つれずれゆめ日記

2001 12月中間    

寒い   2001/12/10 (月)

 今朝、車が凍っていた。冗談じゃなく凍るんだ、この辺は。もうこんな季節になったんだなあと感慨ひとしお。
 今朝、出発しようとしたらハンドルが重いのなんのって・・・・一瞬パンクしてるのかと思った。今朝は特に寒かったか?佐久間に来て3年目、初めてパワーステアリング(としか考えられない)のオイルが、寒さで動きが悪くなっていた!パワステって偉大だなあと実感したね。
 寒いと言えば、我が佐久間高校の南館は冬の間も冷房がかかっている。特にデザイン室は1番南側にあるにもかかわらず、山のせいで午前中は日が当たらないのだ。天然冷房。それでも真夏は30度以上になるんだよな。でも冬は学校中で一番寒い部屋だ。ファンヒーター2個じゃちっとも暖かくならないよ。まあ、暖房で居眠りするようなことはないが、寒くて冬眠しちまいそう。
 閑話休題
 ゆめはまだ風邪だ。あいかわらず100%の風邪を誇っている。目がすわってるぞゆめ。顔の下半分を濡らすそれは、涎かはたまた鼻水か・・・
 帰ってきたら「母を訪ねて3千里」を食い入るように見ていたが、僕を発見したら、鼻水でナメクジのように跡を付けながら、満面の笑顔でづりよってきた。・・・まあ、かわいいからいいか。
 この頃はゆめは僕のパソコンに興味がある。すきあらば何か打とうとする。これを打っているときも、ちょっと席を立ったすきに僕も知らないような操作をしてくれちゃって・・・まあ、かわいいからいいか。
つかれた・・・   2001/12/11 (火)

 年賀状ってさ・・・・良いんだけどさ・・・作るの、疲れる・・・G3は調子悪いしさ・・・黄色が出ないんだよなあ・・・・Y100%で出力しても、なぜか黄緑になるんだよな・・・出来上がった年賀状も出力してみるとやっぱり黄緑がかってて締まりがないさ・・・・。
 もう今日は疲れた・・・・頭が膿んでるのが自分でも判る・・・・。
・・・ゆめは風邪ですよ、はい・・・。もう今日は何回鼻水を吸いだしてやったかわからん・・・。慣れて行くんだよな、そういうことにも・・・自分でも判る。別にイヤじゃないけど、風邪が移りそうで怖かったりもする。今風邪でダウンしたら、成績つけなきゃなんないのに、困るだろうなあなんて思ったりして・・・実際そうなったらどうすんだろ?小野田先生は風邪のため、通信簿は延期です・・・にはならないよなあ・・・。
 ひかないけどな、風邪なんて!
 以上「つぶやきジローにこんにちわ」の時間でした。


師走〜   2001/12/12 (水)

 師走なので、先生は今日もよく走りました。職員室から美術室までの片道約70メートルを、一体何回ダッシュしたことでしょう。別に筋肉痛にはなりません。なぜなら師走でなくてもしょっちゅうダッシュで往復しているからです。
 そのようなことより、今日は「たつやがいく」というタイトルの、富山のhitomiさんのHP(URLは掲示板参照です〜)に行って来ましたが、何といいましょうか、敬語で書かれた文章があまりに美しく、胸を打ってきて、非常に心洗われました。敬語ってこんなにも美しかったのだなあと改めて感じた、男32歳・遠州空っ風・ゆめパパでした。
 とまあ真似っこして出来るだけ美しい文章を書こうとしているわけですが、身に付いた生来のだらしなさとでももうしましょうか、私にはとても書けないようでござんす。諦めて、地で書いていくざんす。
 お後がよろしいようで〜〜


はやりもの   2001/12/13 (木)

 今、僕のクラスでの帰りのSHRの時、変な挨拶がはやっいる。普通にさよなら〜でいいものを、「アディオス!」とか「ようこそあしたもおいでやす〜」とか・・・昨日は「サヨナラだぜ!」だった。
 これは、ぼくがよく「〜ぜ」と言っているからなのだが、使用方法が間違っている。そこで、今日の朝のSHRでは昨日の「サヨナラだぜ!」の正しい言い方をレクチャーした。
 「さよなら」は、相手に投げかける言葉だが、これに「だぜ」をつけると相手に投げかける言葉にはならずに、その単語つで完結してしまう。従って、挨拶に使用するには不適当となる。 
「さよなら」+「だぜ」=「あばよ!」となる。
 従って正しい言い方は、「あばよ!」である。これを「斜語」(しゃごと読む)と言う。たばこを右手の人差し指と親指でつまみ、左手はポケットにつっこみ、背中を少し相手に向けるように斜めに立ち、相手
を見つめながら少し顎を上げ気味にして、「あばよ!」と言うのが正しい使い方である。
 しかし、この説明を書いた黒板を見た3年生の美術専攻生は、後になって「先生、あれは”斜語”じゃなくて、”死語”だよ!」と言ってきた。むむむむ・・・・確かにそうかも・・・。
一本盗られた。
 まあ、生徒達は大喜びで、今日は何の話かと聞いていたので、ひとまずはよかった。
はじめての・・・   2001/12/13 (木)

