お待たせしました。 12月16日の試合結果を完全版で表示します。こちら | |||
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1/29 横浜大会も終わりました ということで、横浜大会も終わりました。詳細は、しばらく待ってください、 結果は、やはりB級は勝てないといことでした。 うーん、悩みます。でも白妙会大会では大丈夫でしょう。 さて、B級でも勝つようになると悩みが一つ増えます。帰って来られなくなりそうです。もうB級の決勝を7回戦目にやるとなるとだめです。最終に間に合いません。 この頃の東日本の大会はすべててに280人を超えています。B級が今55人位です。 もし64人を超えたらどうするのでしょう。 どうするのでしょうと他人事では済まされません。これは、全日本かるた協会の大会方法を全面的に変える必要もあると思います |
1/24 やっと試合結果を載せました やっと、東会の大会結果を載せました、今週はセンター試験関連の仕事で忙しい さて、東会大会ですがB級にでた1年生が、ものの見事に1回戦でやられました、C級はほぼ独占状態でした。 ということは今の富士高の普段の練習レベルがC級レベルということです。 いつか、これがB級レベルになり、A級レベルになった時、王座が見えてくると思います 東の大会では、富士高が目立っているのですが、浜松北は京都の大会を独占しまくりです。浜北にはもうA級が3人もいます。 浜北は強い! 東会大会のB級では長泉の田村さんが優勝です。おめでとう |
1/18 皆様に感謝 当然ではありますが、反響は大きいですね。この日経新聞問題を教えていただいたKさん、全文をタイプ打ちしてくれたM君、貴重なご教示を下さったAさん、掲示板にかき込んでくれたみなさん。勉強になりました。特にKさんからは新聞のコピーや手紙やらまでいただき本当にありがとうございました。 問題はこのように集約されたと思います。 一つは、「競技かるた」がいかに素人には面白みが伝わりにくいものであるか 2つ目は、「しかし、それをテレビから見た感覚だけで日本のその他の大問題と関連付ける作家の態度」 「もうすこし勉強してから書けよ」 3つ目は、「せいぜい、このサイトくらいしか抗議できないかるたパーソン」 加えて、「自分は小さい時から徒競争では人と反対方向に走ってはらはらさせた」と自己弁護しながら、競争社会を否定する、卑怯な方便 などでしょうか。 僕は、かるた=スポーツ=魂の解放だと定義つけています。大庭女氏とはスポーツの捉え方も少し違っていると思われます とは言っても、日曜日は東会大会です。頑張っていってきます、 |
1/15 「日本経済新聞に抗議する」の新聞記事を掲載する 下の抗議文のもとになった新聞記事を丸山君がメールで流してくれたので、それを勝手にここに貼りつけます。 でも、丸山君はどうやってその記事をパソコンに打ち込んだのかなあ?大変だろうなあ 貼りつけはじめ 丸山です。 1月13日の日経新聞の36面の大庭みな子さんの 文章読みました。毒舌批評宣言のHPの掲示板で 紹介されていた文章です。 どんなものでしょうか、 現代スポーツの否定とアメリカの自由の否定の内容だと 思われるのですが、僕としてはスポーツの否定はいかんと おもいます。憧れこそスポーツの魅力ですし。 特にかるた批判されて、もう一度かるたを考えるいいチャンスにも なると思われます。 暇人なので文章載せます。 HPだといろいろうるさくなりそうなので。 ----- 私の住む浦安市の四分の三は海を埋め立てて造成した 土地なので近くには鐘楼のあるような寺院がなく、年の暮に 響いてくる除夜の鐘も聞こえないので、テレビをつけて どこかのお寺の鐘の音を聞こうと思ったのが、どういうわけか 今年は新年を迎える瞬間の場面はサッカー場であったり タレントたちのから騒ぎだったり、どのチャンネルも旧来の 方針を変更したようで、心に染みるような鐘の音は聞くわけ にはゆかなかった。 年が明けて五日、近江神宮でのかるた名人戦の放映があるとか、 病気に倒れる前に使っていた仕事場から近かったので よく訪れたことのある懐かしい近江神宮のことでもあり、 チャンネルを合わせてみてびっくりしてしまった。 名人位を争う選手のいでたちこそ男性は羽織袴、女性は 和装の晴れ着姿だったが、その動きはスポーツ大会そのものだった。 上の句のごく一部が読まれた途端に手が動いて下の句の札を 跳ね飛ばす早業は眼にもとまらぬし、読まれた歌の札だけでなく 周りの札も一緒に飛び散る。