おはなし |
時は平安、京の都の朱雀大路の南の端の羅生門に人々を苦しめる悪鬼が現れました。 この噂を聞いた天皇はただちに源頼光に鬼退治を命じ、 勅命を受けた頼光は、四天王と呼ばれている勇将の一人『渡辺綱』を羅生門に向かわせます。 勇猛豪胆で知られる渡辺綱は悪鬼に戦いを挑み、見事その右腕を切り落としました。 悪鬼は切り落とされた腕をその場に置いたまま逃げてしまいました。 後日、伯母が渡辺綱の元に現れます。 伯母は「鬼の右腕を見せて欲しい」と執拗にせがんできました。 実はこの伯母、自分の右腕を取り返すために悪鬼が化けたものだったのです。 最初こそ断っていたものの、その熱意に折れて渡辺綱は伯母に鬼の右腕を見せてしまいます。 これ絶好の機とばかりに叔母は鬼に姿を変え、右腕を奪って逃げてしまいました。 |
悪鬼の正体 |
羅生門の鬼に出てくる悪鬼は、茨木童子と呼ばれています。 ただ、茨木童子に関しては『羅生門の鬼』とされる話と『一条堀川の橋の鬼』とされる話があるようです。 どちらも渡辺綱と対峙する部分と最後に右腕を取り返すという部分は共通していますので、 話の展開的にはさほど変わりがありません。 なお、茨木童子と渡辺綱の話は「御伽草子」「平家物語」「源平盛衰記」など、沢山の書物に残されています。 ちなみに『一条堀川の橋の鬼』とされるバージョンはこんな感じです。 ある夜、源頼光は渡辺綱を一条大宮の方へ使者に出した。 渡辺綱が役目を終え、一条堀川の橋にさしかかった時、 たもとに20歳くらいの雪のように白い肌をした美女が紅梅のうちかけをふわりと身にまとい、 艶やかな風情で佇んでいるのを見かけた。 夜中に共も連れずにいるのを不審に思い、声をかけると 「五条あたりまで参りたいのですが、送って頂けませんか?」と返事が帰ってきた。 渡辺綱は馬から降り、女を馬に乗せて五条に向かった。 五条につくと女は「私の住居まで送って頂けないでしょうか?」と言ってきた。 渡辺綱が了承すると、女はたちまち恐ろしい鬼に姿を変え、 「我が行く先は愛宕山ぞ!!」と言って渡辺綱の髻を掴み、愛宕山の方向へ飛んで行こうとした。 しかし、渡辺綱は慌てず頼光から借りてきていた寶剣「髭切」で鬼の手を切りつけた。 腕を切り落された鬼は愛宕山の方へ飛び去り、渡辺綱は北野神社の回廊の屋根に落下した。 渡辺綱は鬼の腕を持ちかえり、頼光に見せたところ、大変驚いて陰陽師の安倍清明に相談した。 安倍清明に「鬼の腕を唐櫃に納めて厳重に封印して、7日間仁王経を唱えるとよい」と教えられた。 そして言われた通りすること6日目、突然叔母が訪ねてきた。 「7日が終るまで人に会えないのでもう1日待って欲しい」と渡辺綱は丁重に断ったが、 叔母は聞き入れず、しまいには泣き出してしまう。 仕方なく家の中に入れてやると、今度は櫃の中を見せて欲しいと言い出した。 望み通り封を解くと叔母は鬼に姿を変え、櫃の中にあった腕をつかんでいずこかへと飛び去って行った。 ※太刀を鬼切丸とする諸説もあり なお、茨木童子に関してはその後も話が続いております。 大江山の鬼の一味として京の都を荒らしまわりましたが、 源頼光の大江山の鬼退治のさい頼光に首を切り落とされ絶命したとされています。 |
渡辺綱と言う人物 |
嵯峨源氏出の平安中期の武人。 源頼光の四天王の一人で、数々の伝説を残した剛毅の勇将です。 洛北の市原野で鬼同丸を、大江山で酒呑童子を殺し、また羅生門の鬼を退治したと言われています。 (953〜1025) なお、源頼光の四天王は渡辺綱の他、占部季武、碓井貞光、坂田金時の四名。 御存知の方は多いと思いますが、坂田金時はあの有名な金太郎の御方です。 |
