消えていく行事
南庄内地区の招魂祭
この地区では、毎年3月はじめの日曜日に、3町の自治会(庄内町、庄和町、協和町)主催で招魂祭が行われました。忠魂碑のある宿蘆寺で、戦争で亡くなられた方々の御霊を神仏合同でお祀りしました。
平成二十九年三月五日まで行われましたが、その後は休止となっています。
伊勢講
人々がお金を出し合い、お互いに年番で伊勢神宮にお参りしました。室町時代に各地で行われるようになりました。
この地域では昭和30年頃まで行われていました。子供達は伊勢のお土産(お菓子や玩具)が貰えるので楽しみにしていたものです。
庚申講
中国道家(どうか)の信仰に、人間の体には三尸(さんし)という三匹の虫がいて、庚申(かのえさる)の夜に人の眠っている間に、天に昇り罪悪を天帝に告げるので人間は命を奪われるという。そこで庚申の夜は仏教では青面金剛(しょうめんこんごう)を祭り、神道では猿田彦(さるたひこ)を祭り、人々が集まり一夜を眠らずにすごしました。、平安時代に伝わり、江戸時代に盛んに行われるようになりました。
この地域も昭和30年頃まで行われていましたが、それ以降は、お祭りに用いる掛け軸を各家庭持ち回りで預かっています。
三番叟
例祭に、青年団のお囃子に合わせて、小学生の男の子が舞いました。三番叟(さんばそう)の舞いは悪魔を払うものと云われています。この地域では戦前まで行われていました。
八王子神社
明治以前の庄内町(庄内内山)には津島神社と八王子神社の二社があった。
明治に入り、明治七年に上久保にある八王子神社を津島神社に合祀した。この合祀により、津島神社は須佐之男命を主神とし八王子神も御祭神として今も祀っている。
その後、上久保を中心に はやり病が流行したので、もとに戻し(分祀)、久しく上久保のお宮として秋に甘酒祭を行い、近頃では子供達にお菓子を分けていた。
昭和三年七月に建立した社殿の老朽化も著しいことから、平成二十四年十月十四日に御祭神を津島神社に合祀し、社殿は除却し、借りていた土地は地主に返した。
八王子神社の御祭神 八王子神(五男三女神、八柱御子神)
正勝吾勝々速日天之忍穂耳命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命
多紀理毘賣命 市寸嶋毘賣命 田寸津毘賣命
天下泰平 五穀成就 崇敬者安全
現在の社殿を建立した時の総代(昭和三年七月)
崇敬者惣代 真瀬馬太郎 田中吉五郎 田中健蔵 中山覚太郎 真瀬由太郎
日置宇多吉 杉浦常太郎 大村金吾 大村清太郎 外上久保一同