そして、前の歌の下の句が続いて 読まれる間は、汗を拭ったり、立ちあがったり、手を振り回して 札を跳ね飛ばす準備運動をしたりで、およそ戦前の小説に出てくる ような正月風景のかるた取りの雰囲気からは遠い、反射神経だけを 競うゲームと化しているらしい。「むすめふさほせ」という一字札では、 上の句の「む」を読んだとたんに「きりたちのぼる」の札が跳ね飛ば される。これだけの修練と気迫には気圧されるものがあり、競技に 打ちこむ出場者の情熱には敬意を表するのだが、さて、 このチャンピオンたちにとって百人一首の歌の意味はどういうことに なるだろうと、ふと疑問がわいてくる。およその和歌の持つ雅の 世界とは離れてしまった競技方法とは最近のオリンピックの歪んだ 雰囲気と重なってしまう。 二十世紀はなにごとにも、勝つこと、一番になること、に最大の目的、 最大の価値が置かれた時代であったと定義してもよいのではないかと 思われる。近代のオリンピックを生んだクーベルタン男爵は「世界の 若者を集めて競技することによって世界の平和を目指すのだ」と言い、 ある司教は「オリンピックは勝つことではなく参加することに意義がある」 と言ったそうだが、二十世紀の終わり頃の大会では、選手は企業の 広告塔のような姿で登場し、勝てば国旗を振って場内を回り、国威の 発揚の場とばかりにガッツポーズをして得意になる。敗者に対する 思いやりの一欠けらもなく、スポーツマンシップとかフェアープレイ等という 言葉は死語になりかけてしまった。 別の番組ではいかにもアメリカ人の典型という若者が「アメリカ民主 主義は南の制約もなく自由に競争して勝つことが出来る機会を与えられる 素晴らしい制度だった。脱落者が出ることはやむをえない」と何の疑念も 指し狭まずに誇らしげに語っていた。 競争相手を蹴落としてトップになる−−これがアメリカンドリームであり、 アメリカのみならず世界中の人の夢でもあった二十世紀であるが、 さてその結果として出来あがった世界に人々は幸せな顔をして安らいで いるだろうか。世界中の富を集めて作った国に世界中の富を集めよう という貪欲の結果はテロという報酬だった。最新技術のジェット機で旅行 するのに、ハイテクの凶器の検査機をくぐり、さらに靴まで脱がされて 調べてから乗らねばならない皮肉な世界に怯えながら生き、子供たちは 教室に入る前に銃器の検査を受けている状況はどう説明したらいいの だろう。先日もニューヨーク郊外に住む友人に電話をしたら、彼女は ダウンタウンに音楽会を聞きにいっても演奏が終わればあたふたと帰宅 するし、癌で死の近い親友を見舞いに行こうとしてもハズに飛行機に乗る ことを止められて電話で別れを告げたと嘆いていた。 「何でも一番」を目指す自由競争の幻想は、アメリカ人と、そしてその アメリカ幻想に憧れる世界の人をいまだに捉えて放さない。そしてその翳り (かげり)は日本のかるたの競技にまで忍び寄っているのに愕然とする。 子供のときから人の後ろを走っていても平気で親をいらいらさせた私のような 例外的人間は別として、人間は何でも競う本能があることは確かのようで、 そこにスポーツ他の競技も成り立つわけだが、それはホモ・ルーデンスの 遊びの楽しみであるはずなのに、いつの間にかゴルフ、テニス、スケート などなど、全てのスポーツ競技はプロ化され、マネーゲーム化され、 プレイを楽しむ本来の目的からはすっかりそれてしまったようだ。 一番になることは確かに格好がいい。でも競馬では一番速い馬は雄雄しく 逞しい馬というのではなく、あれは敵に襲われたときに逃げる本能で走るの だそうだ。鞭で叩くのは痛い目にあわせて走らせるというよりは、鞭の音で 恐怖心を煽って走らせるのだと聞いたことがある。人間が隣を走る仲間を 見て、更に速く走ろうと競うのも同じ遺伝子が働いているのかもしれない。 勝者の喜びの裏には敗者の悲しみがあり、自由とは他者の自由の侵害の 上に成り立つのだという認識がなければ、人にあふれるこの狭い地球の 将来は危うい。テロ行為を生じさせた自分の行為に一顧の反省もなくおのれの 「正義」だけを声高に叫んでも、憎悪と憎悪の対決を強めるだけだろう。 新しい世紀を迎えたのを機会に人類は地球の温暖化を心配する前に、 己の頭を冷やすことをまず考えるにしくはない。他者を蹴落として生きることを 考えるよりも、他者と並んで生きることを。それが雅の世界というものだろう。 ----- 理系で、国語のできの悪い僕は2回くらい読んで やっと意味が分ってきたような気がします。 でも、それほど腹の立つほどの文章ではなかった・・・。 (ちなみに僕も何かの否定にまわる文章には上の文章と同じく 「感心した」→「でも・・・どうだろう?」というやりかたを 使います。裏切り論法です。その方がわざとらしいから。) |
