つれずれゆめ日記
2000年
4月〜6月           

4月7日 整体
 最近ゆめは、部屋の引き戸を自分で開けてしまう、というか開けられるようになった。ゆめは少しずつでも成長している。実家の母に整体を勧められて通ってみることにした。1回7000円と少々高いが、猫背だったゆめの背中が伸び、重そうだった頭を上げた!整体の先生は西洋医学を目の敵にしているようで、リハビリには行くなというけれど、どちらもゆめにとってプラスになるから続けようと思う。

4月8日
 従姉妹の弓ちゃんが遊びに来たので叔母に誘われてオークラでお食事。ゆめはご機嫌で(こういう場所が好き)椅子の上で膝立ちをした。

4月24日 結果
 朝、友愛のさとへTel。リハビリの予約を入れ、スクリーニング検査の結果が出たというので早く結果を知りたくて、午後2:00に小児科を予約した。実家でお昼を食べ友愛のさとへ、実家の母がまた付き合ってくれた。いよいよ受診。検査の結果は最悪だった。はじめに杉江先生から”これが先日の筋生検の結果、ゆめちゃんの筋肉の断面です”と写真を見せていただいた。瞬間”あぁ、そうなのか”と思った。筋肉は沢山の筋が束になっている、それぐらい私にも判っていたが、ゆめのそれは筋の間が隙間だらけ、明らかに筋肉が少ないのだ。筋の太さもまばら、中にはとても太いものもあり、それをみて”あぁ、ゆめはゆめなりに頑張っていたんだな”と感じ、涙があふれてきた。そして杉江先生から”筋ジストロフィー”という難病であることが告げられ、涙があとからあとから出てきて止まらなくなった。それから杉江先生はいろいろ説明をしてくださったが、この時の私には何も頭に入らなかった。ただ、先生が”どんなことがあっても我々はお母さんとゆめちゃんの味方だよ”と言ってくださったことだけは、今でも心の支えになっています。泣きながら診察室から出てきた私に、母は”今日は実家に泊まりなさい”といった。パパには電話で今日の結果を説明した。本当はパパも泣きたかったのかもしれないけれど、私が取り乱しているのにパパまで騒いだらパニックになっちゃうからといって、パパは私の気持ちを受け止めてくれた。

4月25日 パパに会いたい
 佐久間へ帰った。途中何度も目が涙で滲んでしまい、車を止めた。佐久間までの道のりにはダムが2つほどある。飛び込んじゃおうかななんて考えも浮かんだが、残されたパパはどうするだろう・・・ゆめはパパが大好きだからパパに会いたいよね・・・やっぱりパパに会いに行こう。と何度も繰り返し、結局死なずに佐久間に着いた。家の中で、空に流れる雲をみながら何度も泣いた。可愛い洋服着せて、ピアノを習わせて、バレエもいいな、お嫁にいくのはいつ頃?・・・そんな誰もが普通に夢見ることさえ、かなわなくなってしまった。ゆめがかわいそうでかわいそうで、涙がとまりませんでした。ゆめがタオル(雑巾)を拾ってきて、私の涙を拭いてくれました。そしてお腹が空いていたようで、一昨日ゆめが食べ散らかしたご飯粒を拾って食べていました。私はゆめを抱きしめて声を上げて泣いた。ゆめは生きようとしている。かわいそうなのはゆめではなく、ゆめを受け入れられない自分だった。なぜ、どうしてこんなことに・・・と問わずにはいられないが、きっと何か意味があっての事だろうと思うことにした。杉江先生に聞きたいことが沢山ある。昨日は泣いてしまって何も聞けなかったから。そして1日1日を大切にしようと思った。

 それから毎日プラスに考えたりマイナスに考えたり・・・

5月1日 パパと友愛へ
 今日パパは仕事を休んだ。杉江先生に説明していただくため友愛の里へ行くのだ。先生は先日と同じ事と、少し違うこと(もっとキビシイ事)を淡々と説明された。先日は筋ジスのなかの非福山型だろうといわれたが、はっきり言って遅れている、福山型だろうといわれた。そして今のところ治療法はなくリハビリするのみとのことだった。こんな病気なら頭がしっかりしていない方がいいと思っていたので、福山型で精神遅滞があるということで少しホッとした。パパの母が心配して毎日のように電話をかけてきてくれる。自分にも言い聞かせているのだろうが、今の私には言われたくないこと、いってほしくないこともあり義母の優しさがかえって辛かった。


