優勝者番付上位の正当性

これまで、大相撲の番付編成は本割の成績のみで編成するのが慣例になっていた。ところが平成9年に番付編成の規約が変わり、優勝決定戦の地位が同等の場合、優勝者を上位とするという規定に変わり、今場所の番付では先場所優勝の貴乃花が同成績で先場所番付上位の武蔵丸を押さえて東正横綱に座った。今回はこの問題について検証してみたい。

21世紀初頭の1月場所、優勝決定戦で貴乃花が武蔵丸を下して、14場所ぶりの優勝を遂げた。ところが、この復活優勝が番付編成に新たな歴史を刻んだ。

これまで、大相撲の番付編成は本割15日間の成績のみで編成され、優勝決定戦の勝敗は番付とは無関係が慣例だった。しかし、平成9年9月に規約が変わり、同地位で優勝決定戦を行った場合、優勝者を上位とするという規定に変わった。初場所の番付は武蔵丸が西正横綱、貴乃花が東の2人目の横綱(昔でいう張出横綱)だったので、以前の規約だと今場所の番付は武蔵丸が東横綱、貴乃花が西横綱になっていた。が、新しい規定により、優勝した貴乃花が東横綱、武蔵丸が西横綱となった。これが本来当然の姿であろう。

大相撲は昔、優勝決定戦制度はなく、同成績者が出た場合は番付上位の者が優勝者としていた。しかし、戦後相撲人気上昇策として、優勝決定戦制度が導入された。しかし、前記の通り、当初は番付とは無関係だった為、翌場所の番付では決定戦の敗者が番付上位という珍現象が続いていた。その第一号は昭和34年5月場所、東張出横綱の若乃花が、優勝決定戦で東正横綱の栃錦を下して優勝したが、翌場所の番付では勝った若乃花が西横綱、敗れた栃錦が東横綱となった。この決定に当時、ファンから「優勝者を軽視している」と不満の声が多く寄せられた。相撲協会は慣例通りに番付編成をした訳だが、一般ファンには理解し得なかった訳だ。その後、このようなケースが平成元年まで6度起こったが、特に大きな話題になることもなく不満の声が起こることもなかった。

ところが、この慣例の見直しのきっかけとなったのが平成8年11月場所の5人による優勝決定戦。この時、横綱曙、関脇魁皇と共に、若乃花・武蔵丸・貴ノ浪の3大関も決定戦に出場した。結果、武蔵丸が優勝したが、この時の大関陣の番付が若乃花が東正、武蔵丸が西正、貴ノ浪が東の2人目。慣例通り、翌場所の番付は前場所と同じ。しかし、これに異を唱えたのが当時相撲雑誌に連載中だった筆者で、「優勝したのに東大関になれない武蔵丸」の題で、同地位で決定戦の場合、勝者を東にするよう誌上で訴えた。この一文が発表されて2場所後の平成9年5月、横綱同士の優勝決定戦で西の曙が東の貴乃花を下して優勝。しかし、翌場所の番付は東西変わらず。これに今度はファンから疑問の声が協会に殺到、この疑問に応える形で9月場所前の理事会で同地位の決定戦の場合、優勝者を東にする規約に改定され、今回がその適用第一号となった訳だ。

前の規約ではこんな珍記録も生まれた。62代横綱大乃国の横綱での唯一の優勝が昭和63年3月。横綱同士の決定戦で北勝海を下して優勝。しかし、この場所の番付は北勝海が西正横綱、大乃国が東張出横綱。その為、翌場所の番付は北勝海が東、大乃国が西。その後、大乃国は優勝することなく3年後に引退、東正横綱に座ることはなく、横綱で優勝を経験しながら一度も東正横綱になれないという珍記録を作った。一度も東正横綱になれなかったのは大乃国以外にも3人いるが、いずれも横綱で優勝経験なし。この珍記録は規約改定で今後はありえない。

又、前記の5人による決定戦では、武蔵丸が優勝、貴ノ浪は決勝巴戦に進んだが、最も番付上位だった若乃花は1回戦で敗退。新規約では優勝以外は前と同じになっているが、この場合、貴ノ浪を若乃花より上位にするという見方が起きても不思議ではない。同地位で巴戦をやり、2勝、1勝1敗、2敗という結果の場合、1勝した方を2敗した者より上位にするという規約を設けてもいいのではないだろうか?