されどお弁当…

  昨年ネットのお友だち(AISHAさん)のホームページで、お弁当に関する文章を読み、しばらく涙が止まらなかったことがあった。
 それはこういうものだった。
 ある高校の卒業式で、答辞を読んだ卒業生の男子生徒が「おやじ!」と呼びかけ、高校の3年間、父親が毎日お弁当を作ってくれたことに感謝の言葉をかけたというのだ。
 彼の母親は、彼が中学生の時に病気で亡くなられた。そして亡くなる前に、「あなたが高校生になったときにお弁当を作ってあげたかった。」と言ったのだそうだ。(というような内容だったと記憶している)

 ――読んでいる途中から涙がぽろぽろ出てきて、しばらく止まらなかった。
 昨年高校生になった娘にお弁当を作り始めたことで、しばらく休んでいた夫のお弁当作りも再開。毎日当たり前のように続いていくことだが、実家へ帰ると母が「お弁当を毎日作ってる?」といつも聞いてきた。
 「作ってるよ。」と答えると、母は「ありがたいねぇ」とねぎらうような言葉をそのたびに私に言ってくるのだが、私にとっては(たぶん誰にとってもだと思うけど)日常的なお弁当作りを、母がどうしてそんなにこだわって聞いてくるのか、不思議に思ったものだった。

 しかしこの男子高校生の気持ちを読んで、私は初めて気づいたのだ。お弁当を作ってもらえることのありがたさ。作ってやれることの幸せ。
 そしてそんなことを考えてから初めて、自分が高校生の時に伯母が毎日お弁当を作ってくれたこと、そのことに対する感謝の気持ちが出てきたのだ。――いったい何年(何十年?)が過ぎているのだ…。

 その当時、伯母は中学生の息子と私の二人分のお弁当を作って――今、そんな大きなのを持ってくる女の子はいない(たぶん当時でも…)というくらいの大きなお弁当箱に、ごはんをぎゅうぎゅうに詰めて持たせてくれた。
 従弟は陸上をやっていたし食べ盛り育ち盛りの年頃だったから、それと同じ量を私が食べたら、どんどん太ってしまう。当然私は少しずつ体重が増え、さすがの伯母もある日「太ったねぇ」と気づいて、ごはんを減らしてくれた。私は伯母が怖くて、残すことも「減らして」と言うこともできなかったのだ。伯母のお弁当は私には恐怖だった。ありがたいという気持ちよりも、とにかく残しちゃいけないという気持ちが大きくて。

 娘にお弁当を作るようになって、そういえば伯母がこんなおかずを入れてくれたっけ。と思い出してそれを作ったりするようになり、初めてあれはたいへんなことだったに違いない…などと思ったのだった。そして初めてありがたかったと思えた。伯母はすでに亡くなっている。
 伯母の家に下宿していたのは1年間で、そのあと私は学校のすぐそばの下宿屋さんに移ったので、残りの2年間は毎日購買でサンドイッチなどを注文していた。
 3年生の秋、仲良くなった友だちのお母さんが、私が下宿生活をしているということを知って、時々お弁当を作ってくれた。友だちがそれを持ってきてくれた。かわいらしいサイズのお弁当箱だった。お礼のメモを入れてお弁当箱を友だちに返したものだが、友だちのお母さんには会ったことがなく、あの時のお礼をしっかりしていないというのがいまだになんとも気がかり。私はなんて不義理なことをしてきたのだろう。

 昨年の秋ごろだったと思う。例によってお弁当の話になった時、実家の母がぽつりと言った。
 「高校の時、お弁当を作ってあげたかった。」
 それを聞いて私は胸がいっぱいになった。
 …そういえば高校のある日、デパートで偶然に、幼稚園の時教わった先生に出会ったことがあった。
 「Yoshikoちゃん!全然変わってないねぇ!」と声をかけられ、(先生はちょっとトシをとったなぁ)などと心の中で思いながら「幼稚園の時から変わってない?」と少しショックをうけたものだが――その時先生がおっしゃったのは、「お母さんのお弁当!毎日きれいに作ってあって、先生はいつも感心しながら見てたのよ。」ということだった。
 父が仕事に出るときはいつも楽しそうにお弁当を詰めていた母だったし、そのお弁当がおいしそうで「私の分も作って」と頼んで作ってもらったこともあった。母はお弁当を作るのが楽しみだったんだなぁと今さらながら思う。それができなかったというのはやはり私に対して心残りだったのだろう。
 このごろはそんなことを考えながら、毎朝お弁当を作っている。

 


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