5月11日 MRI検査
 脳のMRIをとるため聖隷住吉病院へ。MRIはとても大きな機械、その中に小さなゆめ・・・MRIの検査中、私は外でまっていた(泣きながら)が、ものすごい大きな音がする。ゴォォォォという音に混じってカンカンカンという甲高い音。麻酔を使うとはいえ、ゆめが目を覚ますことはないのだろうか・・・。

5月16日 ぬきうち?
 地元の保健婦さんが突然やってきた。抜き打ち検査か?まさか人が来るなんて思っていなかったから部屋は散らかっていたが、とりあえず上がってもらった。保健婦の清水さんはゆめの事をとても心配してくれていたので、私も結果が出たことを報告した。保健婦さんも”まさか”という事をいっていたが、”ゆめがいくら教えても出来なかったことをイライラしていたけれど、ゆめは一生懸命頑張っているからもういいんです”と伝えると、”そうですね。”といって帰っていった。清水さんに話をしたおかげで、私の気分も吹っ切れたとまではいかないが、幾分明るくなった。

5月18日 MRIの結果
 友愛の里へ。MRIの結果、福山型と確定。ゆめの脳は前頭葉のしわと神経が少なく、右側の一部が陥没していた。また、先生がおっしゃるには全体に小さな空洞があるそうだ。私が想像するに大根にスが入ったような状態だろうか。身体手帳の手続きをするため、診断書を書いていただいた。

5月24日 スマイル
 友愛の里のPT室に村木先生が、まだ友愛の里に通いはじめて間もない子たちを集めてくれた。よっくん、かいりちゃん、まぁくん、ゆめ。ゆめ以外はみんな1歳未満の子たちだった。ママたちは皆、まだ現実を受け入れがたい様子、明るさもカラ元気のようにみえた。この先この子が成長したときの人の目が怖いとか、暇になると死にたいと思うとか、お互いの子供の状態や環境が違っても、考えることは同じなんだなぁ、一人じゃないって心強いなぁと思った。

5月26日 パンダグループ
 パンダグループの見学へ。ゆめが歩けるようになったら卒業するつもりだった友愛の里も、病気が判ってからというもの、居心地の良い場所?に変わっていった。以前話のあったパンダグループに入ることに決め、今日は見学の日だった。知らないママたちの輪の中に入っていく・・・公園デビューってこんなカンジなんだろうなぁ。ドキドキ!パンダはPTを個人ではなく集団でするもので、私が入った時点で10組の親子がいた。子供の状態はそれぞれだったが、お母さんたちが皆明るいのでビックリした。

パンダに入って・・・
 ゆめはたくさんのお友だちに会えることが嬉しいらしく、パンダではいつもご機嫌。その日1日は目をきらきらさせていた。地元の育児サークルに行くこともあったが、元気いっぱいの子供たちにゆめが萎縮してしまうので、なかなか喜ぶところまでいかないところもあった。
 私自身も他の子のママたちとお話するうちに、知らなかった情報を教えてもらったり、聞いてもちんぷんかんぷんの事もあったけれど、だんだん私の世界が広がっていった。ゆめが健常に生まれていれば、知らなかった事。ゆめのおかげで人間にとって大切なものは何かということを考えさせられた。

6月2日
 私が横になって寝ころんでいると、ゆめはあの手この手で乗り越えていくようになった。成長したね。

6月12日 遺伝子診断
 友愛の里へ。筋ジスの福山型は遺伝が原因の病気。パパも私も2本のうち1本に持っていたから、その両方をもらったゆめに発症した。本当にパパと私が持っていたのかを調べるため、遺伝子診断を受けることにした。ゆめ、パパ、私の血液を8ccずつ採った。

6月14日 身体障害者手帳
 ゆめの身体手帳がきた。私が申請したのだから、わかっていたことであったはずなのに、手帳を手にしたことで、”これでゆめも障害者かぁ”としみじみ思った。障害者という烙印を押された、そんな気持ちだった。