P→’s Cafe

〜社会人編〜

 「年に1度は僕はバイクで野宿旅に出る。これは僕にとっては修行みたいなものなのだ。もしこの野宿旅に出たくなくなったら、それは僕がバイクを降りるときだ。だから、必ずこの旅に出かけるよ。」
 結婚に当たって、僕は妻とそう約束した。
 妻は、よく守ってくれる。

 2月に入籍し、3月に挙式。その年の夏、僕は中部地域を放浪する旅に出ていた。2代目の相棒さかな丸とともに。
 ”分割日本一周”は、無事に進行している。
 この年は春休みに新婚旅行として、”九州・四国 軽自動車の2人旅”を敢行した。かつて僕が旅した道筋を、今度は妻と2人でたどるのだ。こうして役に立っているのだから、まんざら無駄な修行ではあるまい。

 理解ある妻に感謝しつつも、僕には一つだけ不満があった。それは、出がけに妻から携帯電話を押しつけられたことだ。
 「毎日一度は電話してね」
 僕は旅に携帯電話などという無粋なものは持っていかなかった。なぜなら、それが日常と僕を結びつける”鎖”の一つだからだ。

 僕にとっての旅は日常から離れ、自分を見つめ、ひたすら人生を考えるための大切な時間。
 本も読む。わざわざ知らない土地に来て、しかも清涼な空気に満ちた山の中や海辺、美しい湖の畔でただ本を読みふける。端から見ればなんと無為なことをと思うかもしれない。しかし、僕にはその無為な時間がとてつもなく貴重で、唯一の贅沢なのだ。
 そんな贅沢な時間に日常をずるずる引きずる電話なんか見たくもない。日常をずるずる引きずりながら走るなんてまっぴらごめん。
 しかし、いくらそう訴えても、妻は理解してくれなかった。
 ま、結婚して、2人で人生を歩む以上、どこかで妥協は必要かもしれない。無為な時間という最大の贅沢を手に入れている以上、これ以上文句も言えまい。

 それにしても、人間というやつはなんと業の深いものか。
 文明が発達し、人々の生活は物的には確かに豊かになったのだろう。僕にしたって生まれたときから便利な文明の利器に囲まれて育った。しかし、文明が豊かになると同時に、我々の生活はどんどん加速していると、どこかの偉い学者さんはじめ小説家、政治家などが言っている。
 僕もそう思う。生きるスピードが加速している。
 次から次に仕事に追われ、それを補うかのようにさらに処理スピードの速い道具が開発される。携帯電話は、そんな現代人の生活をさらに加速させた。
 どこにいても上司や関係者に捕まる。本当なら心静かに過ごせているはずの時間・場所で、こんな小さな機械でつながってしまう。活動しないですむはずの時間に、強制的に、物理的にも精神的にも活動を開始させられてしまうのだ。
 そんな悪魔のような機械を携えて旅に出ねばならぬとは・・・。

 しかし、幸いにして僕がゆく場所は、そのことごとくが”圏外”だ。それ故堂々と
「電話は無理です」
といえる。
 こんな小さいな悪魔の機械になんて、負けてたまるか。
 

 「お前は乗り物についてない。」
 ある日、我が小野田家一門に名を連ねる、運勢鑑定のできる方にそういわれた。
 ついてないとは、そのままズバリ、ついてないのだ。
 
 最初に乗ったDT50は、1年もたたないうちに事故により他界。2台目のバイク、ヤマハメイト50は、3台目のバイクである初代のさかな丸(SR400)に乗り換えた後にサークルで使われたから良いとして、その初代さかな丸も、1年と半年乗った後、私の手で廃車にした。4台目のバイク、ホンダクラブマンも、購入2年後に他界。今乗っている5台目のバイク、2代目さかな丸は、唯一車検を通ったバイクだ。それでも細かな事故は数え上げればきりがない。
 
 要するに、僕は乗り物に乗ってはいけないのだ。
 でも、ま、そんなこと言っていては現代を生き抜いていくことはできない。そこで、格別に運転に注意を払うようにしている。