 今日はゆめにとって、うれしはずかし初体験の日となった。日帰りで、たったの5時間だが、ショートステイなるものに挑戦してきたのだ。
 静岡にはショートステイを受け入れているところは1ヶ所しかない。しかもたったの3床だ。だから当然競争率も高い。今回の予約も2ヶ月も前にしたものだったから、ほとんど忘れかけていた。
 朝10:00、ゆめは見知らぬ所に一人、置き去りにされた。2ヶ月前に来たけれどたぶん忘れているだろう。そして私は一人ゆうゆうと映画館へ行き、”ハリーポッターと賢者の石”を観た。平日の映画館はいいね。
 ゆめはゆめで、私と離れていてもそれなりに楽しんで過ごしていたようだった。さすがB型。お昼の食事もちゃんと食べ、歯も磨き、お三時にヨーグルトを食べ、ついでにクレヨンまで食べたらしい。
 迎えに行ったときのゆめの笑顔はとても可愛らしかった。こんな笑顔が見られるのなら是非また利用したい!私もリフレッシュ出来るし、人好きのゆめにとっても良い刺激になるからと思ったが、世の中そんなに甘くない。既に3月まで予約は一杯。4月からはショートステイの枠が10床増えるから4月以降にまた利用してくださいね。と受付のお姉ちゃんは笑顔で言った。”じゃぁ4月1日にお願いします!”と言いたかっ
 たが、なんとなくやめておいた。今度はいつ頃になるのかなぁ・・・。
はるママ
エンジョイゆめライフ!   2001/12/14 (金)

 帰ってきたら、ゆめがいた。久しぶりのゆめ。挨拶代わりに鼻水を吸ってやった。
 御飯を食べる時、机を挟んでゆめがいる。スプーンで味噌汁を飲んでいる。お前それは間違っているだろう?でも、ずっと見つめあった。
 味噌汁を飲みながら、ふとあることに気づくゆめ。味噌汁はスプーンじゃなくて、両手でもって直接飲めばいいんだよ。目を真ん丸にあけて自分の発見に喜ぶゆめ。夢中で飲み干した。
 満足げなゆめ。お礼代わりにうんこらしい。慌ててトイレにつれていかれた。トイレで奇声をあげるゆめ。返事代わりに覗いてやった。
 ゴロゴロしながら遊ぶゆめ。おむつをはこうとしている。お前なあ・・・おむつどころかズボンまではいてるジャンか。でもはきたがるゆめ。仕方がないのではかせてやった。途中まで。
 テレビにかぶりつきのゆめ。ミュージックステーションをみている。写っているのは藤井隆・・・お、お前・・・まさかそいつが好きなのか・・・?
 途中まで中途半端にはいたおむつと一緒に、おしりをゆらしておどるゆめ。・・・かっこわるいぞゆめ。でも、のりのりだ。
 こんなゆめと楽しい毎日。
 ささやかな幸せ。
初雪    2001/12/14 (金)

