まだ学生の頃ですが、夏の盛りに何度目かの北陸を旅していたときのこと、何日か雨にたたられたことがあります。本当に何日も雨ばかりで、正直へこんでいました。何が困るといって、こういうときに困るのは寝床です。
カッパを脱いでシュラフにはいるという行為は、雨降りの夜だと屋内でなければなかなかできません。こういうときは思いきって町に出て健康ランドを目指すか、逆に山奥に引っ込んで物置の軒先や流水公園、小屋付きのバス停をねらうのが定石です。
僕は好んで山奥を選びます。

ある夜、寝場所を求めてさまよっているとき、かなり大きな待合所があるバス停を見つけました。こんな場所になぜにこんなに大きな待合所が?と思うような大きさです。優に15人はいっぺんに座っていられます(翌日明るくなってから判ったのですが、ドテを降りた先に綺麗な体育館がありました。ドテの下なので気がつきませんでした。それにしたって周囲にはなんにもない山奥なんですが…)。そこは町からかなり離れた山の中で、雨降りのこんな日は星明かりすらありません。もちろん、街灯などというものもありません。全くの闇です。外は相変わらず雨がしとしと降り続けています。
僕はまだカッパを着たままバス停にバイクを停め、しばし思案しました。
かなり大きな待合所なので、バイクを中に入れることも可能です。こんな雨の夜に他に旅人も来るまいと思い、始発バスの時間を確かめてそれまでには出発しようと予定を立ててバイクを入れました。

勝手に待合所の電気を付けて、バイクの上に脱いだカッパを掛けて乾かしながらストーブで夕飯を作り、良いにおいが立ちこめる頃には雨は上がっていました。道の向こうには野良猫か野良犬か、光った目が見えました。焼いたばかりのウインナーを一切れ投げてやると、光る目はあわてた様子でどこかへ行ってしまいましたが、いつの間にかウインナーは無くなっていました。
料理しながら麦酒を飲んでいると、遠くの方からバイクの音が聞こえてきました。エンジン音からして250ccと思われます。
バス停の前をいったん通り過ぎたバイクが引き返してくる音が聞こえ、やがてすぐそばでエンジン音が途絶えました。
ここへ入るつもりだな、今夜は連れが出来たなー、と思っていると、待合所に顔を覗かせたのは小柄でシックなヘルメットでした。
「あのー、入れますか?」
めずらしー、野宿の女の子です。僕は大あわてでバイクを外へ出しました。空を見上げるとやや星明かりが出始めています。西の方を見ても重苦しそうな雲は見あたりません。なんとか天気も持ちそうです。
彼女はまだ食事を取っていないようで自分でも作り始め、一緒に分け合いながら食べました。
ちなみにその時のメニューは、僕が鶏ムネ肉甘辛焼きビール蒸しと産直の太めのウインナーにフランスパン、彼女は今朝買ったというカニを小型クーラーから取り出し、まだ半分凍っているカニの網焼きとおむすびを焼き始めました。

食べながらお互いのことをいろいろと話しました。
彼女は日本一周中で、実はそれは口実で家出中だそうです。バイクはホンダクラブマンの250cc、側車付き。どうりで小型とはいえクーラーボックスなんぞを積んでいるわけだ。年齢は20才。彼氏なし。大学は某お嬢様女子大学を休学中。本当に本人が「某お嬢様女子大学」と言ったのだ。実家はふつーのサラリーマンのパパと、大学の事務員をやっているママ、高校生の弟の4人家族。かれこれ5ヶ月目の放浪生活とのことだった。金がなくなると農場とかでバイトをしながら、また金が出来ると走り始めるという、うらやましいような放浪生活でした。
頑張ってここまで聞き出したが、これ以上のプライベートは無理でした。
2人のバイクについた雨の滴が、時折まだ余熱を残したエンジンに落ちてはじゅんっと音を立てていました。

