ユジンへの告白




ユジン…

僕は今、母さんに電話したんだ…米国に行くと…
昨日までは、米国なんかに行くつもりはなかったのにね。

母さんのピアニストとしての成功は、母さんが掴めばいい。
数学の勉強の為の渡米なんて、今の僕にとっては、もう、どうでもいいことだ。
だから、母さん1人で米国に行けば、それでいいと思ってた。

僕は君がいれば、他には何もいらない…
そう、思ったばかりなのに…

―――

ユジンは僕が春川に来た理由を知ってるだろう。
…そう、僕はずっと父親を探していたんだ。

小さい頃は良かった。
家でピアノの先生をしている母と2人、それを当たり前としていられたから。
だから、今思えば、それは、それなりに幸せだったと思う。
でも、僕が小学校に上がり、周りが同じ歳の子供ばかりになると、状況は一変した。

カン・ジュンサン
カン・ミヒ

同級生達は一様に僕の姓が母と同じ事に興味を示し、そして次の日、親から仕入れた情報で、僕を嘲ったんだ。
「おまえは父ちゃんなしの子だってさ」
「知ってるか、私生児って言うんだぜ」

もちろん、その頃には僕も父親がいない事を知っていた。
小さいときに亡くなった…と母には聞いていたからね。
そして、僕はずっとそれを信じていた。

だけど、本当は違うこと、それを僕は母ではなく、同級生の刺のある言葉で知った。
そうして僕は、その事で初めて、父親の存在を意識した。

僕は小さいながらも考えたよ。
父親に捨てられたのか?、それとも、母が父親を奪ったのか?

僕は小さい頃からパズルが好きで、考えて、組み合わせて、形ができあがるととても嬉しかった。
でも、これはいくら考えても、組み合わせても、答えが出なかった。
…そう、僕は何も知らない。

だから事実が分かってから、僕は再び、父親のことを母に聞いた。
「死んだのよ…、前にも言ったでしょう」
それは、以前と何も変わらない返事だった。

この頃、母は余り家に居なかった。
きっとピアニストになる夢を捨てきれずに、腕を磨きにあちこちに行っていたんだと思う。
僕の気持ちなんて知らずにね…。

「死んだなんて嘘だ!お墓だってないじゃないか!」
僕は同級生に言われたまま、母に言い返した。
「どうしたのジュンサン…」
その時の、母の驚いた顔。

僕はその顔を睨み付けると、戸惑う母を置き去りにして、自分の部屋に引きこもった。
でも、反撃が出来たのもそこまでだった。
僕は小学生で何も出来ない子供だったから。

同級生のからかいも、無言で相手にしなければ、自然に無くなっていく。
それを学んだ僕は、友達も作らず、そうやって、いつもやり過ごすようになった。

そして中学になると、僕はそういった一切のことを忘れるように、数学に熱中した。
それは、答えを引き出すためにあれこれ考えたり、公式を組み合わせる事が、
昔好きだったパズルに似ていたからだと思う。
そうして、僕は父の事を胸に秘めながらも、図書館に通い、数学にのめり込んだ。

ソウルの科学高校に入学すると、僕は向上心を持って、更に数学を極めようとしていたが、高校のレベルでは、僕の欲求を満たしてくれるような、そんな魅力的な授業はそうはなく、僕はまた、身を持て余すようになっていた。

そんな頃、ピアニストとしてその地位を確立しつつあった母は、以前にも増して家に居なくなり、たまに家に居ても僕の目を避けているようにみえた。
そんな母が僕は無性に憎くて、いつも冷めた目で見ながら、
「僕の父さんはどこにいる誰なの?」と詰め寄っていた。
すると、母は小学生の僕に言った言葉と同じ返事を繰り返し、表情を硬くし、僕の前から居なくなった。
僕はそれを知りながら、でも質問を止められないでいたんだ。

そうしたある日、僕は母の涙する姿を見た、開いていたドア越しに…。
緋色の箱を開けて、中にある物を1つ1つ手に取っては、涙する母。
それは泣くほどの辛い母さんの過去、僕は直感的にそう思った。

あの箱の中が見たい…。
僕はその日から、母の留守中に緋色の箱を探した。
が、それはどこにも見あたらず、僕はとうとう痺れを切らし、母に尋ねた。

「緋色の箱はどこにある?あれに母さんの過去が入っているんでしょう?」
「何のこと?」
母は動揺しながらも、箱の存在を認めようとはしなかった。
結局はその日、引き下がるしかなかったが、僕はあきらめた訳じゃない。

だが、次の日、僕が学校から帰ると、庭先の隅から赤い炎と白い煙が立ち上っていた。
その傍には母が、そして地面にはあの緋色の箱。
そう、母は全てを燃やしてしまったのだ。

僕はその事実に呆然としながら、母がその場から立ち去るのを待っていた。
そして、母がいなくなると物陰から出て、くすぶる煙をじっと見つめ、
行き場の無くなった気持ちをぶつけるかのように、それを踏み散らした。

すると、黒く舞い上がるすすの下に、燃え切らなかった数片の紙が見えた。
母はよほど慌てていたのだろう、どうやら紙を束にしたまま火をつけたようだ。

僕は丁寧に、その紙を手に取り、自分でも分かっていない”何か”を探した。
そのほとんどは意味をなさない便せんや封筒の切れ端だったが、そんな中に、かなり燃え残っている写真が1枚。
それには、若いときの母であろう姿と、その母と同じ年頃の若い男が並んで写っていた。

