瞳のおくに


 もう少しだけ、やさしくしてやっても良かったかもしれない。
 もう少しだけ、笑いかけてやっても良かったかもしれない。
 もう少しだけ、ぼくは本当の自分に素直になればよかった。

焼け焦げた教会は、あたり一面にすすの匂いを漂わせていた。
くすぶる煙が生々しい臭いと共に、鼻腔をつく。
 正直、城でユーリたちの非常事態を聞きつけたときは、まさかと思った。
あのへなちょこはともかくとして、コンラートとギュンターがやられたなど
信じられるはずが無かった。
 ギュンターは兵学校の剣術指南役の中でも最高クラスの使い手だし
コンラートはあのルッテンベルクの生き残りなのだ。
そうそうのことでやられる訳が無い。
 けれどもその思いは現場に駆け付けて、打ち砕かれた。
見慣れた片腕、皮膚の一部は炭化して黒くなっている。
信じたくなど無かったが、焼け残った衣服の布地と飾り釦は間違いなく
ウエラー卿コンラートのものだった。
 あの時兄上に頂いた釦は、いまぼくの手のひらに乗っている。
肌身離さず持ち歩いているせいか、すすが取れていやなにおいも随分薄くなった気がする。
 そしてぼくは今、ユーリを探すためにギーゼラたちとシマロンへ向けて航海中だ。

 久しぶりに波の静かな昼で、甲板の手すりに寄りかかり遠くの水平線を見る。
そういえば幼いころ、ぼくはいつもコンラート…兄の背中を追いかけていた。
幼い子供の相手が苦手だった父に代わり、ほとんど面倒をみてもらっていた気がする。
剣術の真似事をしたり、戦車に乗って広い庭を走り回って将軍に怒られたり
厨房に入り込んで、一緒におやつをつまみ食いしたり。
そうしているうちに疲れて寝てしまうぼくを背負って、自室まで連れ帰り
寝かせつけてくれたりもした。いつも。

 柔らかな潮風に当たっていると、幼いころのことがいろいろと蘇ってくる。
成人式のあと初めて、兄が半分は人間の血を引いているということを告白され
衝撃と怒りと、裏切られた悲しみで二度とコンラートを信じられないと思ったことも。

 それから何十年も経って、ユーリと出会った。
第一印象はそれはもう最悪で、とても魔王だなどとは信じられなかった。
しかもコンラートと同じく、魔族と人間の混血だという。
あの時はカッとなっていて気がつかなかったが、なぜぼくがあんなにも取り乱したのか
今なら少し理解できる気がする。
 ぼくは自分が思っているよりもずっと甘ったれで、何を言っても、何をしても
笑って受け入れてくれたコンラートに甘えきっていたんだ。
そう、ぼくはコンラートが自分を家族として、大切に思っていてくれることを
心の奥で知っていたのだと思う。
 本当は、兄が人間の血を引いているということを聞かされた後も、大好きだったんだ。
そして、コンラートもまたそれを知ってたんだろうなと思う。
 だから兄が見ず知らずの人間を連れてきて、親しげに世話を焼いている姿を見て
一瞬子供のころの自分たちに重ねて、嫉妬した。
なぜならあのときのユーリに近い場所に、かつてのぼくがいたから。

 どうして真実はいつも、大切なものを失なってから気がつくんだろう?
もう少しだけ、やさしくしてやっても良かったかもしれない。
もう少しだけ、笑いかけてやっても良かったかもしれない。
もう少しだけ、ぼくは本当の自分に素直になればよかった。

 起こってしまったことをぐだぐだと悔やんでいても、前には進めない。
けれど、この後悔の気持ちはだけこの先ずっとぼくの胸の奥に残るだろう。
忘れてはいけない事だから。
 そしてその気持ちを無駄にしないためにも、必ずユーリを見つけ出してみせる。
コンラートだって、まだ死んだと決まったわけじゃない。
希望は絶対に捨てないと、ひそかに眞王廟で誓ってきたんだから、絶対にあきらめない。
 必ずもう一度、愛する人をこの手に取り戻すんだ。
そう心の芯で堅く誓う。
気持ちのいい潮風が頬をなでた。


 「閣下、今日は大分お加減が良いようですね」
 聞きなれた声に振り返るとギーゼラがにこやかに立っていた。
 「もしもお体の具合がよろしいようなら、あちらで少しお茶でもいかがですか?
  軍用のものなので、いつものものに比べたら美味しい…とは言いかねるのですが…」
 そういって、にっこり微笑む。
ぼくはもう一度水平線の向こうを見てから「ありがとう」と答え、彼女のあとに続いた。






                                 おわり。
                            コンプというか、プコンというか。
                            そんな感じ。