 まず、愛車さかな丸が老朽化して時速100kmが出せなくなってからは、どんなに急いでいても時速80km以上出さない。といっても、高速道路の話ではなく、一般道の話なのだから、全然安全運転じゃないんだが。
 さかな丸は最初の2年で4万キロを走り、その後も全国一周につきあわされているうちにあれよという間に走行距離を重ね、購入後5年で7万キロ、9年目にして既に10万キロだ。すっかりおばあちゃんになってしまった。

 次に、道路標識は絶対に守る。一旦停止はいうに及ばず、追い越し禁止、信号機、当たり前かもしれないが、その当たり前をするのがどんなに大変か。だって、どう考えてもそれを守る方がおかしいだろ、ここで!?という道路の方が多いんだもの。

 ま、いずれにしても悪法でも法だ。守るべきものは守らなくてはね。

 さて、26をすぎてから事故に縁がなくなり、今ではゴールド免許だ。ついてないのは確かだろうが、安全には気をつけよう。
 

 昔のウォークマンに、電車モードというのがついていた。これは電車など公共の場で聞くときに、スイッチを入れると高音部が押さえられて、あの独特のシャカシャカ音が漏れにくくなるというものだ。
 ・・・・・バイクにもつかないかな。
 たとえば緑がまぶしい山の中の道、たとえば山間の集落、たとえば潮騒が心地良い海辺の道を走るとき、僕はできるだけエンジンを切って、あわよくばヘルメットも脱いで惰性で走ることがある。
 音が聞きたいのさ。今走っている道の記憶や風を切る音を、耳でもとどめておきたいのだ。だから、言ってみれば『静音モード』みたいなものがあればいいのにといつも思う。
 つまり、排気音やエンジンノイズが極限まで抑えられて、まるで音を立てずに走れると言ったようなものがスイッチ一つで作動して、周りの音を聞きながら静かに走れる装置がほしいのよ。今時ヘリコプターでさえそういう装置が付いてるものもあるくらいだから、バイクや車にもあればいいのに。
  
 教員採用試験に受かり、赴任2年目から担任も持った。その年の野宿旅からは、自分のクラス生徒分と、美術専攻生分、美術部生徒分のはがきを持って出かけることにした。旅先で描いたスケッチで、暑中見舞いを出すためだ。
 そうすると、描かねばならないはがきの総数は70枚以上にもなる。もちろんすべて手描きというわけにはいかない。旅の途中で描いたスケッチのうちから数枚を選んで、はがきに直接コピーする。

 刷り上がったはがきには、全員にメッセージを書く。明かりの少ない公園や道の駅などでメッセージを書いていると、生徒達全員と旅先とがつながる気持ちがする。
 生徒達それぞれとのそれまでのつきあいで感じたことや生活の様子などを振り返って、にこにこしたり、怒ったり、心配になったりしながら書く。

 クラスを持つまでは、生徒にはがきを書こうなんて全然思わなかった。採用される前の4年間は非常勤講師として学校で教えていたのだが、そのときも書こうと思わなかった。

 やはり担任になって自分の生徒を持つということは、それだけ自分が変わると言うことなのだなと改めて思う。

 残念なのは、去年も今年も旅に出られないから、はがきを書けないことだ。

 去年は3年生の担任&学年主任で、忙しすぎて出てる余裕は全くなかった。町から頼まれた壁画も描かなくてはならなかったし、今年は学年主任だけだから出て行けると思っていたのだがばあちゃんの49日が済むまではと引き留められた。

 今年は絶対行きたかったのに・・・何とも残念だ。

 教頭に出した夏休みの動静表(予定表)には、年休を取る理由として「修行」←(バイク旅行のことね)と、ばっちり書いたのになあ・・・。
 

 一時期(いや、今もそうなのだが)温泉にはまっていた。旅の行く先々で温泉地の源泉や、日帰り入浴のできる温泉に入りまくるのだ。これは、ノーマルシートからデザインシートに変えた際、座り心地の悪さからすぐにおしりが痛むようになり、その傷を癒すための策だ。
 最初の頃は特に源泉探しに心血を注いでいて、ツーリング情報誌からだいたいの場所と名前を得、後は現地で探す。特に源泉の場所はさんざん探してやっと見つけられるような場所にある。たいていの場合は山の中の、洗い場も水道も通っていないような場所。もちろん、脱衣場や目隠しもない場合も多い。
 地図が不親切なわけではない。自分で見つけるところに良さがある。丁寧な地図で発見したのでは、ただのパック旅行と変わりなくなる。我々には口も耳もある。分からないときは聞けばいいのだ。