彼女は食料はしっかり持っていましたが、それ以外はあまり持っていません。僕は食料はあまり多く持っていませんでしたが、たまたまアルコールをたくさん持っていました。
ビールを飲みながら旅の四方山話をいろいろ話したり聞いたり。麦酒の後は彼女のためにワインを開け、僕はジンのソーダ割りを飲みました。
楽しい夜でした。
アルコールはまだまだあります。なかなか味の良いウインナーも肉厚のカニの足も何本かまだ残っています。


〜中略〜


しばらくしんと静まりかえっていた静寂の中で、また夏の虫が鳴き始めました。周囲には人っ子1人いない山の中。
待合所にはドアなどついていません。一部始終を、きっとさっきの光る目が見ていたことでしょう。
いつの間にか夜空からはすっかり雲が消え、山の澄んだ空気に綺麗な星が輝いていました。
仲良く並んだ2人のバイクについた雨粒が、その星の輝きを反射させて潤んだ夜空を映し出していました。
夏の夜は、まだ長い。


室町時代の『付喪神絵巻』に、『器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす』(要するに、『百年以上経った道具は魂を宿す』という意味)とある。俗に言う『つくも神』のことだ。器物は百年たつと魂を持つので「煤はらい」により新春の前に古い器物を路地に捨てたそうだ。
この巻物のストーリーは、『暮れの煤払いで捨てられた古道具たちが人間への復讐を図って、節分の日に自ら妖怪に変化(へんげ)し、京の船岡山の裏を住処とし、町に出ては人や牛馬を襲い宴会を開いていた。しかし、最後には護法童子に諭され仏門に入るというまとめになっている。また、この器物の妖怪たちの行進が百鬼夜行であるという解釈もできるだろう。
また、『つくも神』はもともと九十九髪と書いたともいわれ、九十九は百から一を引いたものだから、九十九髪は白髪を示し、長年の年を経たことを指す言葉でもある。


我々は一つの道具を百年も使わないが、この「百年」というのは、その道具が使えなくなる直前までを意味している。要は使い込まれた古道具ということだ。そのころの道具といえばそれは消費するモノではなく、生活に必要だから使っている、例えば生業としている職業や日常生活で使うモノだったりと、生きていく上でなくてはならないモノであり、しかもおいそれとは換えがなかったであろう。大事に大事に使い込んでいったものと考えられる。実際、大事に使っている道具は、百年でも使えるモノが少なくないだろう。
それであるなら百年たとうが魂が宿ろうが使い続けて構わないと思うのだが、「煤はらい」であっさりと捨ててしまう。おそらくこれは都の人々の慣習でだったのではないか。それまではただただ大事に使っていたモノが、都で裕福に暮らす人々は古いモノより新しいモノ、汚れたモノより綺麗なモノと、現代のような使い捨てに近い事をやった。それを「もったいない」と嘆く心が作り出した妖怪かもlしれない。日本人の感性が生み出す「恐れ」や「敬い」が作った『戒め』と言えると思う。


さかな丸、かれこれ10万km近く一緒に日本中を走ってきた。あいつが俺の元へやってきて、今年で9年目。最初の4年間で6万kmを走り、その後はぼちぼちとつき合ってきた。
エンジンをかけようにも圧縮がかからないようで、ピストンがすかすかと空回りする。動かなくなってしまったあいつをYSPに連れて行ってもらい、約2週間。なんの音沙汰もないのが心配で、店まで出掛けてみた。
いつの間にかめちゃくちゃ新しくなっていた店の奥、作業場の片隅にあいつはいた。風防以外の旅装をすべてはずして連れてこられたそのままの姿で、ぽつんと佇んでいた。見たところタイヤも交換していない。履きつぶした革靴さながらにすり減ったタイヤを履いたまま、明るい店内のそこだけがやや薄暗くなっているかのようだった。
「どうでしょう?」
「う〜〜ん、ちょっとねぇ…。圧縮がかからないってのは、ちょっと厳しいですねー。エンジン開けてみないと何とも言えないけど、たぶんかなりかかりますよ。」
「…そうですか…」
「見積もりだしてみますが、それ次第だと思うので、タイヤも取り寄せてあるんですが付け替えてないんです。」
「判りました。じゃあ、見積もりでたら教えてください。」

