2003 1月中間                 

思い 2003/1/14/(火)

時々、こんなふうに思う。人生を過去のあの時まで戻って、これこれこうすれば今の現実は変わっていたかもしれない。忙しい日常のふとした瞬間、たまたま仕事がとぎれた瞬間。暇に任せてあらぬ想像をふくらめる。

しかし、もう一つの人生などというものはこの世に存在しない。過去を悔やんでもそれが現実に与える価値など何もない。ただ悔やむだけより、むしろ今の現実を受け入れ、毎日をよりよく生きることこそが、私に与えられた神よりの課題だと考える。
 確かにゆめが障害を持っているという現実は、時折私に言葉では言い表せぬつらさをもたらす。
 「戻れるものなら過去に戻って、もう一度やり直したい。」
 だが、一体何をやり直すというのか。どんなに辛い現実も、決して絶望を与えるものではないことを、私は信じたい。実際、ゆめの存在は、その仕草は、その成長は、私に人生のすばらしさを実感させる。
 そのすばらしさとは、なにか。それは、どんな状況であれわが子に対する親の愛が永遠不滅であるという事実だ。
 
 私より早く天国に召されるゆめを、私はしっかり看取りたいと思う。いずれくるその日に備えて、しっかり準備しておきたい。そんな準備をしながら生きることは、不幸なことかもしれない。健常であればそんな心配はまずしないだろう。でも、そうであるからこそ、今この一瞬を大切に出来るのだと思うぞ。
 砂時計の砂のように、確実に減っていくゆめと過ごす残りの日々、それが砂金の一つかみよりも価値があると思えるのだ。その中には“絶望”など入り込む余地はない。あるのは、“希望“だけだ。今日より明日、明日より明後日の”可能性“だ。
 いずれはその逆のことが起きる。昨日できたことが今日は出来ない、今日できることが明日は出来ない。それが筋ジスだ。いよいよ筋肉の再生が止まったその時、「あのころはあんなに出来た」と過去を懐かしく思うのだろうか。
 いや、今日を精一杯生き、“その日”までに精一杯をたくさん蓄えていれば、たとえ明日出来ないことが増えても、決して絶望はしないと信じたい。砂時計の滑り落ちた砂は、それまでに蓄えた“精一杯”だ。

これが私がゆめのために抱く、愛の気持ちだ。だが、自分で書いててよくわかランクなってきた。これはただ将来の“現実”を知らない無知な私の、独りよがりな希望でしかないのだろうか。


新年会 2003/1/13/(月)
 先日、”浜松筋ジス会”の新年会に行って来た。ゆめとママは3回目の出席。パパは2回目だ。
 今回は、ゆめには専用の料理が用意されている。なんといってもゆめ様はお子様だし一人前だから、自分の座る場所がないとか食べるものが用意されていないとかに対して、異様に腹を立てるのだ。
 そんなだから、自分の分が用意されていることで、もうテンション上がり放し。そして、会はいつしかカラオケパーティーへと向かう。
 
 最初、カラオケの曲に会わせていすの上で踊っていたゆめ、そのうちこらえきれなくなり、ステージへにじり寄っていく。少しずつ、少しずつ・・・。(我々の席とステージはそれぞれ部屋のはじっこ。)そのままにしてもおけないので、後をついていったパパは、やっぱね、1曲歌うことになった。
 「歌は世に連れ、世は歌に連れ、重たいゆめを背負いつつ、荒波越えて生きる道。歌うはパパ、曲はasukaの”始まりはいつも、雨”。はりきってどうぞ〜〜〜」ってな感じでナレーションが僕の頭の中に流れた直後、ゆめはリズムに関係なく
「あうあ〜〜〜。ぐあお〜〜〜〜〜ごう!ごうあ!ごうお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぼぼぼ〜〜〜〜〜〜」
 マイクがあろうが無かろうが、ホテルの部屋でもお家でも、ゆめはいつもと変わらない。それでも本人は歌ってるつもりなんだから・・・・マイクはよだれまみれ、パパの声なんか聞こえやしない。
 