1/15 日本経済新聞に抗議する ということで、かるた掲示板の投稿にあった通り、13日の日経新聞に大庭みな子女子の競技かるたに対する誤解の文章が掲載されていた。 そこで、私は以下のような文章を日経新聞社宛にメールした。 ではその手紙を貼りつけます。 拝啓 日本経済新聞社 および 大庭みな子 様 初めて お便り申し上げます。このメールは貴社の1月13日の紙面に掲載された大庭みな子女史の「一番争いはもうやめて」と題された記事への抗議の文章です。 私は、静岡県立富士高等学校に勤務する外山和之と申します。社会科の教員であり、百人一首部の顧問教師をつとめております。 もちろん抗議内容は、大庭みな子女史の文中に書かれた競技かるたに対する偏見についてであります。 女史は、「勝つこと、一番になることに最大の目的、最大の価値がおかれた20世紀」の典型的例として、オリンピックの勝利至上主義、アメリカの自由競争社会、そしてその富を追い続けたあげくのテロという報復をあげ、その間違った風潮が、日本の雅の象徴である「かるた取り」にまで浸食してしまっていることを嘆いております。 しかし、このような偏見を女史が持たれ、日本の大新聞が臆面もなく掲載することは、私たち競技かるたを愛好する者に対しての冒涜であると憤懣に耐えません。 そもそも、競技かるたは、明治の20年代から盛んになり、全国で様々なルールよって競技会が各地で行われておりました。そこではルールの解釈や地域エゴによるもめ事もあったと聞いております。そこで、明治37年、ジャーナリスト黒岩涙香がルールの統一に踏み切り全日本かるた協会を創設し、初めての全国大会を東京日本橋で行ったのです。 つまりは、かるたの競技は、一般大衆の中で自然発生的に生まれ、それをより公正で純粋に競技そのものを楽しむようにルールを作り、今に至っている。という経過を辿るわけですから、大庭女史の推論のように、今の風潮が、「和歌の持つ雅の世界とかけ離れたしまった競技方法」をもたらしたのではなく。すでに明治の時代から存在した、純粋に勝ち負けを争う文化(スポーツともいえます)をひとつも変えることなく継承しているととらえてほしいのです。 また、女史は「勝者の喜びの裏には敗者の悲しみがあり、自由とは他者の自由の侵害の上に成り立つのだという認識がなければ、人に溢れるこんぽ狭い地球の将来は危うい」と述べておりますが、 2者間に自由を謳歌できる時間的余裕がなければ、かるた競技はもとより、全てのスポーツ、全ての余暇活動は成り立ちません。私たちは、常に「競技かるたができる自由」に感謝をして競技活動続けています。競技かるたは完全なアマチュア精神にのっとった活動をしており、参加に関しては、特別な試合を除いて(テレビ中継された試合が唯一です)参加費から交通費から全て自前です(ということは運営費も愛好者の加盟費と参加費でまかなわれています) つまり、「純粋に勝ち負けの楽しさ」を味わいたいだけの愛好者集団であり、女史の文中の「プレイを楽しむ本来の目的」だけで競技を続けているのです。 また、勝利至上主義にも、苦言を呈されているようですが、我々も「かるた道」という言葉を使い、礼に始まり礼に終わることを鉄則としています。競技かるたの指導者として私はこう解釈しております「礼というのは相手に最大の敬意を払うことであるがそれと同時に、これからは勝負に対して正々堂々と全力をつくします。従って、あなたも全力を尽くして競技することをお願いいたしますとの宣誓である」と。ですからここにも「プレイを楽しむ本来の目的」だけが存在しているはずです。 このように、大庭女史は、やや偏見を持ってかるた競技を見てしまったのではないでしょうか、女史の文章の中でも極端なプロ化に対する見解などには賛同しますが、競技かるたの現状をそれほど理解せず、誤解したまま書かれたことにだけには、早急に反論を申し上げたく筆をとった次第です。 今年は競技かるた誕生100周年にあたります。日本経済新聞社の皆様と大庭みな子女史には、ジャーナリスト、作家として、我々の世界をよく取材なされたうえで、是非ご意見を頂きたいと存じます。 敬具 平成14年1月15日 外山和之 |