親父さんは、この調子で修理していくと新車を買った方が安くツキますともいっていた。そういえば去年の夏にも7万円かかる大修理を終えたばかりだ。四つ輪ならいざ知らず二輪で10万kmというのは確かにかなり厳しい。しかもさかな丸はSRだ。大容量シリンダー1本の単気筒エンジンは、作りが単純な分故障に強いが、その振動の激しさ故に痛みも激しい。新型のSRは乗車姿勢が変更されていて、俺好みのアップハンドルに前進ステップ(つまり背筋を伸ばして座れるということ)だ。これはかなり魅力的。
でも、さかな丸はなんといってもこれまで乗ってきたバイクの中で唯一何度も車検を通ったバイクだ。それまでは車検期間(2年)保たずに事故でつぶしてきているだけに、もしさかな丸を手放したら次のバイクがまた”ついてない”バイクだったらどうしよう、すぐつぶしてしまうかもしれないという心配もある。

そう、さかな丸はまさに”ついてる”のだ。それがつくも神かどうかは判らない。でも何をおいても愛着のある道具であることは間違いない。それどころか、正真正銘俺の相棒なのだ。俺のいうことをちゃんと聞いて走るし、逆に奴にできないことも俺は知ってる。だから、お互いに無理な走りはしないし、労りながら乗ってきた。使い込んだ道具につくも神が宿るのなら、さかな丸には間違いなくその神様がついてるに違いない。



あれ?ちょっと待てよ。
つくも神は『その道具が使えなくなる直前まで』の年月を経てつくんだよな。って事は…やっぱさかな丸は使えなくなる直前なのか…?

がーん!
やっぱ買い換えなのかよー

これじゃあ、まるで、『つくも神』じゃなくて『貧乏神』じゃん…



株式会社パジコという造形材料を自社開発している会社があります。学生の頃、俺はこの会社のデモンストレーターとしてバイトしていました。都内各所や時には遠く埼玉のデパートなどに出掛けて商品販促用の様々な造形を行うのです。当時の主力商品は『石粉粘土』と『ステンドカラー』で、これらは今では手芸屋さんでは当たり前のように売っているし、学校で使っている教材カタログにも載っています。

販促先は東急ハンズが多く、他に量販店や文具店などでした。主に夏休みや春休みなど長期休み期間が多く、特に夏休みは工作をやらねばならないとあって子ども連れが多くやってきました。販促台の周りをちびっ子たちが十重二十重に取り囲み、様々なリクエストをしてくれるので、それを丁寧に作っていきます。時には一緒に作ったりします。一応のルールがあって、作りたい子は粘土やステンドカラーを一つ買って、それを使って作ることになっていたのですが、俺の場合は人が少ないときは販促用の粘土を分けてあげて一緒に作ってました。初日こそいつもの本社の営業さんがいますが、二日目からは来ないし、今思えば俺の行動は筒抜けだったようにも思えますが。
中には子どもが見入ってしまって動かないのでそのまま子どもを残して買い物に行ってしまう親がいたりします。そうなるとかなり気を遣います。子どもが興味を持っている、それだけ子どもが俺のデモを楽しんでいると認めてくれているのだから、帰ってきたら子どもがいませんでしたなんて事にならないように、いつもの3割り増しで気合いを入れて作ったりしました。ちゃんと2〜3こ買い与えて作らせる間に買い物をしてくる親とかもいましたが、こちらは作っている間はどこかへ行ってしまうこともないのでかなりリラックスです。

リクエストで多かったのはゴジラ関係とアンパンマン関係でした。
石粉粘土は表面がきめ細やかで、乾くと非常に固くなります。芯を入れなくてもしっかり作れます。それこそゴジラなど何体作ったことか。キングギドラはちょっとやっかいでした。あの大きな羽は、さすがに芯を入れないと取れてしまうので。毎日毎回必要な芯材や表面を加工する(鱗とか質感を”らしく”見せるために押しつけたりする)ためのがらくたなどを持って行ってました。