 一・二位を争う印象深い源泉は、野麦峠の近くにあるとある源泉。ここは本当にわかりにくくて、地元の人に聞いても要領を得なかったものだ。やっとの思いで探し出したときの感動と言ったら、もう言葉では言い表せない。
 その後数年間は、毎年のようにこの源泉に通っていたのだが、ある時キャンピングカーがまるで通せんぼするように源泉の手前に止まっていて、全く独占状態だったことがあった。
 これはルール違反だ。
 誰でも自由に入れるのが源泉の良いところ。家族や恋人同士で存分に入りたい気持ちは分からなくもないが、だからといってこういう行為をして良いものではない。誰しもが山道を、やっとの思いでやってくるのだから。そんなにして入りたければ、素直に温泉宿の家族風呂を買えばよい。

 すっかり興ざめしてしまって、以来、この源泉には二度と出向いていない。


 一本のナイフがある。
 刃渡り5インチ。取っ手の部分は鹿の角で出来ていて、長さは12センチある。鹿の角は後で付け替えたんじゃないかと思う。刃の部分は折りたためるようになっている。
 これは、元々じいさんが使っていたものらしく、取っ手の部分は使い込まれて黒光りし、刃も、何度も研ぎ直されてかなり目減りしている。これを見つけたのは古い道具箱の中だった。じいさんが亡くなって既に15年ほどたった後のこと、スパナを探してあさっていた倉庫の中の道具箱にあったのだ。
 俺は、毎回ツーリングに、このナイフを持っていっている。
 
 刃物というのは、刃の部分が薄いほど良く切れる。しかし、薄いということは弱いとも言える。薄い刃は、良く切れる代わりに簡単にこぼれる。
 以前、どうしてもナイフで切れなかったロープが、カッターなら簡単に切れたということがあった。単に切るだけならカッターに勝るものはない。

 旅先で、例えばフライパンがなかったとしよう。そんなとき、アルミ缶を切り裂いて簡単なフライパンが作れる。むろん小さいものでしかないから、料理だなどと言えるようなものは作れない。ちょっとしたものを乗せて焼くだけだ。固形燃料と組み合わせれば、簡易ランタンも作れる。ツーリングには関係ないが、綿菓子製造器も作れるぞ。
 このアルミ缶を切り裂くということをナイフなんかでやった日には、刃があっという間に使い物にならなくなる。こういうときはカッターに限る。

 しかし、ナイフは単に切るだけの道具ではないのだ。

 ちょっと一休みして本を読むついでに、名産品のももなんか食べてみる。ナイフで皮をこそげ落としながら、さくっとすくってそのまま口に運ぶ。リンゴなんかも同じようにして食べる。時々ジーンズのももでこそいで刃を戻し、またすくって食べる。
 夜、キャンプしているときも、意味もなく眺めてみる。刃先にきらめく炎を、眺めているだけで心落ち着く。そもそも、火をたくだけで、それは見る者を引きつけるものだ。まして刃先にきらめく炎は、何倍にも光り輝き、いつまでも時間を忘れる。

 男は刃物にあこがれる。太古の昔からなあ。


 草津温泉から野沢温泉へ抜けるルートは、”志賀草津高原ルート”が快適だ。六合から草津へ出て、草津温泉を堪能しながら道の駅などで野宿した翌朝は、高原ルートを通って野沢温泉へ向かうことが多い。
 ある時、気まぐれに志賀の手前でルートをおり、けものみちのような林道を抜けてみた。
  
