ラザール・ベルマン小伝

 ラザール・ベルマンは1930年レニングラードに生まれた。一家はユダヤ系で、母はペテルブルグ音楽院でピアノを学んだ知的な女性であり、父は労働階級の人だった。ベルマンは母からピアノの手ほどきをうけたのは2歳足らずの幼い頃だったという。母は3歳の息子を才能コンクールに参加させる。その結果、ベルマンはレニングラード音楽院傘下の神童グループに編入を許された。ソヴィエトの音楽教育は徹底した早期英才教育である。まもなく一家はモスクワに転住し、ベルマンは9歳で中央音楽学校に入学を許可され、アレクサンドル・ゴールデンヴァイザー教授の門下生となる。ベルマンの演奏スタイルに最大の影響力を与えた教授は根っからのロマン派ピアニストで、じつに20年の長きにわたってベルマンのよき指導者となった。

 1948年、ベルマンはモスクワ音楽院に入学し、大学院も含めて、8年間在学した。しかも、主なピアノ教師はずっとアレクサンドル・ゴールデンヴァイザー教授だった。モスクワ音楽院在学中、ベルマンが感化をうけたといわれるピアニストはスヴァトスラフ・リヒテルとウラディミール・ソフロニツキーだったといわれる。(ソフロニツキーも幻のピアニストといわれていたが、痛ましくも早逝した。それゆえ、ベルマン以外に、ソヴィエトにはもう幻のピアニストはいないそうである)正確にいえば、1948年から1953年までベルマンはもモスクワ音楽院の学部学生として学び、次いで大学院学生となり、1957年まで在学した。卒業と同時にベルマンはモスクワ・フィルハーモニー(オケではなく国営音楽マネジメント)に配属され、コンサート・キャリアが始まったのである。

  1.  ベルマンがサーガ・レコードの招きで初訪英し

つづく