 初雪です。日本一暑い佐久間、それなのに今日雪が降りまた。これは正しいことなのだろうか。
 思い出すのは21歳、大学2年の冬、九州へと失恋野宿バイク旅に出かけた僕を迎えてくれたのは、雪ではなく雨だった。クリスマスのイブイブをサンフラワー号の船内で過ごし、上陸したの
は宮崎県は日向。
 南九州を回って、砂風呂に入ったり最南端の佐多岬で証明書をもらい、はたまた西九州(なんて言葉があるのか?)の小島を経巡っていたときはよかったが、北九州に上っていくに従って雨が
降り始め、その後はほとんど毎日雨模様となった。「失恋男にはぴったりだぜ。冷たい雨でなにもかも洗い流そう・・・」なんて思ったかどうか定かではないが、寒かったのだけは確かだ。夜な
んて、このまま寝ながら凍ってしまうのではないかと本気で思った。
 唯一雪を見たのが、大分県は湯布院のあたり。温泉に入りたかったが、金がなかったなあ〜。(この願いは、めでたく新婚旅行で達成された。)
 その後フェリーで瀬戸内海を渡り、上陸した神戸からは陸路静岡を目指した。
 あれは四日市あたりを走っていたときだったか。急に視界が白くかすんだと思ったら、大雪が降ってきた。げんこつよりも大きな雪のせんべいみたいのがどしゃどしゃ!これには参った。赤信
号で止まるたびに体から氷の固まりがはがれ落ちる。膝は凍りっぱなし。手先も感覚ゼロ。ヘルメットから見える視界は、まるで映画のスクリーンをみているかのように現実味がなかった。思えばこの時、僕の膝は壊れてしまったのだ。
 そうそう、本題に入らねば。
 要するに、寒いと思っていた九州では雨だったのに、そこよりは暖かいはずの本州で大雪に会う。人間の浅知恵など遠く及ばないのが自然の摂理だってこと。
 ところで、このときの失恋を期に、僕は制作に燃えた。(と自分では思っている)おかげで「マクラメ」という終生のテーマにも会え、大学院で研究するきっかけにもなった。そういう意味では、そのときの彼女に感謝している。
 ふってくれてありがとう。
 ついでに言えば、これがふられ人生の始まりでもあったのでした。とほほ・・・。
 今日は文章がさえない。風邪のせいだな。いや、ひいてないぞ。絶対認めない。認めたら発症してしまう。って、もう発症してるかな?
もちつき会&クリスマス会! 2001/12/14 (金)

 今日は生活訓練ホームのぞみで”もちつき大会”があった。あれよあれよと餅がつきあがり、私達は自分の分け前の餅にあんこをつめて丸めた。ケンちゃんは得意の”あんぱん”を連発していたが、あんパンじゃないよ。大福だよ。
 ゆめはまだ鼻水が少し出るので、餅には触れなかった。というより触らせなかった。のぞみの先生は様々なイベントをちゃんとやってくれる。有り難いなぁ。
 お昼からはパンダ(機能訓練グループ)の仲間で(といっても半分はのぞみのメンバーだが=カレシのもっくんも一緒)クリスマス会をした。ガストで出前を注文し、あゆちゃんのママがアルバイトしている美味しいケーキ屋さんでケーキを出前してもらった。プレゼントは各自\500で用意。BGM(クリスマス音楽とラジカセ)とトースターを療育課から借りた。何故トースター?それはもっくんのママがキッシュを焼いて来てくれたから(温めるため)だ。他にもパウンドケーキと何故か漬け物・・・この漬け物はとっても人気モノだった。
 プレゼント交換ではせとものの香炉?に入ったクッキーをもらった。とってもとっても嬉しかったが、みんなが用意したプレゼントはどれをもらっても嬉しいものだった。ちなみに私があげたモノはキャラメル
ソースとワッフルみたいなお菓子。これは私にとっては宝物なんだけどなぁ・・・。
 本格的なクリスマス会になって今日はとっても楽しかった。いつもは病院のレストランの定食を食べるのだが、たまには出前もいいよね、面倒くさいけど・・・。
あ〜あ〜   2001/12/16 (日)

 風邪だよ。まったく・・。
 働きだしてからもそれ以前も、毎年2月は鬼門の月だったんだよね。必ず2年に1回重い風邪をひいていた。でも、結婚してゆめが生まれてから、そのジンクスが崩れた。ゆめが風邪ひくと、次にはるが風邪をひく。最後に僕にうつる。
 ゆめは僕とはるの子供だ。従ってはると僕との間には、細胞レベル・遺伝子レベルでの共通点はないだろうが、ゆめとは、はるも僕も共通するモノを持っている。
 この頃思うんだけど、ゆめやはるの中で増殖して、耐性を強めた風邪菌が、最後に同じ細胞を持ち、なじみやすい僕の中で大暴れしているんじゃなかろうか・・・?毎回かなりの重病人にまでなっちゃうんだよな。相当強い菌にやられているとしか思えない。
 そんなバカ話ではると笑った。・・・・・笑ってられね〜よ!成績が、通信簿が・・・。以前ココに書いたとおりになっちまった・・・。風邪って奴ぁ〜、宇宙人までもやっつけた過去を持っているし、まった
くやっかいな病気だ。
 しかし、僕の中で増殖した風邪菌は、再びゆめに戻って猛威を振るっている気配がある。さすがにその後、またもや僕たちにうつると言うことはないようだが、やはり1番弱いのは子供だな。
げにおそろしきは・・・  2001/12/16 (日)

 「ぜご〜、ずぞ〜・・・」
 苦しげな、荒い息で身もだえするゆめ・・・。
 生後半年のゆめは初めての風邪体験を満喫していた。しかし、看ているこっちは気が気じゃない。ますますひどくなる咳・・・。
 「ゴホッ、グゴッ!グッ!!」
おいっ!まさか!詰まってるよ!なにか!のどに!!見る見る唇が青ざめるゆめ!!!
 「はるっ!」
 思わず叫んだ僕に、はるは
 「吸い出して!早く!」
 
