戦史編纂室
1937年5月、グリューネラント地方の独立宣言によって硅緑内戦が勃発し、陸上では激しい戦闘が繰り返された。一方アドリア海に目を向けてみると、グリューネラントが海に接していないため海戦が発生する故もなく、海賊・空賊の跳梁を除けば比較的平穏であった。しかし、内戦中盤に大きな転機が訪れる事となる。
グリューネラントは当初よりマインファルケンの確保を目的としており、その目的達成の暁にはマインファルケンに独自海軍を配置する事を標榜していた。そのため、以前からグリューネラントはドイツのキールに人員を派遣して海軍軍人としての教育・訓練を受けさせ、内戦勃発後には正式に「グリューネラント国民海軍」として編制していた。グリューネラント海軍は当初キールおよびその近海のみで活動を行っていたが、イタリアの黙認および反ケルンテン活動を行う海賊の協力を取り付ける事に成功し、マインファルケン沖の西トーテンコプフ島に新たな活動拠点を得る事ができた。そこでグリューネラント海軍は西トーテンコプフ島へ極秘裏に潜水艦を配備する事とした。記録が残されていないため定かではないが、10月上旬に最初の潜水艦が西トーテンコプフ島へ到着した様である。
西トーテンコプフ島への潜水艦配備以降、ケルンテン船籍の艦艇はグリューネラント海軍の潜水艦によって拿捕・撃沈される危険が大幅に増すこととなった。そこでケルンテン海軍は人員の増員、新型艦艇の建造を行いこれに対抗した。こうして、双方ともに態勢が整い始めた1937年12月より、両海軍間での戦闘が勃発する様になった。当初は小競り合い程度の規模であったが、双方共に投入戦力を拡大していき、次第に戦闘の規模は大きくなっていた。その後、グリューネラント海軍はドイツ海軍に編入されてしまうが「海賊」と称してケルンテンに対する戦闘をケルンテン占領まで継続していった。
以上が硅緑内戦に伴うアドリア海での戦いの主な経緯である。これらの戦いの中には双方共に大きな損害が出た戦闘もあれば、互いに一切の損害が出なかったものまで色々とある。今回は1937年12月から1938年8月までの間に行われた海戦のうち、主立ったものを幾つか紹介してみたい。
グリューネラント海軍は通商破壊を目的として活動していたため、航路上を単独航行する商船を襲撃する事が度々あった。グリューネラント海軍による最初の商船撃沈は1937年12月24日のUFによるタンカー撃沈であった。UFは続けて26日にも貨物船1隻とタンカー1隻を撃沈している。しかし、1938年1月から3月にかけてUFは修理および改造のため出撃できなかった。そのため、この期間の襲撃は全て不調に終わっている。
グリューネラント海軍による再びの戦果は4月上旬になってからであった。改修を終えたUFがスエズ航路を襲撃し、タンカー2隻と貨物船3隻を撃沈すると言う大戦果を上げた。もっともこれは、ケルンテン海軍がスエズ航路に水上機1機しか配備しておらず、しかも事前にグリューネラント海軍が水上機2機がかりでケルンテン海軍機を撃墜していたため、全くの無防備状態であった事が最大の原因であろう。実際、4月30日のジブラルタル航路襲撃では
ケルンテン海軍護衛戦力と言う護衛戦力に対して航空機Se29 1機艦艇
Se32 1機(陸軍機)機動砲艇4号
水雷艇1号グリューネラント海軍襲撃戦力と言う戦力を投入したが、ケルンテン海軍によって阻止され戦果を上げる事ができなかった。航空機Ar196 1機艦艇
He114 1機VU
UE