「これは誰だろう?」
僕は心に思った事は口に出さずに、そう呟いた。
そして、手がかりを探すべく、もう一度燃え残りに目を向け、やっと少しの事実を手に入れた。

<高校の…、僕らは…、いつも…、友達だったじゃ…、楽しかった…、どうして…、どこに…>
これらの数片の文字、それと住所の番地らしき数字が2つ。

僕はこれらを手帳に書き写し、そしてこれを手がかりに、母の過去を探した。
まずは母の通っていた高校探しだが、これは母のプロフィールを見れば簡単だった。
次に住所の番地らしき数字、これを春川第一高校の周辺で照らし合わせ、
母と同じ頃に同じ高校に通っていた男性がいたかどうか聞き回ったのだが、
これが思ったより大変で、休みの多くを費やすことになったんだ。

でも、僕は探し出したよ…ユジン…

決め手はやはり写真だった。
母と一緒に写っていた男は母と同じ歳で、今は春川の大学の数学講師。
そう、彼の家の近所で、人の良さそうなおばさんがニコニコしながら教えてくれた。

メモした番地に写真の男がいた。
この事実は、僕の疑問を確信に変える。

で、その日から、僕はどうしたと思う?
母の留守を見計らって、男の家に行き、夜の闇に紛れて家の中を伺うようになったんだ。

それは最初、好奇心を満たすだけの行為だった。
でも、窓から漏れる家族の笑い声とその暖かな空気を感じる度に、僕はそれを好奇心だけで終わらせたくなくなった。
僕の想像力は、僕が男に会う時を期待している…。
そう膨らむ気持ちが、いつしか僕を突いた。

でも、本当に僕を動かしたのは、もう一つの事実の方だったのかもしれない。
実はその家には僕と同じくらいの息子がいたんだ。
僕はあの息子の影。
そう考えると、押さえきれない妬みが渦巻くようだった。

彼が通っていた高校に転校したいと、母に申し出たのはそんな理由からだ。
僕は彼と同じ場所に立ってみたかった。

「どうして今なの?もうじき米国に行くことは言ったわよね」
「だからだよ、母さん、今しか行けない」
「でも、ここからじゃ通えないわよ」
「じゃあ、僕だけでも引っ越すよ」
「ジュンサン…」

母は案の定、僕の顔を見ると、あきれたようにため息をついた。
でも絶対に諦めるつもりはなかったから、その時の僕の顔は、きっとものすごく怖かったんだろう。
母は、そんな僕を見つめると、これ以上の言い争いを避けるように、
「好きなようにしなさい…」
とだけ短く答え、部屋を出ていった。
それから僕は、昔、母が住んでいた家に、最低限の荷物を運んで移り住んだんだ。

それからは、ユジン、君も知っているね。
転校初日に、君と逢い、そして、サンヒョクに逢った。

ただ、サンヒョクの顔を見たときは驚いたよ。
まさか同級生で同じクラスになるとは思わなかったから。
これも巡り合わせか、親たちと同じように…。

僕がなぜサンヒョクを嫌っていたか、ユジン、君は不思議がっていたね。
理由はこれで分かっただろう、そう、あの笑い声が溢れる男の家庭にいたのがサンヒョクだからだ。
何も知らずに、一人息子としてのほほんと育てられ、学級委員の優等生で、さぞ父親の自慢の息子なんだろう。
煙草を隠れて吸う僕とは大違いでね。

でも、こうして限られた期間で、相手との距離のない所に住みだすと、僕は自分の存在を認めて欲しくなった。
あの人が、どんな人なのかも知りたいし、僕のことをどう思うのかも知りたい。
そうして僕はキム教授本人に近づき、さらなる好奇心を満たした。

ただ、サンヒョクが僕の事をこっそり調べていたことは誤算だった。
父親の事を母に聞いても教えてもらえずに、決め手のないままの僕の行動だ、
それをサンヒョクに伝える事は、やはり出来ない。
だから、あのとき、サンヒョクの質問に「…そうだ」と答えたんだ。
君を傷つけるつもりなんてなかった。

ごめん、ユジン…
僕は、あれから、ずっと心でそう言っていた。
君が目を合わせてくれない、どんな時も。

でも、君は誤解を解く糸口さえも、僕に与えてくれず、僕から遠ざかる。
僕は正直、途方に暮れた。
やっと出来た友達と仲直りする術も、僕は持たない。

そんな中、山で迷った君を見つけたときの僕の嬉しさ。
君に分かるかい?
僕は本当に嬉しかったんだ。
あの時、君を見つけられなければ、僕は大切なものを失うところだった。

君に逢って、僕は変わった。
暗い閉ざされていた世界が、君のおかげで少しずつ開け、僕はいつしか、ごく普通の生活を楽しんでいた。
父親や母親に埋めてもらえなかった心の隙間を、君が埋めてくれる。
君を見つめて生きていけば、影の国から出られる。
そんな気持ちにさえ、君はさせてくれた。

「初めて」をピアノで弾いて録音する時も、
初雪が降って、湖で君が来るのを待つ間も、僕はとても幸せだった。
心が温かさで満たされる喜び…それを与えてくれたのも君だ。

だから、僕はこれから、湖で過ごした時間を宝物に、過去に捕らわれず生きていける気がしてた。
そう、あの夜、あの写真を見るまでは…。

僕は完成させたと思ったパズルのピースを、はめ間違えていたのか?
ユジン…君の父親がなぜ…
僕の父親は、本当は、本当は…

僕はさんざん考えたあげく、真実を知るのを止めた。
真実を知ったら、僕は、君の手の温もりも、あのキスも、失ってしまう。
君との思い出は、消したくはない。

ユジン…好きだよ…

大晦日に言うはずだったこの言葉。

ユジン…愛してる…

とても言いたかったのに…
君の前から消えてしまう僕を許して…

ユジン…

ユジン…

もう、呼ぶことも出来ない…