イシュタルと天牛

 

 ある日、フンババを退治しウルクに戻ったギルガメシュの美しさを、イシュタルは見た。

イシュタルがエアンナ( 天から下されし尊き宮居、大いなる神々が豪壮に造り給いしもの。その市壁は雲居かと見紛うばかりに聳え立つ)の守護女神だった頃、バビロンの南にある町キシュの王エンメバラゲシにさらわれ、ギルガメシュとエンキドゥが救い出したことがあった。エンメバラゲシは怒り、息子のアガは、ウルクの王ギルガメシュに使節を送った。キシュの守護女神イシュタルを返さなば、キシュはウルクを攻撃するであろう。さもなくばウルクが屈服し、その住民がキシュのために強制労働につくよう要求したのだ。

エンメバラゲシの息子アガの使者達は、キシュからエレヒのギルガメシュの許へ向かった。ウルクの王ギルガメシュは、町の長老達に質問し、言葉を求めた。
『我々はキシュに屈服してはならない。我々は武器を取って立ち上がろう』
集まった町の長老達は、不安げにギルガメシュに答える。
『キシュ家に屈服することにしよう、我々は武器を取ってはならない』
クラブ(ウルクの一地区)の王者ギルガメシュ、女神イシュタルを救った英雄ギルガメシュは、町の長老達のこの言葉に納得しない。
クラブの王者ギルガメシュは、町の戦士達に質問し、答を求めた。
『我々はキシュ家に屈服してはならない。我々は武器を取って立ち上がろう』
集まった町の戦士達は、ギルガメシュに答えた。
『我々はキシュ家に屈服してはならない。我々は武器を取って立ち上がろう!』
クラブの王者ギルガメシュは、町の戦士達の言葉に喜び、勇気を奮い起こした。
激しい戦いがあった。しかしウルクにはギルガメシュがいる。ギルガメシュには友エンキドゥがいる。どうしてウルクがキシュに敗れようか。
強者キシュ家は戦い破れ、無念の涙を飲んだのだ。

ギルガメシュこそ男の中の男。
ウルクの守護女神イシュタルが、ギルガメシュに惚れないほうが不思議なくらいだ。

彼は汚れた髪を洗い、箙(えびら)を清めた。
束ねた髪を背の上に振りかざした。
彼は汚れた服を投げ棄て、清い服を身につけた。
上着をまとい、腰帯を締めた。
ギルガメシュは彼の冠をかぶった。
ギルガメシュの美しさに女君イシュタルは眼をみはった。

『さあ、来て下さい、ギルガメシュ、あなたは夫になるべきお方。
あなたの果実をわが贈り物としておくれ。
あなたが夫に、わたしがあなたの妻になるのです。
わたしはラピス・ラズリと金で、あなたの乗り物を飾りましょう。
その車輪が金、その角がエルメシュ石の乗り物を贈りましょう。
あなたは風神らを偉大な騾馬としてそれにつなぐのです。
香柏の香りに包まれてわが神殿にお入りなさい。
あなたがわが神殿に入るとき、
高貴な浄めの祭司らは、あなたの御足に接吻しましょう。
諸王、貴族、諸侯らは、あなたの下にひれ伏しましょう。
山岳のルルブ人たちと国人たちはあなたに貢ぎ物を献げましょう。
あなたの山羊は三つ子を、あなたの羊は双子を生みましょう。
荷を負うあなたの仔驢馬は騾馬にもまさり、
乗り物を引くあなたの馬は堂々と駆けめぐりましょう。
軛(くびき)につながれたあなたの牛に並ぶものはないでしょう』

ギルガメシュは、口を開いて女君イシュタルに言う。

わたしはあなたに何を差し上げて、あなたを娶るというのでしょう。
身体に塗る香油と着物を差し上げましょうか。
糧食と空腹を満たすものを差し上げましょうか。
神々にふさわしい食べ物を差し上げましょうか。
王にふさわしい飲み物を差し上げましょうか。
黒曜石を金で張り、ラピスラズリで飾った履き物を差し上げましょうか。
わたしはもう上着を着てしまっているのです。
それで、どうしてあなたを娶り得ましょうか。

・・わたしがあなたを娶ったら、一体どうなるのだろう。
あなたは体を温めない、解けた氷。
風や埃をさえぎれない壊れた扉。
その蓋のない壺の口縁部、それを担ぐ者を汚すアスファルト。
それを担ぐ者を濡らす革袋。敵陣から投げつけられた破壊鎚。
通りを行く者の足を噛む履き物。
あなたの連れ合いの誰が長く続いたのだろう。  

ギルガメシュは、これまで女君イシュタルの恋人となった者達の運命を数えたてた。
青春の恋人タムムズに対して、あなたは毎年涙を流す。
あなたは色鮮やかなアラル鳥を愛したが、その鳥を叩き、羽根を引きちぎってしまった。
彼は森の中に佇み、カッピーと叫んだ。
あなたは力の完全なライオンを愛したが、彼のため七頭に七つの穴を掘り、落とし穴を掘った。
【日々、努力を怠ってはならぬと戒めたのだ】

あなたはまた戦闘において活躍する馬を愛したが、馬には鞭と拍車と殴打をくれて7ベール(1ベールは約10キロ)駆け抜くことを定め、濁して水を飲むことを定めた。
【馬は人間にとって特別な存在だ。それだけの能力を持っているから出し切れと教えたのだ】

それから牧人を愛したが、彼をオオカミに変えてしまった。
【わたしに向き合うということは、自分の本当の姿を知ることになるのだ】

それから自分の父親の椰子園で働く庭師イシュランを愛した。
彼は籠にいっぱい、ナツメ椰子の実を詰めて、毎日あなたの食卓へ運んだ。
けれども、その彼をもカエルに変えてしまった。
【不平不満の愚痴こそ、わたしの一番嫌いなことだ。思いが実現するのがこの世の真実なのだ。自分に値する姿になっただけのことだ】

そんなあなたが、わたしをどうするおつもりか?
わたしに対するあなたの愛も、どうせそのようなものであろう!