なおこれ以降、グリューネラント海軍は泊地攻撃を多様し、ケルンテン海軍は船団による護送を始めたため、航路上での襲撃はあまり行われなくなっていった。なお、ケルンテンが船団を組織してからの襲撃については別項として紹介してあるので、そちらを参照してもらいたい。
この海戦は1937年12月9日未明に、トーテンコプフ諸島沖で警戒を行っていたケルンテン海軍第一警戒艦隊とグリューネラント海軍潜水艦UFが遭遇した事によって発生したものである。
参加艦艇
ケルンテン側水雷艇1号
水雷艇2号
グリューネラント側UF
その夜、UFは操艦訓練のために潜航と浮上を繰り返してた。そして、たまたま浮上したところを水雷艇2号に発見されてしまった。UFは急速潜行で逃げようとしたが、注排水装置に故障が発生して潜航できなくなってしまった。一方、水雷艇2号は全速で接近しつつ2本の魚雷を発射した。その魚雷は1本が命中したが、何と不発であった。水雷艇2号とUFはそのまますれ違いざまの砲撃戦に入った。水雷艇2号は4センチ機関砲で司令塔などに損害を与えたが、UF側の3.7センチ砲と8.8センチ砲の命中により後部甲板に大きな損害を受けた。この結果、水雷艇2号は交戦よりも負傷者の救護と損害復旧を優先させる事とし、UFはその隙に魚雷命中の衝撃で稼働するようになった注排水装置を使って潜航し、戦域を離脱した。
損害
ケルンテン側中破水雷艇2号戦死者 7名
負傷者 9名
行方不明者 2名
グリューネラント側小破UF負傷者 7名
1937年12月25日、ケルンテン海軍全体に対して非常呼集がかかった。ブラウナウ湾で謎の巨大物体が発見されたためである。この時点ではまだ巨大物体に特定の呼称は無いが、今回は後に使われる「タコラス」という呼称で統一させていただく。
タコラスはマインファルケン方面へ移動を行い、明けて1月15日には遂にマインファルケン湾外にまで到達した。ケルンテン海軍は「タコラス」の市街突入を阻止すべく、全稼働艦艇を投入してこれを撃退する事とした。それら艦艇の配置は、
湾外となっていた。機動砲艇1号湾口カイゼリン・ニャウクター湾内
水雷艇1号
水雷艇2号
哨戒艇4号機動砲艇2号洋上待機
機動砲艇3号
機動砲艇4号
哨戒艇1号
哨戒艇2号
哨戒艇3号バウメルン移動中シュマックハフトニャウクターハーフェンげんごろう 1機航空隊
タコリーナ 1機
Ze−514B 2機
Gu−208E 1機Se29 2機
Se32 1機(陸軍機)
1月15日正午過ぎ、湾口へ現れた「タコラス」と機動砲艇1号が交戦し、機動砲艇1号は4センチ砲を操作員ごともぎ取られる損害を受けた。さらに1機のSe29が体当たりを行った。機動砲艇1号はこの損害ため、ナハトブラウ川を下ってきたシュマックハフトと交替して基地へ引き返した。しかし、河川砲艦を外洋で運用する事に無理があったのか、シュマックハフトは翼16日午後に「タコラス」と交戦して撃沈されてしまった。
翌17日、「タコラス」は湾口に現れ、カイゼリン・ニャウクター、水雷艇1号、水雷艇2号、哨戒艇4号の4隻と交戦した。しかし、「タコラス」はカイゼリン・ニャウクターの水兵を何人か引きずり込むと、潜航して姿を隠してしまった。そこで海軍は防水型エカテリーナと「げんごろう」を投入して水中からの攻撃を試みたが、反撃を受けて防水型エカテリーナを喪失してしまった。夕方には湾内部隊6隻、さらにはニャウクターハーフェンの陸上機まで投入されたが、成果を挙げることができないでいた。
そして17時52分、ついにベハーゲンまでもが投入される事となった。ベハーゲンは接岸したままの状態で30戦砲弾を発射し「タコラス」に命中させた。なぞの巨大物体「タコラス」も30センチ砲弾の直撃には耐えられず、ケルンテン海軍はついにこれを撃滅する事に成功した。
