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< 夢想の住人 >
「病気というわけではないのだ…」
聖は湯のみを置くと、言葉を選びながら
容態を語る。
「見知らぬ人に突然話かけたり…突拍子のないことを繰り返す」
「………」
「…見た目は…穏やかなだけに…な」
目を閉じて――
過去の情景を紡ぎながら
瞼の裏に繰り広げられているであろう過去を思い描く。
俺は、続きを待った。
「…それで…」
弱すぎた人の心が生んだ悲劇――
いや、それを責めるのは酷というものだ。
「心が麻痺しているのか…精神は不安定なままだ」
けれど
あいつを思うと…俺は……
それに、人はそんな簡単に
我が子のことを忘れてしまうものだろうか
「くっ!」
「かわいそうに…」
意識せずに、体が震えだす。
凍っていた俺の心が、怒りと――悲しみに…
「だから…だからって…」
もし、俺が同じ立場に置かれたら…
耐えられるものだろうか?
「いくら名前を忘れたからってっ
――“ヨシノブじゃないほうの高橋”はないだろっ!」
い、いくら…
いくら存在感が薄い新人でも…九勝もあげてるんだぞ!
「ヒサノリがあまりにも哀れじゃないかっ!」
「…私に言われてもな…」
もっともな回答。
だけど…俺の怒りは収まらない…
「それに、普通、自分の子供を球場に置き忘れるか! さすがのカズシゲでも傷つくだろっ!」
「………」
沈黙が、あたりを支配する。
どうしようもない、無力感――
「…治せないのか?」
「………」
「なあ? 佳乃はあんたなら人でも車でもなんでも治せるって…」
聖は、冷めた瞳を返して
「…無理だ……」
そして、視線を逸らすと
窓の外に目をやりながら、呟いた。
「…現代医学が…すべてを治療できると思ったら…間違いだ」
「………」
「あの人はもう…我々には手に負えない存在なんだ」
そのころ――
東京ドーム…
『さあ、バッター川相。これで最後のバッターとなるか』
九回裏
2死満塁…
そのとき、ベンチが動く!
『おっと、ナガシマ監督からベンチからサインを送ってますねー』
サッサッ
“ホームラン ヲ ウテ”
「無茶言うなー!」
(おわり)