ある夏休み、町田の東急ハンズで2週間ほどぶっ続けで販促をしたことがありました。始めてから2〜3日すると、同じ男の子がいつもいることに気がつきました。小学4か5年生くらいの彼は毎回1人でやってきては、午前午後、それぞれ2〜3時間はずっと見ていきます。粘土をあげて一緒に作らないかと誘ってみても、絶対に作りません。ただ見ているだけです。
彼は、いろいろな物をリクエストしてくれました。
中には俺には判らないキャラクターもあったりして、そういう時はいったん家に帰ってそのキャラクターが載った雑誌などを持ってきてくれました。
彼はホントに目を輝かせながらずーっと見ていました。
時々午後も遅くなっても帰らないときがあって、そういう時は父親らしき人が迎えに来ていましたが、帰るときは一変してくらーい顔をしていたのを覚えています。一度リクエストされた物を持たせて帰したことがあったのですが、すぐ次の日の午後に
「ごめんなさい。壊しちゃった。」
と言って持ってきてしまいました。それは尋常な壊れ方ではありませんでした。完全に乾けば投げつけても簡単に割れるような柔な素材じゃないんだが、乾燥しきる前に渡したそれは、落としましたとか細いところが折れちゃいましたというレベルではなく、投げつけ踏みつけ無理矢理壊したんじゃないかと思うような有様で、それを糊か何かで一生懸命修復しようとした跡が見られました。
新しいのを作ろうかと聞くと直して欲しいというので、その日は午後中使って修復しました。修復されていく様をいつものように輝く目をして見ていた彼、でも、時折ふっと哀しげな目も見せてました。やっと修復が完了すると、彼は本当に嬉しそうに、大事そうに抱えて帰っていきました。
それを持って帰った翌日も、彼はいつもと同じように見に来ました。
そして2週間がたち、最終日に彼が言いました。
「僕、お兄ちゃんみたいになんでも作れるようになりたい。」
俺は、
「負けずにがんばれ」
と言いました。彼は一瞬はっというか、えっというようなした顔をしましたが、すぐに
「うん」
と答えて帰っていきました。

夏休みなんて子どもにとってはメチャクチャ嬉しいはずなのに、毎日俺のとこに来ていた彼、帰りしなにくらーくなっていた彼。あえてここには書かないが、「はっ」というか「えっ」とした顔をしたということは、俺が想像したとおりの環境にいたんだろうな。今頃何しているだろうか。なんでも作れる人になれただろうか。なんでも作れる人にはなれなかったとしても、負けずにがんばることはできたと信じたいが。

人ってさ、一生懸命やってるのにそれを認めてもらえないと、とっても辛いね。特に質じゃなくて量の方、仕事量に対して「やってない」と言われて非常にプライドが傷つくのは、責任感の強い人に多いと思う。
いくら10人からの人に褒めてもらっても、たった1人にけなされた事実が、重くのしかかることがある。
誰でもそうだろうけど、かなり傍若無人な事をやってる奴に「あんた、わがまま」だなんて言われると、へこむと言うより腹が立つな。
よく生徒が言うけど、「愛してる人以外の誰かに必要とされている実感が欲しい」って感情、すっごくよくわかるよ。
「人の痛みを知る」って、すっごく大切だね。口でいうのは簡単だけど、こんなに痛いモノだとはおもわなんだ。


●希望にまさる妙薬なし
●ピンチとチャンスは手をつないでやってくる     
そんな前向きな言葉は、なんだか虚しい。前向きな言葉を受け入れるのも、かなりパワーがいることだ。


●何があっても、自分の気持ちにだけは正直でありたい。
大人の世界ではなかなか叶わぬ。だからこそ、そう願うのだろう。こればっかりやってたら、『和』はない。『和』が無ければ、日本人ではない。