ケルンテン海軍の損害沈没シュマックハフト小破
内火艇 1隻
防水型エカテリーナ 1機機動砲艇1号墜落
カイゼリン・ニャウクターSe29 1機死亡者 43名
負傷者 21名
この海戦は、ケルンテン海軍によるトーテンコプフ諸島近海でのグリューネラント海軍・海賊掃討作戦「アルゴナウト」の実施によって1938年3月22日に発生したものである。
「アルゴナウト」はケルンテン海軍の稼働艦艇ほぼ全てを投入した、対グリューネラント海軍・海賊戦としては初めての大規模作戦であった。その参加艦艇は、
A部隊(昼間任務)である。A部隊とB部隊との間に大きな戦力差が存在するが、これはグリューネラント海軍・海賊が主に夜間活動を行っていたためと思われる。そしてこの内、B部隊とグリューネラント海軍・海賊の間で戦闘が行われた。カイゼリン・ニャウクター(予想)B部隊(夜間任務)
機動砲艇2号(予想)機動砲艇1号(旗艦)
機動砲艇3号
機動砲艇4号
水雷艇1号
水雷艇2号
哨戒艇1号
哨戒艇2号
哨戒艇3号
哨戒艇4号
輸送艦バウメルン
防水型エカテリーナ 2機
22日の夜、機動砲艇1号に搭載された新型警戒レーダーが島影に艦影(フィリブス・ウニティス以下VU)を発見した。まず速力のある機動砲艇3隻が接近して砲撃を行ったが、3隻ともVUの砲撃を受けて戦闘力が低下し1号艇は離脱を余儀なくされた。しかし、機動砲艇側も至近距離からの砲撃でVUにかなりの損害を与えていた。そのうち、速力の遅い哨戒艇4隻も戦闘に参加し、形勢はケルンテン海軍側へと傾いたかに見えた。しかし、ここでグリューネラント海軍がVU救出のために、新たに配備された魚雷艇S1を投入してきた。このS1は哨戒艇3号を中破させた後、VUの離脱を支援するための牽制行動を行った。このため、ケルンテン海軍はVUに止めを刺すべく警戒のために戦闘へ参加していなかった魚雷艇2隻も投入したが、S1の妨害行動によって取り逃がしてしまった。こうして、第二次トーテンコプフ沖海戦は幕を閉じた。
ケルンテン海軍の損害大破グリューネラント海軍・海賊の損害機動砲艇3号中破
機動砲艇4号機動砲艇1号戦死者 7名
哨戒艇3号
負傷者 42名大破高速戦闘艇フィリブス・ウニティス戦死者 4名
負傷者 24名
この戦闘は、1938年4月30日に実施された「ケルベロス」作戦にともなって発生したものである。この「ケルベロス」作戦は今までの消極策とは異なり、西トーテンコプフ島そのものを襲撃すると言う、今までにない積極的かつ大胆なものであった。その内容は陸軍航空隊が焼夷弾で地上施設を焼き払った上で海軍陸戦部隊が上陸を行うと言う、初の陸海軍協同作戦である。この作戦に参加した航空機・艦艇・装甲戦闘猟兵は
航空機となっていた。積極策と言う割に前回の「アルゴナウト」よりも投入戦力が少ない。これは「アルゴナウト」の際にケルンテン海軍のほぼ全艦艇を投入したところ、手薄となった商用航路で商船を撃沈されてしまったため、商用航路での警戒にも戦力を割く必要が認識されたためであった。Se32 5機艦艇
S&M1 4機カイゼリン・ニャウクター装甲戦闘猟兵
水雷艇2号
哨戒艇2号
哨戒艇3号
哨戒艇4号防水型エカテリーナ 2機
一方、グリューネラント海軍・海賊側は艦艇・航空機のほとんどが襲撃のために出払っていたため、迎撃に投入出来た戦力は、
艦艇のみであった。S1装甲戦闘猟兵リュフトフェン 4機固定砲類 多数
シュツルムG型 1機
