オリーブ園のギリシャ風車と岬の分教室

ロケセットにあったボンネットバスと生野銀山
2日目:平成19年8月9日(木) 【生野銀山
5:00起床
5:30出発。
7:30土庄港発の始発フェリーで岡山へ旅立ちます。
今日は生野銀山へ行く予定なのですが、実はどのような経路をたどるかさんざん迷ってました。二十四の瞳を見てからすっかり里心がついてしまい、来たばっかしだというのにすっかりゆめと誠大に会いたくなってしまったので、予定を1日繰り上げて10日には帰り着くつもりになったのです。帰る道としては北回りか中央突破か南回りがあって、北なら生野銀山を見た後で琵琶湖の上を通って山沿いに下る。中央ならイヤだけど名古屋市内などを通って帰る。これが一番早い。南なら和歌山から山中を抜けていく。
昨日寝るまでは南回りを採用するつもりでした。
でも急遽北に変更。
生野銀山を捨てるつもりだったけど、やっぱり行きたくなったので、最初の予定通り銀山を見て琵琶湖の上を通って土岐あたりから徐々に南下します。

さて、普通車2台とさかな丸1台だけを乗せて快調に走る始発のフェリー。8:40岡山港着。
岡山港に着いた後は、ひた走って生野を目指します。
ひたすら走る。
とにかく走る。
こんなに走ってばっかしなんて、最初のころの旅みたいだ。

10:30 生野銀山着 
通勤ラッシュの中を抜けて、159kmを3時間で走破。ツーリングでこれはあり得ないなあ。。。
生野銀山
今年開坑1200年を迎える生野銀山とは、山名、織田、豊臣、徳川と、土岐の権力者・幕府を支えてきた資金源だった。また明治時代には日本初の官営鉱山となり、皇室財産、三菱合資会社と変遷を経る間に日本の近代化に大きく貢献した。
未公開坑道まで含めると、総延長350Km、地下880mの深さまで達している。これは、東海道新幹線新大阪駅から静岡駅近くまでの距離に匹敵する。
坑内には江戸時代の坑内作業を電動人形で再現していて、当時の様子がかなりよくわかる。その人形が所々○○人顔のタイプを使っているあたりがやや笑える。

やっと世界遺産に登録された石見銀山(前回の駄馬で行った)と同様に、坑道内はおっそろしく寒い。Tシャツなんかじゃとてもじゃないが長時間は居られない。わかってはいたがわざわざ長袖を出すのもめんどくさかったので、半袖のジャケットだけ羽織って入って絵を描き始めた。
案の定、5分もするとあまりの寒さに手がうまく動かない。それでも頑張ってしゃがみ込んで描くこと結局50分。描いてるうちに寒さも忘れた。しっかし石見銀山よりも長い坑道内は想像以上に寒く、暗く、正直言ってうまくかけなかった。なにせ、手元が見えないもんだからどう描いているのか自分でわかんなかったしな。

食事後は割り切って走ることを楽しむ。
思いっきり山間の人なんか滅多にすれ違わないだろうというような道ばっかり選んで走ってきた。
いや、実に楽しかったです。

夜は琵琶湖東岸の道の駅近江母の郷へ。前々回だったか、ここへは昼間立ち寄ったことがある。あのときは北上する途中で少し寄っただけだった。縁がある場所というのはあって、謀ってもいないのに何回も来てしまう場所は意外に多い。
 

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