葉

ふらふらーっと、クリスタルロード

日帰りのつもりが・・・



 母は不思議な人で、自分がほしいと思ったものは自然と手に入る、とよく言っていた。
大福餅が食べたいと思えば、ご贔屓さんが「おかみ、おみやげ。」と持ってきてくれたりする。
あれを買おうと思っていたら、どこそこの誰が持ってきてくれたなどと言うことをよく言っていた。
母は神道でいう如意宝珠の珠を手に握っている人だった。

 私の娘時代、母は自分がしたくて出来なかったことを、自分の娘にはさせてやりたいと思った。
どんな事かというと、花嫁修業だった。お茶、お花、洋裁、和裁そして編み物である。
私は、だから何でもひと通りは出来る。ただし、広く浅くだから、母の願いの「手に職をつける」レベルまではいっていないのだが。
 そして、24才で結婚する。夫とは見合い結婚である。ただただ母の努力が実を結んだというしかない。なぜなら、夫は当時独り身の精神的孤独感の中に住んでいたようで、母の献身的手弁当、家庭料理攻撃にすっかり参ってしまったようだった。夫は、母の見込みどおり誠実で努力家で、そして働き者である。
結婚した当初は警察官だったが、その後脱サラで司法書士の資格を取った。朝は5時に起き、夜は9時10時には寝る。今はもう少し遅くまで起きてるが、起きて寝るまでほとんど仕事をしている。
愛読書は道元の「正法眼蔵」、西田幾多郎の「善の研究」、トイレで読むのはスピノザの「エチカ」。
1時間はトイレから出てこない。そして、痔が悪い。唯一の趣味と道楽は、田舎で「晴耕雨読」の生活をすること。

 車で30分程のところに畑と別荘がある。畑では蜜柑、葡萄、いちぢく、桃、プラム、栗、柿、梅、フェイジョアなど思いついたいろいろな果樹を植えてみた。結果は果樹は難しいという結論だ。
八百屋さんで買ったほうが断然安い。今では手がかからず、その畑で土いじりをするだけで元気になるという究極の土づくり、有用微生物菌のEM農法を目指している。何でもそうだが、半端仕事ではろくなものは出来ない。
 最近は、その趣味にマラソンが加わり、フルマラソンも3回ほど完走した。今は、登山に憧れている。結婚して20数年たつが、その間は決して平坦ではなかった。離婚届に判を押すところまでいったこともある。夫は世間常識が一番正しいと思っている人である。憲法の条文は先人の知恵の結晶であると信じている。根本的には性善説の人で根っからの悪人はいないと思っている。

 次男坊が高校受験を迎えたとき、入れる高校があるだろうかと心配した。朝日新聞(私は、左よりの朝日新聞は嫌いなので産経、読売新聞にしたいのに、ダンナがウンと言わない)の読者のページか何かに山梨県の自然学園高校を紹介する記事があり、「自然豊かな山村で個性豊かな人間に、推薦資格は自己申告制で4が一つあればよい」とある。これだ。と思い、ある朝この自然学園高校を見に行こうと思い立った。
次男坊は「言っておくけど、俺はこの学校には行かねえぞ」と言う。
それでもあきらめるのはまだ早い。ちょうど週休2日制でひまそうな三男坊を誘うと行くという。
「お父さん、今から自然学園高校を見に行かない?」
「僕は仕事がたまっているから今日はどこも行けない。」
「じゃあ、ヤッチャンと二人で行って来ます。今から行って帰ってこれるかしらね。」
「日本全国、行って帰れないとこはない。」仕事をしながら、目も上げないで返事をしていたが、私は大急ぎで支度をし、家を出たのは9時30分頃だったかも知れない。おじいちゃんから地図を借り、三男坊をナビゲーターに出発である。三男坊はナビゲーターのなんたるかも知れず、第一地図の見方も知らなかった。しかし、この旅は山道で「ヤッチャンそっちどのくらいある?」と聞き、「まだ大丈夫」とか「30センチくらいあるよ。」と肝を冷やすこと度々で、「ウワワワ!」「オットトト」の連続だ。
三男坊がいなかったら、行こうと思わなかったのは確かだけれど、帰ってくることも出来なかっただろうと思う。なぜなら山道を走るのは初めてだったからである。ただ、おじいちゃんから借りた中部版の地図と学校案内の地図と、何年か前信州を旅行したときに一度走ったことがあるカンだけが頼りだ。

