最近日本でも狂牛病の牛が確認され焼却処分された、いや飼料にされた、と話題に上がっています。 シュタイナーが牛の肉食について書いてある部分がありましたので、下記に記載することにいたします。 ・・・・・ 植物と動物の肉はまったく異なっています。植物と動物の肉はどんな関係にあるのでしょうか。 草食動物がいるのは、ご存じのとおりです。肉を食べない動物がいるわけです。たとえば、牛は肉を食べません。馬も肉を食べません。牛も馬も、植物しか食べません。動物は、いつも食べているだけではありません。体の中にあるものを、絶えず外に出しているのです。鳥の場合、羽が生え変わります。鹿は、角が落ちます。 私たちは爪を切ります。爪はまた生えてきます。外的には、目に見えているものは、いつもそこにあるように見えます。わたしたちは絶えず皮膚を削り落としています。動物の場合もそうです。 何年も牛を観察していると、牛の肉がまったく違ったものになるのがわかります。牛と人間では少し違います。牛の場合、体が新しいものと入れ替わるのが、人間よりも早いのです。いづれにしても、新しい肉ができるのです。しかし、新しい肉はどこからできるのでしょうか。植物素材からです。牛は植物を食べて、自分の体の中で肉を作るのです。このことに注意しなければなりません。動物の体は、植物から肉を作り出すことができるのです。 キャベツをいくら調理しても、肉はできません。フライパンや鍋のなかで肉を作ることはできません。ケーキを焼いても肉はできません。このように外的にはできないことが、動物の体の中ではできるのです。動物の体の中では、肉が作られます。そのための力が体の中にあるにちがいありません。植物から肉を作る機械はありません。人間と動物のなかには、植物から肉を作る力があるのです。 今度は、植物を考察してみましょう。野原にある植物です。植物のなかに力が働いているかぎり、葉や実ができます。牛が草を食べます。牛は草を食べて、それを体の中で肉にします。牛は体のなかに、植物を肉に変える力を持っているのです。 牛が「牧場まで行って草を食べるのはめんどうだ。べつの動物が牧場に行って、草を食べればいい。ぼくはその動物を食べる」と思ったとしてみましょう。牛が肉を食べるとしてみましょう。牛は自分で肉を作れます。そのための力を肉に有しているのです。牛が草のかわりに肉を食べると、どうなるでしょうか。肉を作る力を使わないことになるのです。どこかの工場で、なにも生産せず、しかも工場は営業しているという状態を考えてみてください。そのような状態では、非常に多くの力が無駄に失われます。動物の体の中で失われる力は、そう簡単にただ失われるという具合にはいきません。最後には、この力が牛のなかにいっぱい詰まるようになるのです。 そうなると、植物から肉を作るのとは違ったことが生じます。力が牛のなかにとどまっています。その力の活動によって、さまざまな汚物が作られるのです。肉が作られるかわりに、有害な物質が作られるのです。 牛が肉を食べると、あらゆる有害な物質が体に満ちるようになります。とくに尿酸、尿酸塩が体内に満ちます。 尿酸塩には特別な性質があります。尿酸塩は、神経組織と脳を溺愛しているのです。牛が肉を食べると、大量の尿酸塩が体の中に分泌されます。尿酸塩は脳に行き、牛は気が狂います。牛に鳩を食べさせる実験をするなら、牛は完全に気が狂ってしまいます。鳩は穏やかな動物ですが、鳩を食べると牛は気が狂います。 このような話は、唯物論に対立するものです。もし、物質だけが活動するなら、鳩を食べる牛は、鳩のように穏やかになるはずです。実際は、鳩を食べた牛は獰猛で、荒れ狂うようになります。馬に肉を食べさせると、肉食に慣れていない馬は激しく興奮し、獰猛になります。 人間の場合も、同様です。アジアの住民の一部は厳格な菜食主義です。彼らは穏和な人々で、ほとんど戦争をしません。中近東の人々は肉を食べます。彼らはよく戦争をします。肉食をしないアジアの民族は、植物素材を肉に変えるために自分の力を使っているのです。そのために彼らは温和なのです。 人々は、しだいにこのような考えに到達します。ただ、肉を食べる人は、このような考えに至ることができません。 菜食には大きな価値があります。菜食にすれば、簡単に疲れることはなくなります。尿酸塩が分泌されないので、疲れなくなるのです。疲れなくなると同時に、頭に尿酸塩が溜まっていないので、ものをよく考えることができるようになります。肉食をしている人が使用しない力を、菜食をする人は使うのです。 ただ、そもそも思考しない人は、菜食にしたからといって、どうなるものでもありません。 (イザラ書房 健康と食事より) シュタイナーは、草食動物に肉を食べさせると気が狂うと言っています。 2001/9/23 さて牛や人間の身体に蓄積した尿酸塩を、どうしたら取り除くことができるのか、シュタイナーは書いているでしょうか。 |