 ギルガメシュの魂は、いわばエンキドゥの霊視力に感染したことによって、自分の前世を見ることが出来るようになりました。彼は神話のなかで町の守護女神として象徴されているものの本質を体験できました。
 エンキドゥの若い魂と、ギルガメシュの古い魂は出合いました。そして神話にウルクの守護女神イシュタルとして記されている力へとさかのぼっていきます。
この女神が隣の町に盗まれ、ギルガメシュとエンキドゥは隣の町の王と戦って勝ち、イシュタルを取り戻します。イシュタル掠奪の背後には、トロヤの王子パリスによるスパルタの王女ヘレネの掠奪の背後にあるものと類似したものが隠されているそうです。
けれども、ギルガメシュが見た自分の前世の多くは、彼の気に入らないものでした。神話には、嫉妬深いギルガメシュが女神の交友関係を非難した、と記されています。ギルガメシュは自分の魂の地平を見たのです。  (シュタイナー「世界史の秘密」より)


イシュタルの顔が青ざめた。

ああ、ギルガメシュ。
わたしが愛を与えるにふさわしい男に、やっと出会えたと思うたに、わたしの前世まで持ち出して責めるというのか!

嵐のように怒り、イシュタルは天に駆け上る。イシュタルは父神アヌの前で泣いた。
「父よ、天牛を作って下さい。それがギルガメシュを打ち倒すように。もしあなたが天牛をお与え下さらないなら、わたしがギルガメシュを打ち倒します。わたしは冥界に顔を向け、死者たちを上らせ、彼らに生者を喰わせます。死者のほうを生者よりも増やします」イシュタルは父親のアヌ神を脅します。

困惑したアヌ神が訊ねる。
「あの男はお前の何だというのだ」

「ギルガメシュこそ男の中の男、わたしがこれぞと見込んだ男。わたしは過去をも未来をも見通す力を持っている。そのわたしが言ったことだ。ギルガメシュこそ夫となるべき男だと。なのにあの男はわたしの心を踏みにじった。この恥辱、許しておけようか!」
イシュタルはわが身をかきむしった。

 やっと父を説き伏せたイシュタルは、天の牛の手綱を手にウルクへ入った。ウルクの街は大騒ぎだ。ギルガメシュとエンキドゥに使いが飛び、二人の勇者は駆けつけた。
ユーフラテス川のほとりで天の牛が鼻息を吹き出すと、地面に深い割れ目ができ、ウルクの若者が百人、ついで2百人、そして3百人と落ちていった。天の牛がふたたび鼻息を吹き出すと、もうひとつの割れ目が口を開け、またもウルクの若者が、百人、2百人、3百人と落ちていった。

 天の牛が三度目の鼻息を吹き出すと、こんどもひとつの割れ目が口を開け、エンキドゥが腰まで落ちた。けれどもエンキドゥは飛び上がり、天の牛の角をしっかとつかまえる。
天の牛はエンキドゥの顔に向かって涎を吐きかけ、その太い尾で自分の糞をはね飛ばした。

エンキドゥは、天牛を追い回す。そしてその太い尾をつかんだ。

「友よ、さあ、天の牛の首筋、角、眉間にあなたの剣を突き刺すのだ」

ギルガメシュは、家畜を屠る人のように力強く、首筋、角、眉間に彼の剣を刺し通した。
天牛は地響きをあげて大地に倒れ、その騒音が天にまで届いた。
彼らは天牛を撃ち殺した後に、その心臓をつかみだしシャマシュの前にそれを置いた。
彼らは遠く離れ、シャマシュの前にひれ伏した。二人は兄弟として腰を下ろした。

イシュタルは、羊を囲う街ウルクの城壁に駆け上り、くぼみに跳び入り、呪詛を投げかけた。イシュタルの歌は、諸界を通り抜け父アヌに届くだろう。

「ああ、わたしを侮辱したギルガメシュが天の牛を殺した!」

エンキドゥはイシュタルのこの歌を聞き、天の牛の腿を引き裂いて彼女の肩に投げつけた。
「お前も征伐してやろう。これと同じように、お前にもしてやろう。そのはらわたをお前の脇にぶら下げてやろう」

イシュタルは髷女たちを集めた。娼婦たち、聖娼たちを。
彼女たちは天牛の腿の前で嘆きの儀式を行った。
天の父アヌとイギギの神々が、この有様をご覧になれるように・・・と。
女たちの嘆きの声は、たしかに届いた。

エンキドゥは、その夜不吉な夢をみる。


宇宙