命のビザ

 第二次世界大戦が始まったころ、一人の日本人の行いが多くのユダヤ人を救いました。
『杉原千畝 氏』 1940年8月、リトアニアの日本領事館で副領事を務めていた彼は、ナチスからなる
連盟諸国の迫害から逃れるため、日本の通過ビザを求める多くのユダヤ人に対して、限られた時間の中で
必死にビザを発行し続けました。
 日本政府の同意もなく、彼個人の判断で発給されたビザはやがてウラジオストク領事の根井氏らの
協力をへて、のちに『奇跡のビザ』と呼ばれるものになります。
このビザを発給された人の多くは、長い間そのビザを『命』としていつも大切に身に着けていて、
戦後訪れた取材記者たちの前でも
「このビザは私の命です。その大切な命を、たやすく他人の目にさらすことは出来ない」と拒んだそうです。
 ここで多くは書きませんがこのビザによって救われたユダヤ人は5000人とも6000人とも言われています。
(1家族につき1枚の発行でしたし、公式記録を残す暇も惜しんでビザを発給し続けたため、正確な記録は
 残っていません。現在では、その子供や孫まで数万人が存命しています)
                           
 戦後、彼に命のビザを発給された一人は、イスラエルの宗教大臣となり何十年もあとになって再会しています。
そして、日本人でただ一人『諸国民の中の栄誉の人賞』を頂きました。
くわしい内容は、リトアニアや、日本に公式の資料館がありますので、そちらのHPでどうぞ。
日本人として、ぜひ知っておきたい人物だと思っています。


 さて、この杉原氏ですが、なにげなく本編にも一箇所だけ、お名前があがっています。
読んだとき「ああ!」と、感動しましたらば…
『やがてマ』で、しっかりネタを刈り取っていますね!えらいぞ陛下!
しかも紙切れにサインの走り書き! という、まるで杉原ビザそのもの。
 でもね、その一枚が多くの神族とその子孫の命を救う、まさに『命のビザ』になるんだー。
またひとつ眞魔国世界の歴史に名を刻んだね、ユーリ陛下!
あっぱれ!! ですー。


                                             2005.01.吉日