茨木童子の生い立ち |
茨木童子にも立派な(?)生い立ちがあります。 茨木童子は摂津国の水尾村の農家で妊娠期間16ヶ月の難産の末に産まれました。 しかし、産まれた時から既に歯が生え揃い、ヨチヨチと歩き出し、 更には母親を見て不気味に笑い、それを見た母親はショック死してしまいました。 童子は親戚にも気味悪がられ、茨木村の九頭神の森の近くにある床屋の前に捨てられ、 その床屋に拾われて育てられました。 (茨木村で拾われたことが所以で茨木童子と呼ばれる) 床屋の仕事を手伝うようになって数年後のある日、剃刀で客の頭を誤って傷つけてしまいました。 流れた血を何気なく舐めてみると、それが思いのほか美味でした。 なんとその後はわざと客の頭を傷つけて血を舐めるようになってしまいました。 そんなある日、顔を洗おうと覗き込んだ小川に鬼の相になっている自分の顔が映りました。 驚いた童子はそのまま丹波の山奥に入り、大江山に住む酒呑童子の家来になったと伝えられています。 なかなかダークな生い立ちで、これが自分だったらと思うとゾッとしますね。 単なる服好きの普通の人間に生まれて良かったですわ。 |
酒呑童子 |
上で酒呑童子が出ましたので、ついでにこの御方の紹介も。 「御伽草子」「大江山絵詞」「酒呑童子絵巻」などに話が残されています。 酒呑童子の物語はこんな感じです。 都で若君や姫君が失踪する事件が相次いだことを受け、朝廷は陰陽師の安倍晴明に占わせました。 占いの結果、この事件が大江山に棲む鬼王の仕業である事が判明。 朝廷は源頼光とその四天王及び藤原保昌に討伐を命じました。 源頼光と藤原保昌は、石清水八幡宮・日吉大社・住吉大社・熊野大社に鬼退治の成就を祈願します。 意気揚々と大江山に向かう一向でしたが、なかなか鬼の棲家が見つかりません。 仕方なく、山中に住む三人の老人達に道案内を頼みました。 その老人達は道案内ばかりか、山伏姿に変装することを助言し、 更には、鬼が呑めばその神通力が失われ眠くなる効果をもたらし、 源頼光たちが呑めば力がみなぎるという、便利な「神便鬼独酒」という酒をくれました。 (実はこの老人たち、出発前に詣でた石清水八幡宮・住吉大社・熊野大社の神でした) 大江山に着いて酒呑童子に会うと、 「一夜の宿を御借り願いたい」 と言って、神便鬼独酒を差し出しました。 鬼達は喜んで呑み、やがて横たわって寝てしまいます。 それを見計って、源頼光は酒呑童子の後ろに廻って刀を抜きました。 その気配に気がついた童子は、起き上がろうとしたが手足を鎖に縛られていて動けません。 鬼を縛ったのは先程道案内をした神々です。 動けない童子に対し、6人がかりで斬りつけ首をはねました。 はねられた首は一旦天高く舞い上がると、頼光をめがけて襲いかかってきましたが、 頼光は神の化身から授かった兜を被っており、童子の首は頼光に近づくことすらできませんでした。 酒呑童子の首を討つと茨木童子を始めとする鬼達が襲いかかってきます。 しかし、ことごとく返り討ち。 そして囚われの人々を救い出して都に戻ることにしました。 その途中、老ノ坂で一休みしていると道端の地蔵が 「鬼の首という不浄の物を、都に持ち帰っても良いものか・・・」とつぶやきました。 するとどうでしょう、首は岩のように重くなりまったく動かせなくなってしまったのです。 仕方なくそこに首塚を作り、首をその場に埋めてしまいました。 |