「肉食と菜食」の講演は、1908年12月17日の公開講演でおこなわれ、1909年1月8日の講演「精神科学の光に照らされた栄養問題」でも述べられたそうです。 以下 2001/9/19ヤフー検索による狂牛病の正しい知識 BSEに関する簡単な年表 200年ほど前:スクレイピーの発見 |
シュタイナーは23歳の頃、ウィーンの工科大学で自然科学の研究をする学生でしたが、家が貧しかったので、恩師の紹介で、素封家シュペヒト家の住み込みの家庭教師を勤めることになりました。 彼が教育を引き受けたのは、シュペヒト家の4人の息子達でした。長男のリヒァルトは後に作曲家グスタフ・マーラーのすばらしい評伝を著し、文筆家として名をなしました。他の3人もそれぞれ優秀な子供達だったが、4男のエルンストは、はじめて会った当時は11歳で、重度の水頭症を患い、家中の心配の種でした。 当時のオーストリアでは毎年学期末に試験があり、どこかの学校へ行ってそれに合格しさえすれば、家庭で教育を受けていても、どの教師についていても、進級することができたそうです。 エルンストはすでに5年間学校に通っていたが、時には数週間一度も口をきかず、食事にも加わらず、空腹になると台所へ行って、くず箱から残飯をひろって食べた。試験の時も何も書くことができず、ただ答案用紙に大きな穴をあけるだけで提出した。 シュペヒト家の主治医で友人だったヨーゼフ・ブロイアーはフロイトと共に「精神分析」の創始者として今日まで有名であり、当時も名医として評判が高かった人物だが、彼もこの子だけはお手上げの状態でした。 若いシュタイナーはこの子の面倒を3年間は自分にすべてまかせてほしい、責任を持って治療にあたりたいと家族に申し入れ、母親の承諾を得ました。 彼の教育方針は 1.薄弱児の場合には身体の医学的治療から始めること。 2.眠ったような状態にある魂が次第に身体の中で自分を表現できるようになるために、この魂への通路を見つけだすこと、の2つを原則としました。 シュタイナーは自分で「経済的方法」と名付けた教授法をあみ出し、15分か20分の短い時間に最大の効率を上げるように、しかもできるだけ楽に学ぶことができるように、2時間から4時間かけてそのための準備をしました。良いと思ったことは何でも試み、音楽を授業に取り入れ、音楽の力で身体によい作用が及ぶように配慮しました。シュタイナーはエルンストのなかに偉大な魂が眠っていると信じることができたが、その発達段階はまだ2歳半にもなっていなかったので、徹底して模倣の原則に従い、発達段階に応じたあらゆる遊びやゲームを共にやり、心が通じ合えるようにしました。このようにして健康に気を使い、主治医のブロイアーとも始終連絡し合いながら2年間が経過した頃には、エルンストはギムナジウムの授業に参加できるようになった。 そしてギムナジウムの最後の2年間は自分の力だけで学び、大学に進んで医学を修め、長らく医師として働き、40歳になって第1次大戦に軍医として従軍し、伝染病にかかってポーランドに没しました。 (角川書店 治療教育講義より) シュタイナーは、障害を持った人の魂の素質が、どんなにすぐれたものであるかを、若い頃に身をもって体験し、それらのものが後の人智学運動の大きな支えになったそうです。 「治療教育講義」というシュタイナーの本が出版されています。 この本は、シュタイナーが生涯でただ一度だけ治療教育について包括的に語ったものだそうです。 内容について詳しく語るだけの知識はありませんが、イギリスのシュタイナー教育、障害児教育のHPを紹介します。 そのなかの「ギフト」にこんな言葉がありました。 (英国で知った人の中に、自分のもった障害をGiftだといった人がいます。彼は社会福祉の分野で仕事をしていらっしゃる方でした。足にもっている障害を、「ギフトだ」といい、「その障害のおかげで、他の障害のある人の気持ちも考えることができた。」というようなことをおっしゃっていました。) 2001/9/23 |