つれずれゆめ日記

2000年1月〜3月    

 1歳半検診のとき、ゆめはまだ1歳半ではなかったが、問診票の出来る出来ないの項目で,出来ないことがあまりにも多く、運動面でも歩くどころか立つ気配さえなかった。喃語は話すが、自分の意志を伝える等、何か意味があって言っているとは思えない。発達の遅れが顕著になったこともあるが、私自身”これ以上不安を抱えたままでいたくない”という気持ちがあり、もう年末だったが、病院を紹介してもらうことにした。病院へ行くにあたっては周囲から反対の声もあった。

12月29日 友愛の里初診
 すっかり育児に自信をなくし、先生の質問に的確に答えられるか心配だったので、義母に一緒に付きそってもらうことにした。義母は”ウチの孫のどこがおかしい!”といわんばかりの剣幕。義母の気持ちは痛いほどわかる、つい何週間か前までは私もそう思っていたが、私には既に義母に加勢するほどの気力がなかったし、実際にゆめは遅れている。だから病院へ来ているのだ。杉江先生は”瞬きが多いのが気になるから脳波の検査しましょう”といわれた。しかし周囲の反対にあい、結局検査は先延ばしにした。私は先生が検査するというのであれば、それが全身麻酔を必要とする検査であってもかまわなかったが、結局は廻りに流される形となった。

1月4日 はじめてのリハビリ
 検査はしないが、リハビリだけは通うことにした。本当は友愛のさとに通うことさえ精神的に苦痛だったが、ゆめが1日でも早く歩けるようになるならば、と思い1週間に1回ペースのつもりでリハビリに通った。このころの私はゆめが可愛いには違いなかったが、ゆめの気持ちのことをちゃんと考えていただろうか・・・。
 はじめてのリハビリの時、村木先生に”ゆめはいつ頃歩けるようになりますか?”と聞いた。そんな質問はホントに困っちゃうだろうが、村木先生は優しかった。・・・が、私の聞きたかった答えは返ってこなかった。杉江先生は”いつか歩けるようになるでしょう。でも遅れは取り戻せるかは判らない”とおっしゃっていた。

 リハビリに通いはじめてから、それまでカエル泳ぎのようなずりばいだったのが、左右交互に足を曲げるようになった。膝と肘をついて4つんばいの姿勢もとれるようになった。家でも無理矢理机にもたれかけさせて”つかまり立ち”をさせていたが、立っていられる時間が長くなってきた。そして私は何度も村木先生に”いつ頃歩けるようになりますか?”と尋ねた。

2月1日 ゆめ発熱
 個人病院で診てもらったが、インフルエンザとのこと。点滴を受けて帰った。あれ?なんだか私も調子がおかしい?と思ったら、私もインフルエンザ。実家で面倒をみてもらった。

2月5日 入院
 私は持ち直したが、夕方になってゆめが40度の高熱!慌てて磐田総合病院の救急へ。そして入院。点滴をしているゆめを見つめていると涙が出てきた。

2月8日 血液検査
 入院中、何度か血液検査をした。やっと点滴を取ることができたが、先生から思いも寄らない言葉が。”血液検査で肝臓が一生懸命働いているっていう数値がでているけど、思い当たることない?”気になることとといえば1歳半になるのに歩かない事、血液の数値とは関係ないかもしれないが、一応先生にそのことを伝えると、”じゃぁ、さっき取った血液があるから、そっちのほうの検査もしてみるね。”といって部屋を出ていった。そっちのほうってどっちのほう?しばらくして山田先生が戻ってきて、検査の結果CPKという数値が普通の子が250のところ、7000もあること、これによって筋肉の病気の可能性があるということが告げられた。筋肉の病気の可能性・・・ショックだった。

2月9日 退院
 パパが病院にきた。そして昨日先生から聞いた血液検査のことを伝えた。パパは”そうか・・・”とため息をつき黙りこくってしまった。”大丈夫”という答えを期待していた私は不安になって”それだけ?”とたずねた。するとパパは”普通の子が250のところ、ゆめは7000もあるんだろ。何ともないわけないよ。”と静かに言った。それを聞いて、私は更にショックを受け放心状態のまま、ゆめは退院した。

2月14日
 退院してからまたもや調子の悪くなったゆめは、別の風邪にかかったらしく、入院こそしなかったが、2,3日寝込んでいた。この時のCPKの結果は2000だった。ゆめはすっかり赤ちゃん帰り。言葉も出ないし、はいはいもしなくなってしまった。

2月17日 神経外来
 退院のとき、この日に神経外来に来るようにと言われていたので、重い足取りで磐田病院へ。ちょうどこの日は1歳半検診の日だったのか、小児科の子供が多かった。ゆめよりも明らかに小さい子が自分でお座りする姿、つかまり立ちをする姿をボーっとしながら眺めていた。すると元気な女の子が裸足で走ってきた。その子のお母さんをみてびっくり、私がゆめを産むときに一緒に陣痛室でがんばっていた人だった。つまり、ゆめとその子は生まれた時が何時間も違わないのだ。ゆめは自分でお座りも出来ないのに・・・。
 何時間も待ってから名前をよばれ、診察室ではなくなぜが処置室に入っていくと、友愛のさとの伊藤先生と磐田病院の小児科の先生が2人いらっしゃった。ただならぬ雰囲気に私もゆめも緊張。どうして先生が3人も?伊藤先生は山田先生と同じ事と、CPKとは筋肉が壊れると出てくるということを教えてくださいました。”筋肉の病気ってどんなものがあるのですか?”思い切って尋ねると先生は、”筋ジストロフィーのようなものから、日常生活には支障のないものまで、いろいろですよ。ゆめちゃんの場合はそんなに深刻なものではないでしょう”とおっしゃった。処置室から出てくると実家の母が待っていた。母は心配して様子を見に来たようだったが、私の気持ちは明るかった。先生のお言葉を”筋肉の病気の可能性はあるが、筋ジストロフィーのような深刻なものではない。日常生活には問題ない”と受け取ったのだった。このときの血液検査CPKは9000、後日友愛のさとで詳しく検査することとなった。


2月21日 友愛のさと診察
 実は・・・去年の初診から、杉江先生に診ていただくのは2回目だった。リハビリにだけ通って、検査の予約を無視していたことを怒られるかとおもったが、杉江先生はとてもやさしかった。このときはじめて”CPKが高いのは筋肉が壊れているから=筋ジストロフィーの可能性”を指摘された。そして、ゆめの筋肉の状態を確かめるため筋生検をすることになった。

3月11日 筋生検
 ゆめの右足太股にかぎ針のような針を刺して筋肉のかけらをとる、これを3,4回繰り返すというものだった。杉江先生は”女の子だから跡が残らない方がいいでしょ”といってこの方法にしてくださった。”局部麻酔はするけれど、ゆめが泣くのを聞くのが辛いだろうから、お母さんは喫茶室にいっていていいよ”と看護婦さんが気をつかってくれた。実家の母が来てくれた。私たちは喫茶室でコーヒーを飲んで待っていたが、友愛の里は静かで、ゆめの泣き声が響いていた。検査が終わって、ゆめは全身汗でびっしょり。よほど怖かったのだろう。この日から杉江先生を見ると泣くようになってしまった。


3月16日
 リハビリでは機能訓練を集団で行うパンダグループを勧められたが、話半分に聞いていた。