まず、速力のある戦闘爆撃機部隊が上空に到着した。Se32は焼夷弾で高射砲陣地を一つ焼き払い、続いて到着したS&M1の爆撃で戦艦の主砲塔を流用した要塞砲台を一つ破壊してた。しかし、航空隊も対空砲火によってほぼ全機が損傷し、うち1機のS&M1が撃墜された。
また、空襲と当時にカイゼリン・ニャウクターも砲撃を開始した。複数の砲兵陣地を破壊したものの、要塞砲の直撃を受けて浸水が発生、傾斜が進み砲撃も困難になった所で海岸に乗り上げた。そして乗員を陸戦隊として上陸させた後に集中砲火を浴び、そのうち弾薬庫に直撃を受けて船体は爆発四散してしまった。上陸した陸戦隊も、機関銃陣地とリュフトフェン1機から攻撃を受け大半が戦死したが、水雷艇2号支援を受けて何とか島外への脱出に成功している。
一方、カイゼリン・ニャウクターから発進した2機の防水型エカテリーナは地下軍港へ潜入した。しかし、迎撃に出てきたリュフトフェン2機は難なく撃破したが、その後に出てきた1機のシュツルムG型と両機と相打ちとなってしまい、施設や艦艇の破壊を行うことは出来なかった。
最後に哨戒艇2号とS1との間で水上戦闘も発生していた。しかし、哨戒艇2号は地上攻撃を目的としてロケット砲を搭載しており、Sボートと交戦を行える状態ではなかった。そのため、哨戒艇2号はロケット弾を投棄して、そのまま離脱してしまった。
この作戦はケルンテン側が損害に耐えられず撤退しか事によって終結した。しかし、グリューネラント海軍・海賊側も多数の工員が死傷した上に作業用リュフトフェン4機のうち3機を失い、、施設にも復旧に2ヶ月を要する損害を受けていた。
ケルンテン海軍の損害喪失グリューネラント海軍・海賊の損害カイゼリン・ニャウクター墜落
防水型エカテリーナ 2機Se32 1機死傷者 不明(数十名)
S&M1 1機喪失リュフトフェン 3機大破
30cm三連装砲塔 1基
20cm以下要塞砲 11基シュツルムG型 1機死傷者 不明
この海戦は、4月30日の深夜にグリューネラント海軍がマインファルケン港を襲撃した事によって発生した。グリューネラント海軍はこの襲撃作戦にUFと「げんごろう」を投入していた。一方、湾内で警戒を行っていたケルンテン海軍艦艇は哨戒艇1号1隻のみであった。そのため、UFは容易に雷撃位置はで移動する事が可能であった。そしてUFは大型貨物船に対して2本の魚雷を発射した。
哨戒艇1号は雷跡を発見し、1本を機銃で破壊したが、もう1本が命中し貨物船は撃沈された。その後、哨戒艇1号は雷撃位置へ移動し爆雷を投下した。UFは敵の裏をかくため敢えて移動を行わなかったが、そのため多少の至近弾を受け停電が発生してしまった。UFは海底まで沈降する事によって、爆雷を何とか切り抜けることができた。
先行して湾内に潜伏していた『げんごろう』は、哨戒艇1号がUFに気を取られている隙に行動を開始した。『げんごろう』は哨戒艇1号の爆雷が切れたとろを見計らって接近し、ハサミを使ってこれを撃沈した。哨戒艇1号撃沈によって湾内は完全に無防備状態となり、損害を復旧したUFは合計で、大型タンカー1隻、大型貨物船2隻、小型貨客船1隻を撃沈した。
ケルンテン側の損害沈没グリューネラント側の損害哨戒艇1号死傷者 不明
民間商船 4隻小破UF
1938年5月31日、先月損害を与えた西トーテンコプフ島に止めを刺すべく、再度の襲撃作戦が実行された。その参加戦力は
航空機と、今までに比べてさらに少ないものであった。なお、航空戦力には4機のS&M1も投入される予定であったが、陸軍航空隊との連絡に不備があったのか作戦には参加していなかった。また、今までの作戦は夜間に実施されていたが、今作戦は航空隊の利便を考えてか白昼に実施される事となった。Se32 4機艦艇哨戒艇3号
