おはなし |
延長6年(928)、熊野権現へ参詣に来た男前の修験者『安珍』が、 紀伊の国牟婁群眞砂の庄屋の家に一泊させてもらうことになりました。 その時、この庄屋の娘『清姫』が若く美男であった安珍に一目惚れしてしまいます。 夜半、清姫は安珍の寝床をたずね、積極的に自分の恋心を打ち明けました。 しかし安珍は、 「今は修行中の身。帰りにもう一度ここに寄るので、それまで待っていて欲しい。」 と、断ってしまいます。 帰路にまた立ち寄ることを約束された清姫は、来る日も来る日も安珍を待ち続けました。 しかし、いつになっても安珍は姿を見せません。 不審に思った清姫が熊野詣帰りの人に安珍の事を尋ねたところ、 「別の道を帰るのを見た」とのこと。 それを知った清姫は自分がだまされたことを知り、憤怒の形相で安珍を追いかけます。 髪を振り乱しながら裸足で安珍を追う清姫。 やがて日高川の岸辺へたどり着きますが、 安珍への恋心はもはや執念となり、清姫の姿は大蛇に変わってしまいました。 大蛇になって日高川を渡る清姫を見て、安珍は道成寺という寺へ逃げ込みました。 僧たちに懇願し鐘の中に身を隠しましたが、時すでに遅し。 大蛇は鐘に巻きつき、炎を吐いて鐘もろとも安珍を焼き尽くしてしまったのです。 その後、清姫は蛇体のまま入水して安珍の後を追ったのでした。 |
原話 |
安珍清姫の原話と思われる話は『大日本国法華験記』や『今昔物語集』に収められています。 こういう話の背景には何らかの意味が必ず含まれておりまして、 この物語は元々法華経の力を誇示するためのものであったと言われているようです。 今昔物語集に収録されている話は以下のようなものです。 今は昔、熊野に参る二人の僧がいた。 一人は老人で、もう一人は若い美男子であった。 牟婁の郡まで行って、とある人の家に二人とも宿をとった。 その家の主人はまだ年若い後家であった。女の従者が二・三人いる。 この女主人は若い僧の美しいのを見て、ていねいに世話し、もてなしたが、 夜になって、僧たちがすでに寝てしまってから、 深夜に、女主人は密かにこの若い僧の寝ている所に這って行って、僧の横に寝た。 僧は驚いて覚める。僧に女は言う。 「我が家は一度も人を泊めたことがありません。 しかし、今夜あなたをお泊めしたのは、 昼、あなたを見たときから夫にしようと思い定めていたからです。 だからあなたをお泊めして、本来の目的を遂げようとこうして近づいて来たのです。 私は夫を亡くして寡婦です。あわれと思ってください」 僧はこれを聞いてたいへん驚き恐れて、 「わたしには宿願があり、日ごろ心身精進して遥かな道を熊野権現にお詣りに行くところ、 ここで願を破るのは互いに恐れがあるでしょう。こんなことはやめてください」 と断わった。 女は恨みに思い、終夜、僧を抱いて乱れ騒ぎ、戯れるも、様々な言葉でなだめすかし、 「熊野に参ったその帰りにならあなたのおっしゃるようにしましょう」 と約束した。 女は約束に安心して自分の部屋に帰った。 夜が明け、僧たちはこの家を発ち、熊野詣の旅を続けた。 女は約束の日を心待ちに待っていたが、僧は女を恐れて他の道を通って逃げてしまった。 女は僧の来るのを待ちわびて、街道に出て旅人に尋ねていると、熊野から来た僧がいて、 その僧に聞いてみると「その二人の僧ならもう二・三日前に帰っていった」と言う。 女はこれを聞き、怒り、家に帰って寝所に閉じこもった。 物音ひとつしなかったが、しばらくして女は死んでいた。 従女たちはこれを見て泣き悲しんでいたが、 たちまち、五尋(ひろ)もある毒蛇が寝所から出て来た。 毒蛇は熊野街道を僧を追って走っていく。 人づてに大蛇のことを聞いた二人。 さては女主人が悪心を起こして毒蛇となって追ってくるのだろうと走り逃げ、 道成寺という寺に逃げ込んだ。 道成寺の僧たちは二人の僧から事情を聞き、二人をかくまうことにする。 鐘を取り下ろしてそのなかに若い僧を隠し、寺の門を閉じた。 しばらくして大蛇がこの寺にまで追ってきて、閉じた門も難なく越え、 なかに入ってきて、鐘楼のまわりを一・二度回り、 入り口の戸のもとに行って、尾で扉を叩くこと百度ばかり。 とうとう扉を叩き破って、中に入った。 鐘を巻いて尾で竜頭(りゅうず。鐘のつりて)を叩くこと二時三時ばかり。 道成寺の僧たちは恐れながらも、中でどうなっているのか怪んで、 鐘楼の四面の開いて、中を見てみると、毒蛇は両の目から血の涙を流して、 頚を持ち上げ、舌舐めずりをして、もと来た方に走り去っていった。 大鐘は蛇の毒熱の気に焼かれ、炎が燃え盛っている。 水をかけて冷やして、鐘を取り除けて僧を見ると、 僧はみな焼け失せて、骨さえも残っていない。 わずかに灰ばかりあるだけである。 老僧はこれを見て泣き悲しんで帰って行った。 その後、道成寺の上席の老僧の夢に、前の蛇よりも大きな大蛇が現れ、 「私は鐘の中に閉じ込められた僧です。 悪女が毒蛇となって、ついにその毒蛇の為に捕らわれて、その夫となりました。 ぶざまで穢い身を受けて、無量の苦を受けています。 聖人の広大の恩徳にすがって、この苦しみを離れたいのです。 どうか法華経の如来寿量品を書写してわれら二匹の蛇のために供養をほどこして、 この苦しみからわれらをお救いください」 老僧にこう言って帰っていった。 と見て、夢から覚めた。 老僧は蛇の言う通り、法華経の如来寿量品を書写して供養した。 その後、老僧の夢に一人の僧と一人の女が現われ、 二人とも笑みを含んだ喜ばし気な顔つきで道成寺に来て老僧を礼拝して言った。 「あなたの清浄 われら二人、蛇身を捨てて善所に赴くことができました。 女はトウ利天に生まれ、僧は都率天(とそつてん)に昇ることができました」 このように告げ終わると、二人はおのおの別れて空に昇った。 と見て、夢から覚めた。 老僧は喜び泣いて、いよいよ法華の威力を尊んだ。 |