 その後もしつこくステージにかぶりついてるゆめ。結局一緒にいた養護学校の先生に”おさかな天国”を抱っこでデュエットしてもらい、さらにご機嫌。
 来年は、日本語覚えて自分でお歌を歌おうねゆめ。
 

ジョニーの店 2003/1/12/(日)
 その日、俺は場末のバー(佐久間のアパート)で痛む頭を抱えていた・・・。珍しくしつこい風邪を引いた。鼻風邪は時々引くが、そうたいしたモンじゃない。だが、今回の風邪はクリスマスから引きっぱなしだ。咳とくしゃみがひどい・・・。鼻水はない、ひたすら痰がからむ。頭と喉が痛い。のどの奥の方ににあめ玉一個、非常食用みたいにくっつけてるような異物感・・・とうとう熱まで出てきた。
 「そろそろ潮時か・・・」
 薬は好きじゃないが、この喉の異物感はたえられん。イヤイヤながらジョニーの店(薬屋)に行った。ジョニーのマスター(薬剤師・推定68才♂)が言うには、
 「インフルエンザというものは、最初に高熱が出るわけです。その後、風邪の諸症状がついてくると。最初に風邪の諸症状が出た場合は、それはインフルエンザではないわけです。インフルエンザにかかったら、バファリン等を飲んではいけません。特に子供はいけません。脳がやられる可能性があります。」
 なんと、そいつは知らなかった。なるほどジョニー、よく分かったぜ。久しぶりに飲む薬は、さぞかし効くだろうよ。

投げキッス 2003/1/11/(土)
 ゆめ、ママに仕込まれ”投げキッス”をする。
 ご飯の最中、突然に
 
 「そうだ☆パパ、ゆめ見て。
  ゆめちゃん、パパに”ん〜〜〜〜ムチュ”ってしてあげて」
 「ん〜〜〜ちゅあっ☆」
 ・
 ・・
 ・・・
 ・・・・・・・・むふ〜〜〜〜
 しあわせ・・・・・・・・・・・・・
 

足を組む 2003/1/10/(金)
 ゆめ、僕のまねをして座って足を組もうとする。
 組めずにひっくり返る。
 めげずに組む。

 あきらめて寝る。

昔話 2003/1/9/(木)
 「万物を作る者の手を離れるときは、すべてが良いものだ」
と言ったのは、確かルソーだったか。
 ふと思い出すのは、ママがゆめを出産するときのこと。出産前後のことは、「昔話:出産」の項にあるが、出産しているときの様子は語っていない。その時のことを書き記そう。
 
 分娩室に入って、分娩台の上でうなり続けるママ。この時間に生まれる妊婦はいないと踏んでいたのだろう、急なお産開始で、先生はあわてて白衣の袖を通しながら駆け込んできた。大あわてて駆け込んできた先生が、ママの股ぐらの前に立った瞬間、股ぐらから”ビュオッ”と透明な液体が先生めがけて飛び出した。先生はよけようとしたが、運悪く右半身腰のあたりに見事命中していた。面食らった先生は、それでも医者魂を見せ、頑張って生ませてくれた。
 程なく”結芽”はこの世に誕生したのだが、ママがうなっている数分の間、僕は何度先生の側に回って出てくるところを見ようと思ったかしれない。だが、いくら気合いを入れても僕の両足はいっかな命令を聞こうとはしなかった。結局見ずじまいだったが、あの時僕を踏みとどまらせたのは、いったい何であったのだろうか・・。
 赤ちゃんという割りには真っ白い身体で生まれた”結芽”、いつの間にやら消えていたが、看護婦さんにキレイに拭いてもらってから再びやってきた。
 始めてしっかり顔を見た感想は・・・見た目、スターウォーズのヨーダそっくり。お世辞にも可愛いとは思わなかったな。
 