1/12 ようこそ愛しき訪問者 12日は第2土曜日ですから授業は休みです。でも、一日中練習をしました。でも、あと3ヶ月で毎週土曜日は休みになるんですね ところで、今日、本当にかわいいかわいい来客がやってきました。おっと、怖ーい人も来ました。 その怖い人というのは警官です。今日、富士西交番の警官がなんとかるたを取りに来ました。そう、昔、大井川高校その後早稲田大学かるた会で活躍し、その後、クリーニング屋のアルバイトをしながら警官の道を目指していたあのH多野武蔵君です。なななんと、富士署に配属されはれて富士西交番勤務となりました。この交番は富士高の地区を管轄しているそうです。 そして、本当の愛しき訪問者とは、広見小学校のT橋えみこちゃんです。今、小学校6年生です。去年から、静岡県かるた協会が始めた「小中学生かるた大会」のポスターを見て、これならばいつも学級でやっていて楽しそうだな、出てみたいなという感じで応募したそうです。が、ルールが全く分りません。そこで、先週の金曜日えみこちゃんの母親から富士高に電話がありました。ルールを教えてくださいとの事でした。 しかし、競技かるたのルールを電話で説明するわけにもいきませんし、口ぶりでは、競技かるたの読みの調子も知らない様子でした。それはそうでしょう。ということで、それでは明日土曜日に富士高で練習をしているから是非見学に来ませんかとお誘いしたという次第です。 ちょうど御昼休みの時にえみこちゃんとその妹さん、そしてお母様がこられました。かれこれ11時間ほど競技かるたについての説明をいたしました。彼女が毎日学校でやっているのは「5色かるた」といって100首のかるたを5色にわけて遊ぶかるた競技で、最近、向山洋一先生の主催するTOSSの研究会で盛んに宣伝しているものです。この5色かるたを見向きもしない人もいるでしょうが、私は大賛成派です。小学校の授業としては大変扱いやすくなじみ易いものです。競技かるたと同じく我々(日本人)が発明した素晴らしい文化です。 でも、競技カルタとは違います。僕も楽しく楽しく説明したつもりですが、えみこちゃん本当に分ってくれのかなあ、その後、1年生の鈴木綾乃さんと御遊びで1試合取りました。さて、2/3、えみこちゃんの成績はいかに?! あと、3年後,頑張って富士高に来てね。 |
1/7 新春大会の全結果を報告します こちらです。 B級4位 山崎 C級は1.2独占、D級は8人昇段と 80パーセントの出来でした。 次は20日の東会大会です。さらなる隠しキャラも東上します、楽しみ楽しみ さて、アサヒビールのTVCMの件ですが、主役を張ったのがOB兼公認読手の稲葉さんで読み手は稲葉様の奥様(OG)であることが判明しました。わからなくて済みません。 テレビを遠くから見ている健康な証拠です |
1/6 今日は新春大会です。行って参ります 今、4:10です。今日は文京スポーツセンターに行きます。 かるた部のみなさん頑張りましょう。 そして、西郷名人、防衛おめでとうございます 練習があったので衛星放送は見ていませんが、きっと素晴らしい試合だったことでしょう。西郷君は今、アサヒビールのサラリーマンです。みなさん、アサヒ本生の正月用コマーシャル見ましたか?かるた大会の風景ですよね。それも、本格的です。札の配置や取る構えなどが全く忠実に再現されています。これこそ、西郷効果ですよ。 このTVCMを流したこのだけでも、価値があるというものです。望月仁弘君はOBであり、31日にロケを一緒にやったものとしては、望月君を応援したいのですが、事情によって西郷君のアパートに泊まったことのある私としては、どちらを応援したら良いのやらという心境でした。 西郷君は今愛媛にいるそうです。早く転勤して、富士宮のアサヒ飲料の工場にでも来ないかな!ほれ、富士山天然水仕込みという名のビールがあるでしょ。 |
1/3 さて、明日から練習です ということで明日から練習が始まります。OBの皆さんも、少々食べ過ぎ気味でしょうから、かるたで体力を戻しましょう。 今後の練習日程を書いておきます。 1/4は4試合 1/5は3試合(午前2、午後2) 1/6は新春かるた大会(C・Dは期待できる) 1/7休み 1/8は始業式・練習やすみ 1/9課題テスト、ここから練習開始。 1月2月のの土曜日は練習を毎回やります。 |
皆様 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 実は、まだ12月31日大晦日の18:50です。でも、正月用の年賀葉書みたいなもので、正月前に書いちゃいます・今年は、カルタの世界では、何と言っても富士高の年にしちゃいましょう。 まずは、正月の名人戦から、西郷君には悪いけど、OBの望月仁弘君で決まりでしょう。 そういえば、31日の練習会に参加してくれた皆様どうもありがとうございました。 この様子は1月7日(月)の日テレ系「ズームインスーパー」で見られます。 総合司会があの福沢とかいう人でしょ。あの人とは、長泉時代にリントン君の取材で一緒に仕事しているので、かるたを全く知らないわけではないはずだ。コメントが楽しみである。 ともかく、平成14年は富士高かるた部の栄光の年であるはずだ!!!!!。 |