哨戒艇4号
しかし、少数での白昼攻撃はやはり無謀であった。航空部隊はたちまち高射砲の集中砲火を受け、攻撃できないままに損害を受け引き返す事となってしまった。さらにその際、1機のAr196に背後を取られ、Se32が1機撃墜されてしまった。
海上部隊はさらに無謀であった。哨戒艇の火力では不十分と考えたケルンテン海軍は、哨戒艇3号と4号の間に板を渡して連結し、その板の上に15センチ砲を設置していた。しかし双胴船に改造したところで哨戒艇に15センチ砲は過大すぎ、砲撃は全く安定していなかった。逆に要塞砲からの集中砲火を浴び、3号艇と4号艇ともに爆沈してしまった。
ケルンテン側は投入戦力の大半を失う大損害を受けたが、グリューネラントには全く損害が無いと言う一方的な結果に終わった戦闘であった。なお、ケルンテン海軍は方針を転換してトーテンコプフ諸島に対して攻撃を行わない事としたため、これが最後の西トーテンコプフ島襲撃となった。
ケルンテン海軍の損害沈没哨戒艇3号墜落
哨戒艇4号Se32 1機死傷者 約30名
この海戦は、5月31日の深夜にグリューネラント海軍が先月に続きマインファルケン港を襲撃した事によって発生した。グリューネラント海軍は新たに配備されたUUとシュヴィムケーファー2機を襲撃作戦へ投入していた。一方、ケルンテン海軍側は先日編成された輸送船団に艦艇の大半を割り振っていたため、湾内で活動を行っていたのは1機の防水型エカテリーナのみであった。そこでグリューネラント海軍は、まずこの防水型エカテリーナを排除してから商船を攻撃する事とした。
2機のシュヴィムケーファーは防水型エカテリーナを前後から挟み撃ちにした。防水型エカテリーナの反撃で1機に損害が出たものの、2機がかりで四肢を切断して無力化する事に成功した。こうして、UUは脅威の無くなった湾内で難なく行動する事ができ、大型貨物船1隻と中型タンカー1隻を撃沈した。
ケルンテン側の損害沈没グリューネラント側の損害防水型エカテリーナ 1機死傷者 不明
民間商船 2隻小破シュヴィムケーファー 1機ケルンテン海軍は、グリューネラント海軍・海賊の航路襲撃を阻止する事が出来ないでいた。そこでケルンテン海軍は広く薄く艦艇を配置する従来の方針を転換し、輸送船団を結成してこれを集中的に護衛する事とした。護衛艦艇は第1戦闘艦隊を主力として編成された。
ケルンテン海軍参加艦艇この輸送船団には12隻の商船が参加する事となり、5月20日の早朝にマインファルケンを出港した。この往路船団は襲撃も受ける事無く航海を続け、29日にギリシャ近海で解散した。そして引き続きマインファルケンへ向かう船舶を集めて復路船団が編成された。しかし、グリューネラント海軍は24日時点で輸送船団を発見しており、ケルンテンへ物資を運ぶ復路船団を攻撃すべくその航路上で待ち伏せしていた。レヒフェルト
イーリス
水雷艇1号
哨戒艇2号
機動砲艇2号
機動砲艇4号
バウメルン
グリューネラント海軍側参加艦艇1938年5月31日、2隻の潜水艦は輸送船団を発見した。2隻はこれに対して雷撃を行い計5隻の商船を撃沈すると、そのまま最大潜航深度まで潜り爆雷をやり過ごそうとした。一方、ケルンテン海軍は水中雑音のため潜水艦を補足できず、2時間にわたって爆雷攻撃を行ったものの潜水艦に損害を与えることすら出来なかった。 こうして、輸送船団を巡る最初の攻防はグリューネラント海軍側の一方的な勝利に終わった。UF
UE
