2005年5月スペイン・ポルトガルの旅

2005/4/29〜5/8

  ポルトガル ロカ岬

 
スペイン・ミハス


旅の風景





   
 この旅行は、日程の関係で九州福岡のツアーに参加だったので、成田から搭乗したのは我々2人だけでした。
アムステルダム経由でポルトガルのリスボンに着きました。リスボン・セビリア・グラナダ・マドリッド・バレンシア・バルセロナ、最後はロンドンから関西空港を経て羽田に到着です。そして道中は、延々とバスで移動です。
いつの日にかツアーではなく、個人で自由に旅してみたい。

2005/5/11

10日間のスペイン旅行は、8日に帰ってきました。
関西空港から羽田に向かう待合ロビーに、10分100円でインターネット出来たので、この日記に書き込みしている最中に時間切れで、書き込みが消えてしまった。それでガクッとき、家に帰れば帰ったで忙しく、また眠く、胃腸の調子も悪く、10日間は長すぎると思ったのでした。
今も、胸のあたりの食道に食べ物が落ちずに残っている感じがする。つくづく私は日本人と思う。

旅行中に、図書館で借りた「塩野七生ルネサンス著作集」の「ルネサンスの女たち」を1冊読み上げてしまったことが快挙だ。
昨年はイタリアに行ったが、イタリアではこの「ルネサンスの女たち」のなかの「カテリーナ・スフォルツォ」のお城だったところのバルコニーを見上げてきたので読んでみたいと思った。

「ルネサンスの女たち」は4人の貴族の家柄に生まれた女性を取り上げているが、彼女たちは生まれたときから政治の駆け引きの、大事な持ち駒だった。
そうして結婚したのであっても、イザベッラ・デステは賢く、カテリーナ・スフォルツォは雄々しく、困難な道を切り開いていく姿には、我が身を考えさせられる。

この塩野七生さんが、最後のカテリーナ・コルネールのなかで、キプロス王だったカテリーナの夫が亡くなった後、自分が王権の正当な継承者であると主張する夫の姉のカルロッタの手紙に、ヴェネツィア共和国の提督モチュニーゴの返書が、ルネサンス期を通じて支配的だった思想を具体的に示している・・という手紙の文面は

「あなたのような賢明なお方が、国とは法で獲得するものではなく、剣と力量によって得るものであるということを、御存知でないとは不思議に思われます。王ジャコモは、キプロスを彼の剣と力量でもってかちとったのです。その彼が、王位を王妃カテリーナから生まれる子供に残したのです。キプロスに対する、あたなと王妃、そのどちらの権利が正しいかは自明のことでありましょう」・・・が、胸にすとんと落ちた。

今日は、旅行中に読んだ本の話でした。
塩野七生さんの本は、正直とっつきにくそうで敬遠していたのだけど、読んでみると面白く「文学と歴史両方から継子扱いされている」そうで、自分事だけどいろいろと納得したのでした。


2005/5/13

風邪を引きました。葛根湯を2日間飲んでいます。
スペインの朝晩は10度以下で、日中は30度を超したりするため、体温調節が下手な私めは、帰ってから風邪を引いたのでした。

ポルトガルのリスボンで、時間を7時間戻しました。だから今も夜になると目がパッチリしていたりする。体内時計が狂いっぱなしだ。
でもやっと今朝は、5時50分に目が覚めた。

旅行参加者は8組の夫婦と、1組の親子3人で全部で19名だった。
ほとんどがまだ現役だった。それでも正月と5月の連休と盆休みと、年3回海外旅行に出かけるという、羨ましいようなご夫婦もいた。

このご夫婦のご主人は博識で、たぶん最年長だが、奥さんは無邪気とも言える笑顔と華やかさをお持ちで、夕食時のこのご夫婦のテーブルは、破顔爆笑のにぎやかさだった。まるでルネサンスのサロン風女主人の風格があった。
ただ、博識なご主人の「・・まだ日本の旅館?(ホテル?)でもエレベーターのない旅館があるんですねぇ。びっくりしました」なんて言葉に、この人はお殿様か!・・って思ってしまいました。

もう1組のご夫婦は、銀婚旅行なのだそうで、10日間で少しづつ輪郭が見えてきたのは、「・・そのグループのテーブルで誰かがトルココーヒーを注文したら、ほかのグループが大声で怒鳴ってた。何を言っているのかと思ったら、トルコのコーヒーなんて頼むなって怒鳴ってる。700年前の戦争を忘れていないんだねぇ」・・って言ったのは奥さんだ。

ご主人も学者肌の方で、アメリカやメキシコやら滞在していたらしかったが、最後の頃に「・・をもっと勉強したいと思ってアメリカのなんとかに手紙を出したら、雇うから2週間後に来いと返事が来た。2週間では言葉も話せないから1ヶ月後に発つと返事を出して、映画館で同じ映画を3回見た」「それで大丈夫だって出かけたの」と奥さん。当時お腹が大きくて、子供がもうじき生まれる頃だったから、子供が生まれてから「行ってくる」ってアメリカに出かけたそうだ。聞いたり書いたりは出来るが話せないので、オシかツンボかと言われたらしい。
そのアメリカで、相当優れた実績をあげたので、今でも日本で食えなくなったらいつでも来いと、毎年手紙が来るという。

後半の食事時には、白と赤ワイン何本を何人でと精算したが、そのうち奢ったり奢られたりになり気を遣った。各自支払いのほうが気が楽だ。(シャガの日記より)


追記

帰りはロンドンの空港で、エッセンシャルオイルを買いました。これが一番嬉しかった。