求婚の儀-2

 『誰かがあなたの右の頬をうつのなら、左の頬をも向けなさい』 
                           … 新約聖書 『マタイ 5・39』

 聖書における、もっとも有名なフレーズのひとつですが、
左右逆とはいえ、思い出さずにはいられない一文です。
 ただ何となく読み流してしまえば、『変わってんな〜』ですんでしまいますが
その行為に秘められた奥深い意味を思うとどうでしょう?
この一文のあとに続く言葉を知ると、より理解できるかと思います。

 『あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
  だれかが1ミリオン行くように強いるならば、一緒に2ミリオン行きなさい。
  求めるものには与えなさい、あなたから借りようとするものに背を向けてはならない』
                           … 新約聖書 『マタイ 5・40-42』  

 これ自体は、自分に対する敵に向けて争ってはならない…ということですが
求婚の儀に当てはめてみると、たとえ自分の頬を打つ相手(暴力的意味だけではなく
人生において共に立ち向かう「試練」の象徴)であってもなお愛し、赦し、自分を与えることを
誓うかどうか?…という風に解釈できる気がします。
 そうなると相手に対する深い愛情と、思いやりがなければ右の頬を差し出して
求婚を受け入れるなんてできませんよね。
まさに、人生の一大決心!
 私たちの『指輪交換』よりずっと深い決断が必要になる気がしました。

 ここまでの意味があればこそ、ヴォルフが求婚されたとき最初に言った
「こんな屈辱を受けたのは生まれて初めてだ!」の台詞があったわけか〜…と
初めて会った気に入らない相手に、いきなり絶対服従ないし絶対愛を求められたわけですから。
「いきなり出てきて何言ってやがる、こいつ!」と、怒らずにはいられないはずです。
と、勝手に解釈したりして。