戻るチェコ・スロバキア共和国における軽機関銃開発史
第一次世界大戦の終結によりオーストリア・ハンガリー帝国からの独立を果たしたチェコ・スロバキア共和国は、国軍の設立および装備の確保に全力をあげていた。特に歩兵火力の増強は優先事項とされ、1923年には分隊支援火器として軽機関銃を、個人火器として自動小銃を新たに国内開発し、これらを配備する事を決定した。
軽機関銃については国内開発を前提としていたにもかかわらず、フランスやデンマークからの売り込みが行われてきた。両国との関係を考えるとむげに断る訳にもいかず、さらに完全国内開発に不安もあったため、1924年に候補者間での比較テストを行う事とした。テストの結果、プラガ・ゾブロジョブカが開発したI−23は多少問題があるものの、他国の開発した軽機関銃に対して遜色が無いどころか十分に勝っているとされ、これを軽機関銃として採用する事が決定した。このI−23はガス圧利用の空冷式であり、箱形レシーバ、多数の冷却フィンを装備したバレル、バレルと平行した長いガス・ピストン、バレル上面にキャリングハンドル、折り畳み式二脚、ピストルグリップ、T字型メタルストックと言った特徴を備えていた。この時点で既に後のVz26の基本形態はほぼ完成していた様だ。
いざ採用が決定したものの、開発を行ったプラガ・ゾブロジョブカには大量生産を行うだけの能力が無かった。そのため、チェコ・スロバキア政府が仲介となってブルーノ・ゾブロジョブカに製造権が売却される事となった。この決定によってプラガは製造権を失ったにもかかわらず、その後もI−23の改良を行い、レシーバの小型化とストックを木製化したVz24を開発した。ブルーノはプラガのこの行為に対してライセンス規約違反であると抗議を行った。
しかし、国防省がこのVz24をテストしてみたところI−23よりも優秀であったため、採用軽機関銃をVz24に変更する事とした。そのため、とりあえず第三者であるスコダにVz24生産型の開発を行わせ、プラガとブルーノには和解のための話し合いを行わせる事とした。この間にもプラガはI−23をポーランドとフィンランドに売り込むなど挑発的な行動を行ったが、さすがにこれはチェコ政府から軍事機密の漏洩として厳重注意が与えられた。当然ながら輸出商談は失敗であった。
このライセンス交渉は政府の仲介もあって1925年になってようやくまとまる事となった。プラガは生産・改良権を失ったが、多額の基本ライセンス料と製造ロイヤリティを手にする事となった。
1925年6月、スコダで遂にVz24ライト・マシンガンの生産型が完成した。早速ブルーノで20丁の限定生産が行われ、10月にはデモンストレーションが行われた。結果は良好で、11月にチェコ・スロバキア政府はブルーノに対して4,000丁の大量発注を行った。1926年には先行生産型が部隊に配備され、最終的なテストが行われた。このテストの結果、多少の改良が施され、遂に正式軽機関銃Vz26BZとして正式採用されることとなった。そして、先に発注された4,000丁はVz26BZを納入する事に変更され、更に6,600丁の追加発注が行われた。
1931年にると、戦時生産体制確立のために国防省とブルーノの間で話し合いが行われた。この結果、政府の費用援助によってブルーノに新たな生産ラインが確保され、さらに生産能力を保つために7,700丁の追加発注が行われた。
またブルーノでは生産を行うだけではなくVz26ZBの改良も行っていた。まず1927年にコッキングハンドルとストックに改良を加え、Vz27として市場に発表した。そして1930年には安全装置を改良したVz30が完成した。しかし、これらの改良型はVz26BZと非常に高い互換性を持っていたものの、チェコ・スロバキア国防省は部隊で使用する軽機関銃の種類が増える事を嫌ったため採用されなかった。
Vz26BZはチェコ・スロバキア本国で採用された他、輸出・ライセンス生産の実績も数多くあった。
参考文献
1926年には早くもユーゴスラビアとリトアニアに対して輸出が行われていた。1927年には、ブルーノはチェコ・スロバキア政府と共同でケルンテン公国にコリーン社を設立した。コリーンはVz27をケルンテン仕様に改良したものを開発し、M27としてケルンテン公国に採用された。
1928年になると中華民国に対して大規模な輸出が始まった他、ルーマニアでのライセンス生産も決定した。1929年以降はエクアドル、イラン、タイ、ブラジルにも輸出が行われた。
1930年代に入ると、先ほどVz26BZを輸入したユーゴスラビアがVz30のライセンス生産権を取得し、Vz30Jとして生産を始めた。ユーゴスラビアはこのVz30Jを国内配備するだけでなく、何とボリビア、ベネズエラ、アフガニスタンに対しての輸出までも行った。
イギリスもVz30に対して興味を持ち、参考用として何丁かを輸入した。ブルーノとしてはイギリス向け輸出も行うつもりでいたが、結局イギリスは参考品を基にブレン軽機関銃を開発して配備してしまった。
正規品のみではなくトルコ、スペイン、中国などではコピー生産も行われていた。また日本では中国でVz26を大量に捕獲したためチ式軽機関銃として配備した他、これを参考として九六式機銃、九九式機銃が開発された。
- GroundPower 各号(デルタ出版)
- 月間Gun 各号(国際出版)
- イェーガーハンドブック(アスペクト)
- 小銃・拳銃・機関銃入門(光人社)