安珍と言う人物 |
奥州白河(福島県)在萱根の里、安兵衛の息子。 年は16歳とも19歳とも言われ、その真実は定かではありません。 ただ、どの話を調べても「若くて美男子」という解釈がなされています。 現代で言えば『草刈正雄』といったところでしょうか。 なかなか硬派な人物のようで、清姫の誘惑(?)に揺らぐことはなかったようです。 「帰りにもう一度寄る」という言葉も、本心というよりは言い逃れしているように見えます。 どうやら、清姫の一方的な想いという色が濃いようですね。 原話の今昔物語集を見ても、どちらかと言うと迷惑そうな感じが見受けられます。 ただ、『御互い惹かれ合った』とされているものもあるようです。 この話の場合「安珍は蛇身の清姫の姿を偶然見てしまい、恐れをなした。」と、 清姫の執念が清姫を蛇の姿に変えたのではなく、最初から蛇の姿だったことになっています。 こちらの話は清姫の出生がポイントになりますので、後で触れることにします。 |
清姫と言う人物 |
和歌山県西牟婁郡中辺路町真砂(まなご)の里、真砂荘司藤原左衛門之尉清重の娘。 (漢字が多くて読み辛いですね) 年は13歳ですが、ただ『年若い娘』とされているものと、既に『若後家』とされているものがあります。 どちらにせよ、安珍よりは若い娘だったことは確かなようです。 安珍に比べ、清姫に関しては他にも多くの説が存在しています。 特に『安珍逃亡説→蛇へと変身』部分のバリエーションは複数あります。 安珍を想うあまり食事が喉を通らなくなり、病気になって死んでしまう、という話。 その後、死んだ清姫の部屋から安珍を想い尋常ではなくなった清姫の心が変じた蛇が安珍を追った と続けられています。 道成寺まで安珍を追うことなく、富田川の淵に身を投げて死んでしまった、という話。 更に、身を投げた所で終わっているものもあれば、 その一念が怨霊となり、道成寺まで蛇身となって後を追った と続けられる物もあります。 まとめると、 @安珍を追う間に徐々に蛇の姿に変わった A富田川の淵に身を投げて死んだが、その一念が怨霊となり蛇の姿に変わった B病気になって死んだが、安珍を想い尋常ではなくなった清姫の心が変じて蛇の姿に変わった C富田川の淵に身を投げて死んだだけ の4つに分類されるでしょう。 (私の調査不足でまだ存在するかもしれません) どちらにせよ、非常に情熱的な方だった訳ですね。 最後にはあっちの世界で結ばれた、とされる話もありますし、 その想いは決して軽い気持ちではなく本物だったんだなあ、と思います。 また、清姫の生まれに関して別の説があります。 我々と同じ人間の一般的な出生の他に、 清重が黒蛇に飲まれそうになっている白蛇を助けたのち、 巡礼の姿になって白蛇が清重の許を訪れ、夫婦になって清姫が生まれたというものもあります。 後者の場合、先に述べた「安珍は清姫の蛇身の姿を見てしまい、恐れをなした。」 という話になっているようです。 |
道成寺という寺 |
安珍が逃げたとされる道成寺はこんな御寺です。 藤原不比等の娘で、文武天皇后・聖武天皇母である、 藤原宮子が誓願して建立したもので、大宝元年に開基した和歌山県内最古の寺。 能や歌舞伎・文楽・長唄などのいわゆる道成寺ものの舞台としても有名。 春は、人相桜などが花霞を作り、歌舞伎の舞台さながらに美しい。 境内には、仁王門・本堂・三重塔・護摩堂などの建物と、安珍清姫にまつわる安珍塚・鐘楼跡・蛇塚など。 縁起堂では道成寺縁起絵巻の絵解き説法も聞ける。 【住所】〒649-1331 和歌山県日高郡川辺町鐘巻1738 【TEL】0738-22-0543 また、毎年4月27日には鐘供養も行われているそうです。 |
道成寺の鐘 |
現在、吊鐘は京都市左京区岩倉幡枝町妙満寺に納められています。 実はこの納められた吊鐘は二代目であり、 二代目は源万寿丸の寄進で南朝正平14年(1359)3月に完成したものだそうです。 その祝儀の際に白拍子が現れ、舞いつつ鐘に近づき蛇に変身、 鐘を引き下ろしてその中に姿を消したといわれ、 僧達はこれを清姫の怨霊として鐘を裏の竹林に埋めたのですが、 その二百年後の天正13年(1585)豊臣秀吉の紀州攻めの際、 一軍の大将仙石権兵衛がこれを掘り出して陣鐘に使い、 京都に持ち帰って安珍・清姫の怨霊解脱のためこの妙満寺に納めたのだと言い伝えられています。 鐘にはちゃんと「道成寺」の文字が書かれているようです。 よって道成寺には吊鐘が無いそうです。 勿論、蛇と化した清姫によって焼かれたから、と言いたいのですけどね。 (一代目にの鐘に限っては言えるのでしょうけど) |