 国道一号線を清水から国道52号線に入る。あとは延々と山の中を走る。
山の上の食堂で焼き肉定食を食べ、いよいよ息詰まる52号線から国道142号線に入る複雑でスリリングな韮崎の交差点を無事通過。頭上の交通標示板をただただ信頼し、地図を確認するため何度も停車しつつ走った結果、無事須玉に着く。しかし時計は午後2時になっていた。今から学校により、また家に帰ることなど、もうヘトヘトで出来る道理もなかった。学校は本当にそれから1時間以上も走った山奥にあり、都会の生活や娯楽の好きな次男坊が気に入るはずはないと、学校に行き着くまでに既に諦めはついた。
 学校を見学させていただいたが、午後1時集合を大幅に遅れてしまったため、既に見学チームは寮の方に行ってしまったということで、お話と学校の雰囲気だけを見ておいとまをした。日帰りのつもりだったので、何も持っていず、途中の雑貨店で歯ブラシとタオルを買った。眉墨は売っていなかった。口紅は持っていたが眉墨がない。私は眉が薄いので眉墨がないと人前に出られる顔ではなくなってしまう。財布の中身は3万円弱。とりあえず、今夜の宿を探し、民宿で飛び込みの泊まり客となった。
夕食は階下の食堂でとった。客は私たち二人だけだった。


 宿の人に電話を借り、家へ電話をし帰れなくなったので泊まる旨を伝えると、ダンナは電話の向こうで烈火の如く怒っている。
「あんな時間に出ていって、帰れるはずがないじゃないか。」
「だって、あなたは帰れるって言ったでしょ。」
「常識を考えろ。」まだ何だかんだと文句を言っている。
私は、側に宿の人がいるので「はい、はい。」と返事をし、そのうち「それじゃ、どうも。」と電話を切る。夕食を食べながら「お父さんが何だって?」と息子。「お父さんは、カンカンだったよ。」と私。
夜は交代でお風呂に入り、窓の外の黒い山のシルエットを見てため息をつく。何たって、明日は家まで帰り着かなくちゃならないのだ。この険しい山を下って行かねばならないのだ。
夕食後、宿のおかみさんが、部屋に甲州葡萄を持ってきて下さる。今から家に帰るのだという。階下は年寄り夫婦だけになってしまうのだそうで、明日の朝食は8時頃になることを告げ帰られたようだった。甲州葡萄は初めてではないが、こんなに甘くておいしい葡萄は初めてだと思った。息子は炬燵に入ってテレビ。私は明日帰る道程を地図を見つつ頭に入れた。
 翌朝、朝食の味噌汁には大きな煮干しがそのまま入っていた。民宿の料金は思ったよりは安く1万円とちょっとだった。
急ぐ旅でもないが、朝の光の中、クリスタルロードという道を走った。名前のとおり朝日を緑の葉裏から覗くので、ガラスのランプのようにきらめく美しい小道が続いていた。
帰り道も、行きと同じように順調で、4時頃には無事帰宅した。
お小言は、なしであった。


 2日前、高校時代の友人と久しぶりにあって、温泉に行った。聞くと、今月18日から2泊して北海道の北星余市高校を見に行くのだという。一番下のお嬢さんが来年高校受験なのだそうだ。
この学校は、生徒を主体として考え、高校を中退した子供にも門戸を開いている学校とのこと。
でも、本人は単位制で自宅から通える高校に決めているらしい。
「誰と行くの?」
「本人は行かないって言うからおねいと。」
「行く意味ないじゃん。」・・・
でも、友人はこの目で見たいんだって。・・・ま、気持ちは分かるけど。




葉