山の奥の奥のそのまた奥に、小さなうさぎの子がいました。

その子はいつもお母さんの側を離れずに、何をするのもお母さんと一緒。

そうして、その子が一人前のうさぎになる頃には、
鼻と鼻をくっつけると、まるで鏡を見ているように、親子はそっくりになりました。


恋の季節が来て、お母さんうさぎの回りから、一匹また一匹と兄弟たちが旅立つ頃になっても、
そのうさぎは、側を離れようとはしません。

「おまえも新しい道をお歩き・・」
お母さんはそう言いますが、子うさぎは首を振るばかり。



でもお母さんは、知っていました。

向こうの藪の中から、時折、若い雄うさぎがこっちを見つめていることを・・。

ある日、お母さんうさぎは、そっと巣穴から抜け出して、
あの雄うさぎの前に、姿を現しました。

ちょっと距離はありましたが、雄うさぎはすぐに気がついて、じっとこっちを見ています。


お母さんは、ちゃんとそれを確認すると、にっこりと微笑み、さっと走りさってしまいました。

残された雄うさぎは、それを見てびっくりしましたが、嬉しくてたまりません。

『もっと、会いたいな・・』
そう思う気持ちが、つぼみの花が開くようにぽっと胸に咲いたのです。

『勇気を出してみようかな・・』
雄うさぎはそう決心すると、地面をぴょんと蹴りました。

丘の上の野原では、今日も、あのうり二つの親子が美味しそうに、餌の若草を食べています。

「こんにちは」
雄うさぎは勇気を出して、そう言いました。

今まで聞いたことのない声に驚いた子うさぎは、急いでお母さんうさぎの後ろに隠れました。

そして、お母さんの後ろから、そっとその声の主を見つめます。

きれいな目と、ピンと伸ばしたひげが大きな耳と相まって、
それは、兄さんうさぎとはまた違った匂いがしています。

『こんにちは』
子うさぎも、そっと心で呟きました。

次の日もまた次の日も、あの雄うさぎはやってきます。

そして、お母さんうさぎの後ろではにかんでいた子うさぎも、いつしかそれを待ちわびるようになりました。

こうして、お母さんがしくんだ恋は、少しずつ少しずつ、近づいていったのでありました。



「お母さん、私がいなくなっても寂しくない?」

ある日、子うさぎはお母さんに聞きました。

「それは寂しいよ、おまえが私の側に残った最後の子うさぎだもの、でもね・・」
お母さんは、子うさぎの目を見ながら続けます。

「りっぱな雌うさぎになったおまえが、幸せになるのなら、その方が寂しさよりも何倍も嬉しい事よ」

子うさぎは、お母さんうさぎの胸に鼻先をくっつけて、子供の頃にようにひとしきり甘えました。

そうして、次の日迎えに来たあの雄うさぎの後ろを、ぴょんぴょんと一緒について行きました。



そして月日が流れ、あの子うさぎは3匹の子供を持つ、りっぱなお母さんうさぎになっていました。

でも一番小さな子うさぎは、いつまでたっても大きくなりません。

他の2匹がぴょんぴょん跳び回るのを、じっとうずくまったまま大きな目で見つめるだけです。

お母さんになったうさぎは、心配で心配で、その子うさぎを毎晩胸に抱いて眠りました。

でもある日、とうとう子うさぎはその目もあけなくなりました。

そして飛ぶこともなく、小さな命は消えてしまいました。

雄うさぎは、悲しみに暮れる雌うさぎにこう言います。

「子供たちは僕が見てるから、お母さんに会いに行っておいで・・」

悲しみに飲まれそうになりながら、雌うさぎはお母さんを捜します。

そして、やっと見つけたお母さんの胸で思う存分泣きました。

赤い目が、いっそう赤くなるほど泣きました。

お母さんはゆっくりとその涙を舐めながら、静かに話します。

「いいかい、子供はね、いろいろなことが一つ出来た、
二つ出来たと数えてね”つ”がつく間は神様からの預かりものなんだよ
やっと十個の事が出来て始めておまえの子供になるんだから、それまでは大事に大事にしなければ・・。
でもその前にたとえ失ってしまっても、その時は神様にお返ししただけで、
今頃は神様の腕にそっと抱かれているんだよ・・」

それをじっと聞いていた雌うさぎは、心が少し軽くなったような気がしました。

そうして、一晩お母さんの腕の中で眠った雌うさぎは、
あの日と同じように、
お母さんの胸に鼻先をくっつけてひとしきり甘えると、ぴょんと跳びだしていきました。

丘の上には、雄うさぎと2匹の子うさぎが見えます。

そこに、もう一匹が加わって、それはやがて1つの影になりました。