in  中山道 馬籠宿

坂の町『馬籠宿』。文豪島崎藤村の生地であり、歴史と文化の香り漂う宿場町です。
田畑に囲まれたのどかな山あいの一角に、佇んでいます。

中山道とは
 江戸時代の五街道の一つ中山道は、東海道とともに江戸〜京都を結ぶ重要な街道であり、
太平洋に面し、地形・気候ともに良好な東海道には、他面大きな欠点もあった。
大井川・天竜川・富士川・木曽川などの下流部や、浜名の渡し、桑名の渡しを通過するため、
梅雨時や台風時の河川の増水により、時には三日、五日とあるいはそれ以上渡河できず、
しばしば川止めにあい、予定よりも遅れることが多く、
これに対し、中山道は厳しい山や谷が多いが予定通りの通行が可能であるという理由で、
距離はやや多いが利用価値が大であったという。

江戸−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−京都
中山道・・・・145里26町余=約570km
東海道・・・・135里34町余=約540km
水の音、美味しい空気、静かな山里・・・
日常の疲れが癒せる、
贅沢な時間が流れて行きました・・・。

Ranちゃん、ゆ〜ちゃん、ラブママ〜
ソフトクリーム美味しかったね〜

坂道を歩いて、足が疲れなかった?
私?若いから大丈夫!じゃ〜なかった〜イテテテ

ちょっと遅い昼食は、トロロ蕎麦
スルスル喉に入っていって
10秒位で、食べたかも?
ゆ〜ちゃんの(@_@)した顔、おもろかった〜笑


 in 藤村記念館

写真

資料より・・・
明治5年、長野県西筑摩郡馬籠村(現・木曽郡山口村神坂馬籠)に生まれる。
本名島崎春樹。生家は江戸時代、本陣、庄屋、問屋をかねた旧家。
父正樹、母ぬいの間の末子。
9歳で学問のため上京、同郷の吉村家に寄宿しながら日本橋の泰明小学校に通う。
明治学院普通科卒業。
明治女学校、東北学院、小諸義塾の英語、国語教師として教鞭をとるかたわら
「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍、
明治30年には詩集『若菜集』を刊行。
随想集『千曲川のスケッチ』をへて小説『破戒』を自費出版した。
『春』『家』などの自伝的作品を発表して自然主義を代表する作家となった。
大正2年フランスへ渡り、 第一次世界大戦に遭遇し帰国。
童話集『幼きものに』、紀行文集『海へ』『エトランゼエ』『佛蘭西だより』、
小説『新生』などを刊行した。
昭和4年、長編『夜明け前』を発表し、歴史小説として高い評価を受ける。
昭和18年『東方の門』執筆中に脳溢血で倒れ永眠。
神奈川県大磯町、地福寺に埋葬される。
馬籠の菩提寺永昌寺には分骨として、 遺髪・遺爪が埋葬される。


終わりに・・・

今回は、ゆ〜ちゃんが初参加!!
ラブママ、Ranちゃんとは前回の”福島旅行”より7ヶ月目でもって、3度目の再会・・・
1日目は大雨でどうなる事やら???と案じましたが(雨女の私のせい?)
2日目は、真夏のような汗ばむ陽気!ホッ!!

ラブママのお土産のリンゴのお菓子と、Ranちゃんからのイカ墨のお煎餅を食べながら
楽しかった旅の思い出を、反芻しています。
(ゆ〜ちゃんのお土産の”勝負パンツ”使える日が来るでしょうか・・イヒヒヒ・・楽しみだにゃ〜\(^o^)/ )


Ranちゃん、長時間の運転お疲れ様でした〜
何かあったら?助手席が1番危ないと思い(Ranちゃんの運転技術信用してなかった?)
若いラブママ、ゆ〜ちゃんを後部座席に追いやり・・・m(_ _)m
お陰で、車酔いも無く、快適な旅でした♪
又楽しい思い出が、私の絵日記に追加されました〜゚・:,。★\(^-^ )♪ありがとう♪( ^-^)/★,。・:・゚

次回は、秋の京都or大阪・・・ゆ〜ちゃん案内たのんまっせo(^o^)o