、遅刻しないうちに行くか」
「・・・はい」
歩き出す俺、しかし茜はぼーっとしたまま動こうとしない。
「どうした?」
「・・・それ、ください」
「へ?」
「その傘です」
「ああこれか、でも二本も要らないだろう?」
「ですから、これをあげます」
と、自分の持っている傘を差し出す。
何を言っているの理解できないオレに向かって
「ぬれます」
「ああ、分かった」
同じ傘を交換する。
今度はオレがぼーっとしていると
「・・・遅れますよ」
「ああ」
並びながら少し歩いたところで
「・・・・・・とう」
「え、なんかいったか?」
「ありがとう」
「・・・ああ!」
今日からは、少しは雨の日が好きになれそうだ。

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