 早朝5時。
 霧の志賀ルートは、谷側も山側も、両脇がすべて乳白色の雲海に囲まれ、唯一見えている舗装路がまるで雲の上のドライブウェイみたいで、さながら空中を疾走しているかのようだった。
 林道への分岐から霧の中へ分け入り、夏とはいえほほを刺すほどに冷たい早朝の清涼な大気を前身に浴びながらのんびり進むうち、志賀高原リゾートについた。
 午前7時。
 そろそろ朝食にしようかと思っているうち、未だ晴れぬ霧に包まれた、どこもかしこも観光地のこの場所では、とても朝食の調理が出来る情況ではないことに気がついた。もう少し進んで人里離れてからでも良かったのだが、どうも腹の虫は収まりそうにない。仕方なく、手近のホテルのモーニングですまそうと考えた。
 一軒のホテル。そこは冬ともなれば大勢のスキー客でにぎわうのだろうが、時季はずれの今、泊まっている客もまばらな様子だった。俺はこのホテルに、かつて彼女とスキーに来て泊まったことがある。友人同士でスキーに訪れ泊まったこともある。
 がらがらにすいた駐車場の片隅にバイクを止め、防寒のために着ていた装備をすべて脱ぎ、少々寒いがジーンズにTシャツ・G−ジャンという出で立ちで店内にはいり、モーニングを供しているレストランに立てかけられたメニューをながめていると、あわてた様子で従業員が飛んできた。
「お客様、おはようございます。本日はどのようなご用件で?」
 来た。
 態度は慇懃だが、その実言いたいことは分かっている。
 さて質問だ。
 ホテルに早朝やってきて、「どのようなご用件で?」と聞かれたことがある人が、一体どれほどいるだろう。
 ホテルのレストランでメニューをながめている人に向かって、用件を聞く必要が果たしてあるだろうか。


 要するに、俺のようなバイクで旅する薄汚い一匹狼のような輩には、『格式ある当ホテルへのご来店はお控え頂きたい』と言いたいのだ。
 こういうホテルは意外と多い。
 
 このような対応をされたとき、俺はそれ以上不愉快な思いをする前にと、自衛のためにすぐにその場を立ち去ることにしている。
 格式ある当ホテル・・・聞いてあきれる。裏へ回れば増築を繰り返して不格好なほどにつぎはぎだらけのホテルの、一体どこに格式などが収まっているというのか。ここに比べれば九頭竜湖の湖畔に立っていたリゾートホテルは、全く持って接客というものを心得ていたよ。
 
 せっかくのさわやかな一日の始まりも、こういう対応の後では色あせる。

 これ以来、志賀高原にはただの一度もスキーには行っていない。

 バイカーの間ではツーリングに出た際、すれ違うバイカーにたいしてピースサインを出すのが通例だ。
 すれ違う見知らぬ他人に対して出すピースサイン。どこの誰とも分からない、その表情さえもシールドに隠れて見えない俺たちの、赤の他人同士の心が通う一瞬だ。見えないはずの彼の顔に、笑顔が浮かんでいるように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。

 俺の心はさかな丸とともに旅するとき、日常とは比べものにならないくらい開いている。見るもの聞くもの、出会う人、すべてに対して心を開いている。
 開かれた心は、砂に落ちた水滴のように、来るものすべてを吸収する。
 開かれた心は、水面に降る雨粒のように、来るものすべてを心の中に同化する。
 そのときの心は、日常の様々なしがらみから解放され、喜びにふるえている。
 そのときの心は、何ものをも受け入れる『余裕』に満ちている。
 人が他者を受け入れようとするとき、その心には、他者が入り込む隙間がたくさん必要だ。その余裕のあらわれが、すなわちピースサインなのだ。

 時折、こちらのピースサインを無視されることがある。そんなときも、ちっとも腹は立たない。
 きっと彼は、受け入れる余裕がまだ無いのだ。もしかしたら気がつかなかったのかもしれない。
 きっと彼も、こんな心通い合うさわやかな感覚に、気がつく日が来るだろう。心の余裕を取り戻す日が来るだろう。

 ただのピースサイン。でも、それはこれ以上ない一瞬の幸せ。

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