ケルンテン側の損害沈没民間商船 5隻死傷者 不明
この戦闘は、1938年6月18日深夜にグリューネラント海軍による「灼熱の海」作戦の実施によって発生したものである。この作戦は、陸空両面からマインファルケン火力発電所を襲撃すると言うものであった。その投入戦力は、
航空機であった。He115 3機装甲戦闘猟兵
He114 1機
Ar196 1機
Do24 1機
ニューポール・ドラージュ29 1機
ソッピース・キャメル 1機げんごろう 1機歩兵
シュヴィムケーファー 2機工作部隊(人数不明)
しかし、この作戦は事前にケルンテン側で察知されており、万全の迎撃態勢がとられていた。ケルンテン側が迎撃に投入した戦力は、
航空機であった。数字上の航空戦力はほぼ同等であるが、グリューネラント側の大半が大型機でかつ爆弾を搭載しているのに対して、ケルンテン側は全機が身軽な戦闘機と、その戦力差は圧倒的であった。しかも、ケルンテン側はこれら戦闘機を上空待機させていたのだった。Se32 2機(陸軍)艦艇
Da5 2機(陸軍)
Se29 2機機動砲艇3号装甲戦闘猟兵防水型エカテリーナ 3機
航空戦の結果は一方的なものであった。まず2機のSe32が上方から攻撃を行い、He114と1機のHe115を大破させた。その後、陸軍航空隊機は大型飛行艇Do24に2発目の新型爆弾が搭載されていると誤認し、執拗にこれを狙った。そのため、他の機体は大きな損害を受けながらも何とか離脱する事に成功している。ただし、ニューポール・ドラージュ29とソッピース・キャメルは同じ複葉機である海軍航空隊のSe29に狙われ、両機とも撃墜されてしまった。
また、海兵隊で構成された工作部隊も待ち伏せにあっていた。しかし、作戦失敗に気付きすぐさま撤退したため、損害は戦死者1名に抑えることができた。
一方、湾内には発電所攻撃の支援のために、水中用装甲戦闘猟兵3機が侵入していた。しかし、こちらでも機動砲艇3号と3機の防水型エカテリーナが待ちかまえていた。グリューネラント側機体の動きは水中聴音機で把握されていたのだ。先制攻撃を受けたグリューネラント側は不利を悟り、即座に撤退を行った。しかし、『げんごろう』が防水型エカテリーナ1機に捕まり、格闘戦のために双方ともに浸水が発生して沈没してしまった。
この作戦はグリューネラント側が一方的に損害を受けると言う結果に終わってしまった。しかしながらこの作戦とは別に、ケルンテン海軍が迎撃に出払っている隙をついてグリューネラントの工作員が海軍基地内で破壊工作を行い、航空隊宿舎全焼と海軍技術研究所爆破という成果を上げるこもができていた。
グリューネラント海軍の損害墜落Do24 1機沈没
ニューポール・ドラージュ29 1機
ソッピース・キャメル 1機げんごろう 1機大破He114 1機小破
He115 2機Ar196 1機戦死者 11名
シュヴィムケーファー 1機
ケルンテン海軍の損害沈没防水型エカテリーナ 1機戦死者 1名
航空隊宿舎 全焼
海軍技術研究所 損壊
この海戦は、先にケルンテン領内への挺身突撃の末に壊滅し、地下へ潜伏したシュヴァルツ・ガイストのウービルトを回収するために、グリューネラント海軍が特設水上機母艦「憂国」をパルツイエへ派遣した事によって勃発したものである。この回収作戦は、先に紹介した「灼熱の海」作戦と同時に決行されている。(正確には、ウービルト回収の陽動として、7月に予定されていた「灼熱の海」が6月18日に繰り上げられた。)