 その後もやっぱりヨーダそっくりで、人間らしくなってくるまでの数日間は、しぐさは可愛いものの、顔を可愛いと思ったことはない。よく生まれてすぐ可愛いというパパさんいるが、本当か?僕は美術の道にいる者として、冷静に、「可愛いとは思わなかった」と正直に書くぜ。

 ちなみに、出産を終わって病室に帰っていく一行を見送り、ふと振り返った分娩室の床には、さっきママが先生に噴射した液体が床に残っていた。無色無臭。これが羊水というものか。大騒ぎした割にたった数分間のドラマ。果たして感動的であったのか、自分自身に問いかけてみても、判らない。ただひたすら無事に生まれたことを神に感謝し、何となく一仕事終わったという安心感と虚脱状態でいるだけだ。なんと言ってもあっという間だったしな。
 そのあっけなさを慌ただしさを、床に残った羊水が静かに物語っているような気がした。

*文中の”結芽”は、最初付けようとしていた名前の漢字です。小野田結芽ね。

運命のすごろく 2003/1/8/(水)
 今日は”のぞみ”の日。仲良くみんなですごろく。
 すごろく・・・それは秘めたる野望を暴く、白銀の杖・・・時として人間の本性を白日の下にさらす、魔性を秘めている・・・。
 
 すごろくを始めてしばらくは、喜々としてさいころを振っていたゆめ。順調な滑り出しと思えたが、次第に旗色が悪くなってきた・・。
 時間がたつにつれ、ゆめの駒は黄門様のようにあとから来たみんなに次々に抜かれ出す。
 次第に目つきが怪しくなるゆめ。
 いくらさいころを振っても、出る目は1か2ばかり。
 黒い粒がたくさんついたのを出したい!赤いつぶや少ない粒は嫌だ!
 小さなゆめのささやかな希望は叶わないうち、次第に怒りの感情へと変化し、さらに小さな胸の内に澱のようにたまっていく・・・。
 ついにべりになったまま何回目かのさいころを振ったとき、最後の望みをかけた一振りがのぞみ叶わず赤い粒を見せたとき、ついにゆめの怒りは爆発した。
 まるでゆめを威嚇するように自身の駒の前方に居並び立ちふさがるみんなの駒を、1か2しか出せないゆめをあざ笑うかのように悪鬼のごとき赤い目をしたさいころを、ゆめは投げ飛ばした・蹴り飛ばした・なぎ払った・・・・。
 ここは”のぞみ”じゃないの?!
 あたしの”のぞみ”は誰も叶えてくれないの?!
 1や2しか出ないさいころが憎い!
 あたしを追い越すみんなの駒が憎い!
 さいころなんか大嫌い!
 すごろくなんか大嫌い!
 びりっけつなんか大嫌いーーーーーー!!!
 
 奇声を上げ、握りしめた拳を振り回し、ひっくり返って暴れまくるゆめは、ついに引きずられるように、いや、文字通り引きずられて、はかないすごろく人生の幕を下ろされたのだった・・・・
 あわれなるかな、ゆめ。
  
 その後、退場させられたゆめに変わってさいころを振るったママは、実に良く奮戦して第2位の栄誉をむしり取ったのであった。

「何事も、一歩下がった控えめな姿勢が良い。」
 西日を浴びてうずくまる物言わぬさいころは、人生の賢明なる摂理をむしろ雄弁に物語っていた・・・。

(この物語は、一部事実とは異なる描写が・・・あると思いますが、ナイスな”のぞみ”関係各位、平にご容赦ください。なんちゃって。だって、ママから聞いたのは、ゆめがすごろくで1か2しかでなくてビリになり、大暴れしたあげく退場になったことと、ママが2位まで上り詰めたってことだけなんだも〜〜ん
今日の教訓:ゆめはビリが嫌い→ビリってこと、理解してるんだねえ。この前は、「ゆめ、モチばっかり食べるなあ、モチ娘〜〜」とか言ってたら怒って、モチ食べなかったモンなあ。)