●すべての人に気に入られるなんて、誰にもできない。
結局そういうことなんだよなあ。そう思うと、なんか楽だな。



幸せな毎日を謳歌するよりも、悩み苦しみの多い人生の方が人は成長するのかも、ソクラテスの妻じゃないが。
あ、うちのママのことを描いたわけじゃないよ。



あ、そういえば…と、なんの脈絡もなく思い出してしまったのだが。

筋ジス会で泊まるほかに、けっこう旅行(ホントに旅行の時もあれば、否応なしに出掛けなければならないときもある)に行くことが多い我が家。そういう時に泊まるのは、たいていの場合1人で旅に出るようなときには絶対に泊まらない、割と程度のよいホテルが多い。ワシントンホテルとかヒルトンとか。なぜかと言えば、バリアフリーの部屋があったり、どうしても行かねばならない場所の近くには中級以上のホテルしかなかったりするからだ。
で、そういうホテルに入ると、ドアマンの案内があるのは当然のこと、照明はやや暗めでシックな装いだったり、エレベーターホールに行く頃には回りの喧噪が嘘のように聞こえなくなっていたり、翌朝朝食など食べにいくと、コックさんがその場で調理してくれるバイキングがあるオープンフロアでは外人さんが既にブレックファースト商談などしていたりする。

こういうホテルに泊まるたび、もっと若いうちに遊んでおくんだったなあと思う。
もっと遊んでいて、こういうホテルでの立ち居振る舞いを身につけていれば、何ら気後れすることなく子連れでも堂々とホテルライフを楽しめただろうに。
金に物を言わせて豪遊というわけではない。半分以上は見栄でもいいから、月一くらいは彼女と高級と言われる場所で遊んでいることで、知らずと自分自身にそういう場での身の振り方というか、高級感みたいなものが身に付いたのではないかと思うのだ。

よく、料理の腕を上げたければ、料理教室に通う金で高級レストランに通えというよな。あれはつまり、一流の味を体験しまくることで、自分自身の舌に一流の味を知らしめ、そこから想像力でもってどうすればその味が生み出せるのかを考えるためだ。
考えてみれば、ただ文章で何を何グラム入れてと言われたって、それがどんな味だかわかるまい。それで味が想像できるような人なら、そもそも料理教室に通う必要などないのだし。書いてあるとおりにしたところで、それで本当にその味でいいのか判断できないだろう。一流の味を知っていれば、その味を基準に今作った料理の味も自分で判断できようというモノ。ついでにテーブルマナーも覚えて一石二鳥。もっと言えば、その場の一流な雰囲気まで食べてしまえるというわけだ。

ちょっと話しがずれてしまった。つまり、高級というものに接するということは、かくも重要な意味合いを持つのです。
そしてホテルの話しだが、この年になって今更ながらホテルで気後れしている自分というのが恥ずかしくて仕方ないのだな。人には年相応に身につけているべき作法というか雰囲気というモノがあると思うのです。そいつが自分にないということに、非常に恥ずかしさを覚えます。
だからせめて、たまに旅行に行くときは少しでもレベルの高いホテルに泊まり、自分自身に高級感を植え付けようと画策したりしてしまうのだ。
我ながら、発想が実に小市民的。
付け焼き刃にしかならないみみっちい高級感など、どこへ行ったって通用しないのにねえ。

ただし、俺自身には身に付かなくとも、ゆめやたったには身に付くかもしれない。
だろ?
ま、それでいいじゃん。

あ、そういえば…と、なんの脈絡もなく思い出してしまったのだが。

先日筋ジス会で出掛けたTDLは、それはもうこれまで見たこともないような混みようだった。学生時代にはたまたま園内のUCCの店で働いていたくらいにTDL大好きな彼女と連れだって年に数回は出掛けていて、年間パスポートを買おうかと思っていたくらいの俺にしてからが初めて経験するぞというくらいの混みようだった。どこもかしこも人人人だ。

さて、ゆめとたったと3人でママやらボラの先生やらがそれぞれの用件で散っていったのを待っているとき、たったが一瞬で雷に打たれたくらいにエラク美人のお姉さんがすぐそばまでやってきて、そのエラク美人な仕草のままで、いきなり地べたにあぐらをかいた。
正直俺は驚いたね。
こんなに美人のお姉さんが、いきなり地べたに座るのか、しかもあぐらかよってね。
美人なのになあ。
何で地べたにあぐらかなあ。
そのうち化粧でも直しはじめるんじゃなかろうかと思っていたが、さすがにそこまではしなかった。ちょっとホッとした。