作戦参加艦艇1938年6月18日深夜、憂国はウービルト回収のためパルツイエ近海に侵入し、待機していた。護衛は沖合で警戒を行うS1のみであった。しかし予定時刻を過ぎてもシュヴァルツ・ガイストが現れないため、憂国は回収を断念して撤退する事とした。ちょうどその時、憂国にサーチライトが浴びせられた。ケルンテン海軍はシュヴァルツ・ガイストの回収をも察知しており、これを阻止するための戦力を派遣していたためである。憂国
S1
ケルンテン側投入戦力S1は憂国に対する攻撃を阻止するため急行したが、機動砲艇4号に行く手をさえぎられてしまった。機動砲艇4号とS1はそのまま砲撃戦に突入した。双方共に多数の命中弾を受け、機動砲艇4号は3.7センチ砲弾に耐える事ができたが、S1は6ポンド砲弾の直撃に耐えられず爆沈してしまった。
艦艇機動砲艇4号装甲戦闘猟兵
水雷艇1号
水雷艇2号MJ−01 1機
一方、2隻の水雷艇は計4本の魚雷を発射し、うち1本を憂国に命中させた。しかし、憂国はまだ浮力を保っていたため、MJ−01が水中から艦底部を切り刻み浸水させていった。最終的に憂国は浸水による傾斜で転覆、沈没してしまった。
こうして、パルツイエ沖海戦はグリューネラント側投入戦力全滅と言う、ケルンテン側の完全勝利に終わった。
ケルンテン側の損害機動砲艇4号 不明(小破?)グリューネラント側の損害
死傷者 不明沈没憂国戦死・行方不明者 不明(最低20名)
S1
ケルンテン海軍は先月に引き続き輸送船団方式による襲撃阻止を画策していた。しかし、前回5隻もの損害が出たことで船主・船員が輸送船団への参加を拒んだため、マインファルケンを出港する民間商船は8隻しか集まらず、復路に至っては1隻の参加もなかった。そのため、今回は往路参加の商船をスエズまで護衛し、それらに物資を搭載して再びマインファルケンまで引き返すという方法が採られることとなった。
ケルンテン側投入艦艇なお、1ヶ月近くにもおよぶ航海となるため、哨戒艇と機動砲艇の船体には増加燃料槽としてのドラム缶が装着され、さらに旗艦レヒフェルトには洋上給油装置が追加された。レヒフェルト
イーリス
ムメル
機動砲艇1号
機動砲艇2号
哨戒艇2号
この船団は6月16日にマインファルケンを出港し、無事にスエズまでたどり着く事ができた。それは、グリューネラント海軍がもとより復路での襲撃を画策していたためであった。
グリューネラント側投入戦力7月13日、グリューネラント海軍は大胆にもマインファルケン沖での襲撃を敢行した。しかし、グリューネラント海軍は襲撃直前にして輸送船団を見失ってしまった。結局グリューネラント海軍は船団を再度補足する事ができず、西トーテンコプフへと引き上げる事になってしまった。
潜水艦UF航空機
UE
UUHe115 1機
Ar196 1機
だが実はケルンテン海軍側も船団を見失っていた。輸送船団は襲撃を回避したのではなく謎の失踪を遂げていたのだった。結局、この船団がマインファルケンに入港したのは8月10日の事であった。1ヶ月近くもの間に船団がどこで何をしていたのかは、信頼に足る資料が存在していないため、確かではない。
この海戦は、1938年8月14日深夜からイタリア艦隊がマインファルケン湾内への突入を開始した事を受けて、事前に協闘を約束していたドイツ海軍アドリア部隊がマインファルケン湾内に侵入した事によって発生したものである。なお、イタリア艦隊は直前にデカルト親書を受け取った事によって突入を回避している。
15日早朝、グリューネラント海軍は4波に別れてマインファルケン湾内への侵入を行った。
