彼方の足跡
丘の上には大きな木があって、そこから見下ろすブドウ畑はこの土地の豊かな実りを
体中に受けて、世界に名高いワインの銘柄を供し続けている。
『ダンヒーリー』の黒ラベルといえば、この世界に知らぬものはいないだろう。
だが、たった70年ほど前まで、この地が不毛の荒地だったことを、人々は忘れない。
『グウェンダル、人の一生は魔族と違って短い。その短い命の中で、私が君に何を与えられるか
残すことが出来るのか、ずっと考えていたよ』
そう語る白髪の老人は、彼の弟の父ダンヒーリー・ウェラー…はるか海の向こうの大国シマロンから
逃げ延びてきた人間だった。
昔から恋多き母が、周囲の反対を押し切って二度目の結婚をした相手。
グウェンダル自身はそのときはすでに成人を向かえていて、性も父方の“フォン・ヴォルテール”を
選んでいた。
なので、このダンヒーリーとは「母の再婚相手である」ということ以外、特に関係は無いはずだった。
しかし何故かこの男も、母自身も「父」として自分に接することを求めてきた。
それは、純血の魔族で十貴族としての誇りを、ひどく傷つけるもののように感じられて、一度として
父と思ったことも、接したこともなかった。
けれど、いまこうしてこの丘に立つと、あの頃の若かった自分に少し後悔しているのが分かる。
ダンヒーリーはもともと放浪癖のある男で、幼いコンラートを連れ、世界中を旅して回っていた。
それこそ幼いヴォルフラムが、留守がちな二番目の兄を恋しがってぐずることもしばしばだったことを思い出す。
だが、ある頃からダンリーヒは自分の本当の息子ではなく、自分をつれて回ることが増えていった。
それは国境の視察であったり、港や都市の視察、農村の視察など。
眞魔国内だけではなく、周辺の人間の土地にも足を運んだ。
当時は苦痛で仕方なかったが、人間の世界に精通しているダンヒーリーは、風来坊な反面、
人間との交渉ごとには極めて優秀で、周辺国家との外交や貿易に、随分と貢献していてくれた。
(コンラートはまさに、父のその一面をよく引き継いでいる。)
そして、その旅路の終わりにダンヒーリーは静か語った。
「君たちは、私達人間の何倍も長い時間を持っている、とても優れた種族だ。
しかし、命あるものの一生に優劣や、境界線など無いのだということを心の隅に焼き付けていてくれ。
私は長い間、人間の土地、魔族の土地、そして神族の土地も旅してきた。
そこには、生まれるものがあり、死んでいくものがあり、笑うもの、悲しむものが常に存在している。
幸せや、不幸を図ろうとするな。 すべてのものには、皆等しく価値があるのだ。
長い歴史の中で、感情がさえぎることもあるだろうが、君がこれから先この国を担っていくのに置いて
今まで観てきたものを、よく覚え、そして理解してくれ。
グウェンダル、人の一生は魔族と違って短い。その短い命の中で、私が君に何を与えられるか
残すことが出来るのか、ずっと考えていたよ。
でも、それよりも、私が君に出会えてことを、深く感謝する… ありがとう 」
あのころ、まだまだ子供だったグウェンダルは、その言葉を素直に受け入れることができず
随分と腹立たしく思った。
けれど、今になって少しづつ、ダンヒーリーの言っていた言葉の意味と、あのときの彼の深い愛情を
理解できるようになってきた。
だからといって、彼を父と認められるかというと、決して認めはしないが…。
いまもしダンヒーリーが存在していたのであれば、語ってみたかったと思う。
もしかすると、良い友人になれたかも知れない
ダンヒーリーが好んで訪れた、国境の荒地は、その後の国家支援による開墾で
一面に広がるブドウ畑となった。
酒の好きだった彼には、墓標なんかよりもずっと嬉しいことだろう。
そう思って、グウェンダルがコンラートに目を向けると、ふっと微笑み返される。
ダンヒーリー・ウェラー、あなたは言葉だけでなく、もっと大切なものを自分達に残してくれた。
そう心の奥でつぶやいて、大きな木の根元を離れた。
オワリ マニメ「47話」より