未来 《4》


僕は退院するとホテル住まいをしながら、アパートを探し、住む場所を決めた。
楓が僕の世話をしている間に、食堂の場所や銀行など生活に必要な街の様子を見知っていてくれたおかげで、事は思ったより楽に運んだ。
これから先の事は日本の領事館に相談する事にして、今しばらくはゆっくりしようと思う。
楓はホテルから動く事はせず、僕のアパートに通う生活になった。

「ビザが切れてしまうし、荷物の整理もあるので、一度日本に戻ろうと思う。楓も、その時一緒に行こう…」
僕は毎日の生活に埋もれていく日々に区切りをつけるべく、楓にそう言った。

楓は何も言わず頷いただけだったが、しばらくして顔をこちらに向け、
「お願いがあるんだけど…」と切り出した。
「帰国する前に、一度連れて行って欲しいの…」
僕はその場所がどこなのかすぐに分かった。
だから「分かったよ…」と短い返事だけをして、楓の入れてくれたコーヒーを口にした。

雪の降っていない日を選んで僕達は出かけた。
墓地の下から小高くなった丘を見上げると、どんよりとした灰色の空が見えた。
あの空から見ている…
以前ここに来て、この地に立った時点では、何も感慨深いことは思わなかった。
だが、ポケットにあるロケットを握りしめると、嫌でも気配を感じてしまう。

楓を連れて母の墓標の前に立つ。
そこは新しい雪が積もり、静寂に満ちていた。
「これが僕の母さんの墓だ」
楓はそれを聞くと、両手を合わせ、じっと一点を見つめた後、深々と頭を下げた。

そして僕達はさらに上を目指した。
「ここが僕の父とその家族が眠る墓だ」
不思議に、何のわだかまりもなくその言葉が出た。

ここでも楓は無言で手を合わせ、深々と頭を下げた。

お参りが済むと、僕は丘の上から眼下に広がる白い平原を指さし
「ここが僕の墓になるはずだった場所だ」
そう楓に話した。
すると、楓は前の2回と同じように手を合わせ、深々と頭を下げた。

「お、おい…」
僕は僕の言った冗談に慌てた。
楓は微笑んでいたが
「それはある意味本当よ」とさらりと答えた。

「あなたは一度ここで死んだのよ、だからその心もドロドロになって溶けたの。
春になって雪が溶ければ、土に染み込み、きっと新しい芽を出す養分として生きるわ。
大きな木になるかもね…、そうなるといい」
楓の瞳には光る物があった。

それが、言い終わってこちらを向いた拍子に地面にこぼれ落ちた。
僕はそれを目で追いながら、雪に空いた小さな穴を探した。
そこには金では買えない、大切な物が眠っている、僕にはそう思えた…。

「真代理得…という女性がいた。
彼女は弟が愛した人だった。
僕も彼女に惹かれた…、きっと求めた物が弟と同じだったのだろう…

母も同じように父を愛し…
そしてどちらも、身を焦がして、逝ってしまった…
燃え尽きるのが運命(さだめ)のような人生だった。

全てが巡り合わせの中に、出会いと別れを繰り返す…
始まりがあれば、終わりがある、ただそれだけ…
それでいいのかもしれないな…」

僕はもう一度、父親達の墓標を振り返って見た。

「彼女もきっとここに眠っている、それが彼女の幸せだ…」
僕はそっと呟いた。


「僕は僕の生きる道を探せるだろうか…」
僕は過去を埋めた大地を背に、未来を案じて自問した。

「あなたには、見えないけれど、背中を押してくれる沢山の人がいるじゃない、ここに…」
隣にいた楓が、大丈夫よ…という顔で僕を見て答えた。
その顔を見て、僕は、先程の雪に出来た、小さな穴を見つけた思いがした。

その小さな穴が僕を包む。
そして、呼吸が楽になるような安らぎを感じると、僕は、楓をじっと見つめる瞳に、愛おしさが溢れてくるのを、もう止めようとはしなかった。

「それだけじゃ足りないんだ…」
その言葉を出すのに、僕は楓の腕を掴み、その手を楓の掌まで滑らせた。

「貸して欲しいんだ、この手も…。僕の背中を押してくれないか?」
楓はその意味がしばらく分からないでいた。

僕は掌に力を込める。
すると、みるみる楓の瞳に涙が溢れた。
僕はその楓を抱き、背中をゆっくりとさすった。

「僕も君の背中を押してあげるから…、だから一緒にいよう…」
楓が頷くと、僕は安堵の息をした。
大きな荷物を僕はやっと降ろせたのだ。
そして、僕の目からも楓と同じ涙がこぼれた。

それは、僕の流した最初の幸せの涙だった。

涙でかすんだ先に、沢山の人達の顔が見えた。
「それでいいのよ、リュウ…」
母の声が聞こえる。

そして、僕の愛して止まなかった人は愛する人の胸に抱かれ、慈愛の表情のまま静かな微笑みを浮かべていた。



<了>