グリューネラント側投入戦力このうち、先行して侵入した第1,2波の3隻は湾口へと向かうベハーゲンを発見した。ちょうどベハーゲンは、突入してくる(予定であった)イタリア艦隊を迎え撃つべく整備され、湾外へと出撃しているところであった。しかし間が悪く、ベハーゲン艦橋では艦隊司令の地位を巡る内紛が発生し、周囲への警戒が十分に行われない状況であった。
第1波UE第2波UE第3波
UUUG第4波
UH
UZ
URシュヴィムケーファー 2機
3隻の潜水艦は計6本の魚雷を発射し、少なくとも3本がベハーゲンに命中した。後部砲塔は誘爆で吹き飛び、機関室にも大量の海水が流れ込んだ。ベハーゲンは後部から傾斜していき、数分のうちに垂直にまで達し、そのまま沈没していった。
3隻はさらに戦果を拡大すべく湾内に輸送船を探したが、湾内に停泊する船を発見できなかったため、西トーテンコプフへと引き上げていった。こうしてケルンテン海軍の象徴であった戦艦ベハーゲンはドイツ海軍アドリア部隊のなかでもグリューネラント海軍時代からアドリア海で活躍していた3隻の潜水艦によって沈められた。
戦闘参加艦艇
ケルンテン海軍側ベハーゲン
ドイツ海軍側UE UE UU
ケルンテン側損害沈没ベハーゲン戦死者・行方不明者 多数
この海戦は、第4次マインファルケン港襲撃戦と同一の襲撃作戦によって発生したものであるが、戦闘参加艦艇が第4次とは全く別個のものであるため、独立した異なる海戦として紹介させていただく。
ドイツ海軍の第1,2波が撤退した後も、マインファルケン湾内には第3波の4隻とシュヴィムケーファー2機が潜伏を続けていた。しかし、ケルンテン海軍は湾内に脅威はないと判断し、16日正午より市街部に展開するクーデター部隊に対しての砲撃を開始した。その参加艦艇は、
レヒフェルトで、その他に湾外のイタリア艦隊に対する警戒として湾口部に
イーリス
ムメル
アルラウネ
モルゲンロート
機動砲艇2号
機動砲艇1号の3隻を配置していた。しかし、この中で潜水艦を警戒していたのはモルゲンロート1隻のみであった。そのため、ドイツ海軍潜水艦はケルンテン海軍に気付かれる事なく雷撃位置に遷移することができた。
機動砲艇3号
機動砲艇4号
ドイツ海軍側戦闘参加戦力まずUG、UHの2隻がレヒフェルトに対して4本の魚雷を発射し、これを撃沈した。続けての雷撃でUGとUHはイーリスとムメルも撃沈した。一方、UZとURは艦隊の前後に回り込んで挟み撃ちを仕掛けた。UZは雷撃でアルラウネを撃沈し、URもモルゲンロートを撃沈したが、魚雷命中直前にモルゲンロートからの反撃を受け浸水が発生した。URは戦闘終了後に何とか湾外まで脱出したが浮力を失い、浅瀬に乗り上げた後に自爆処理が行われた。
潜水艦UG装甲戦闘猟兵
UH
UZ
URシュヴィムケーファー 2機
また、潜水艦の雷撃と同時に2機のシュヴィムケーファーも行動を開始した。2機はまず対潜弾を機動砲艇2号の底部へ打ち込み、これを撃沈した。続いて湾口部から駆けつけてきた機動砲艇1号を格闘戦で撃沈した。機動砲艇3号、4号に対しても攻撃を試みたが、両艇は巧みな操艇でこれをかわした。しかし、両艇は攻撃をかわすのに精一杯で、反撃を行うことができなかった。
この海戦はドイツ側が引き上げた事によって終了した。ケルンテン海軍は7隻もの戦闘艦艇を失い、この海戦で実質的に壊滅してしまった。さらにその後、ケルンテン海軍は交戦を放棄して武装解除してしまったため、当海戦が最後の海戦となった。
ケルンテン海軍側損害沈没レヒフェルト戦死者・行方不明者 多数
イーリス
ムメル
アルラウネ
モルゲンロート
機動砲艇1号
機動砲艇2号
ドイツ海軍側損害自爆処理UR死傷者 不明