さるサイトで、
『試しに地べたに座ってみなよ、そしたら若い人の心が少しわかるかもしれない。いい年して地べたに座るのは気後れするだろうけど、気持ちの若さを保つには、小さな勇気が必要だ。あんな非常識なことをと考え出したら、心の老化は防げない。
若さとは、過去のこだわりを打ち破る勇気にある。
世の中こんなものと、納得したり諦めたりする人が多くなっている。。
本当にこれでいいのかなと反発してみたらどうですか。』
とまあ、こんな感じのことが書いてあった。

まあ確かに心の中に垣根を作って自ら理解しようとする意志を捨ててしまえば、分かり合えるものもできなくなるわなあ。逆に、同じ行動をしてみることで、多少なりとも気持ちを理解できる可能性はある。これで良いのかなと反発までするかどうかは別として、なんにでも興味を持って『アレはなぜああなのだろう』といろいろ考えていたのはエジソンだったっけか?疑問を持つ・考える事は大事だよな。
でもさ、やっぱエライ美人のお姉さんが公衆の面前であぐらをかいて座っている景色というのは、みっとっもないぜ。その心を理解しようという気持ちも全く起きないな。

あまり関係ないけど、このごろテレビでやっているのかこれからやるのか、またまたジャニーズのイケメンが主役の学園ドラマがあるね。その中で若手の女優がいじめられる役を演じるに当たって少しでもいじめられている人の気持ちになりたくて、わざわざアザができるくらいに蹴られ殴られしたそうだ。それを『女優魂』があると新聞の芸能欄にて報道されていた。
ちょっとまたれい。
少しばかり殴られ蹴られた程度で、いじめられている人の気持ちがわかったと言ってもらっては困る。いじめは、そんな簡単なもんではない。いつの間にか筆入れがなくなり、オシッコの最中にカンチョーされ、グループを自分たちで作って良いと言われても入れてくれるグループがない。そのつらさがちょっと殴られ蹴られたくらいで理解できますか?
あなた、それが終われば殴った相手と仲良くご飯食べるんでしょ?
「さっきは痛かった?ごめんね」
とかいって、肩なんか抱いてもらうんでしょ?
意気込みは多少は理解できるけど、その程度でわかったつもりになられては困る。その程度のことを『女優魂』などと褒め称えて良いのか?


地べたに座ったくらいで若者の気持ちが理解できれば苦労はないよ。
わかったつもりになって理解者気取りですり寄ってくる者ほど若者が敬遠するものはないんだぜ。


て、なぜか書こうとしていたことと反対の結論に向かってしまう。。。
なぜだ?
まあ、いいや。
それはそうと、エラク美人なのに地べたであぐらをかいているお姉さんのそばへ、何度引き離しても近寄っていってしまうたった。終いには携帯でどこかへメールを打っているお姉さんをのぞき込み、かなりな笑顔で愛嬌振りまくたった君。
おねえさん、たった一言
「あ?かわいい♪」


お姉さん、見直しました。
人は見かけに寄りませんな。公衆の面前であぐらをかいているからといって、その心まであぐらをかいているって分けじゃあないんですね。
と、エラク簡単に主旨替えしてしまう俺も相当にいい加減かも。
デモなんて言うのかな、下手な小細工してわかった気になるより、わからないことは観察眼と想像力でカバーして、自分は自分のフィールドで理解に努める方がいっそ潔くはないですかねー。
子どもの愛嬌見てかわいいと思える感性を持っているなら、ちっとくらい公衆の面前で地べたに座ってあぐらかいてても…
い、いや、やっぱそれはみっともないな。。。

ああ、今日もまた何を言いたいのかわからないものを書いてしまった。
要はさ、どんな理由を付けようとも、公衆の面前でやって良いことといけないことはあるよな、例えそれがいつの時代でも、どんな世代でもってことよ。それと、見かけでどんなにイヤな感じがしても、それで中身すべては推し量れないだろうってこと。

ああ、でもなあ、『心は形が作る、形は心が整える』とも言うしなあ。。。