 吸い出しってったって、いったいどうやって・・・・・・・・・・・
0.002秒でどうやって吸い出すか考えた。思い出すのは昔ボーイスカウトでやった人工呼吸・・・・。
ちが〜う!吸い出すんだよ!バカ!俺!なんとかしろ!
 頭の中は真っ白だったが、意を決してゆめの鼻をつまみ、口にむしゃぶりついてい思いっきり吸った・・・!
 ゴボヲっ・・・「うっ!!」
 何かが僕ののどの奥の方へ思いっきり入ってきた!粘液質のぶったいだ!
 あまりの気持ち悪さに急いで流しまで走り、吐き出した!
 出てきたのはたまごくらいの大きさで、青緑とクリーム色が混じり合った、何とも言えない不気味なゲル状物体・・・。
 幸いゆめは涙を流してあえぎながらも、ナンとか無事のようだ。チュウ禁止のはず(虫歯菌がうつるからだ)だったが、そんなことは言ってはいられない。それにしても、我が子とはいえ、他人の、何だか
得体の知れない物体を、口で吸ったのは、生まれて初めてだった。昔聞いたスネークマンショウの、「胆壺小僧」を何となく思いだした・・。
 その後はゆめが風邪をひくたび、次第に抵抗なく鼻水を吸えるようになっていくが、鼻水を吸いだしてやるたび、ゆめよりヒドイ風邪に見回れることになるパパであった・・・。
 しかし、今でもこの時のことを思い出すと、必ず疑問に思うことが1つ・・・・・。
 「何故はるは、自ら火中の栗を拾わず、僕に飛び込ませたのだろう・・・・・」
・・・・・・・・おそらく永遠のなぞだ。聞いても答えてはくれまい。
でも何となく判る気がしないでもない・・・・・。
 おんなっておそろしい・・・。
手形   2001/12/17 (月)

 ゆめが生まれたその時期は、ちょうど僕の教員採用試験の真っ最中だった。
 1次試験は何とか4回目にして合格し、いざ2次試験という日の朝、はるから1枚のファックスが届く。それには小さな小さな手形が・・・。
 ”ゆめも応援しているよ。がんばって!”の文字も一緒に・・。 
 思わず涙がきらり。
 2次で落ちることはよほどのことがない限りないだろうとは聞いていたが、それでも緊張の局地にある僕にとって、その手形は何物にも変えがたい、大切な守り神様だった。

 試験が始まった。集団面接試験だ。あまりの緊張に手形のことなどすっかり忘れていたが、冷静に面接を終えることができた。
 いざ最後の個人面接へ・・・。
 さすがに緊張が限界に達してきた。廊下で待つ間、ゆめの手形を思い出し、そっと取り出して眺めた。ゆめの小さな姿を思い出し、思わず涙が出た。「ここで失敗するわけには行かない。なんとしても定職に就かなければ!」
 手形を見ているうち、気持ちが落ち着いてきた。面接もこれまでになく順調に終わり、かえってだめだったのではないかと疑ったほどだ。
 結果は・・・無事合格。その知らせを聞いたときは全く信じられず、3人で夜中の県庁へ、掲示板を見に行った。やはり合格している。ゆめの手形と、手形を送るなんて小粋なことを考えたはるのおかげだろう。
初めてのぎゅう〜   2001/12/18 (火
)
 娘を持つ父親なら誰でも一度は経験していることだと思う・・。
 
 その日、俺は早めに仕事を切り上げ、なれた山道を愛車SR400(コールネーム魚まる)でコーナーを攻めつつ帰ってきた。バイクを止め、軽やかに階段を駆け上がり、玄関を開けるとそこではゆめが、姿見に移る自分の姿にうっとりしていた。
 僕を見つけると0.0004秒で天使のほほえみを満面にたたえて僕を迎えてくれた。

 その日もあたしはいつもの通り、姿見に映る自分のかわいらしさにうっとりしてたわ。じぶんでゆうのもなんだけど、あたしのかわいらしさにかなうようじ(ひと)はちょっといないわね。
 いい〜きぶんでいたらぱぱがかえってきた。あら、きょうはいつもよりはやいわね。0.0004秒でまんめんのえがおをつくってぱぱをのうさつしてあげたわ。

 夕飯まではまだ間がある。俺ははるにせがまれ、ゆめと一緒に風呂にはいることにした。一日の疲れもゆめと共に風呂に入り、「ゆめ」という単語がでてくる歌など歌っていればすぐに消し飛んでし
まう。ゆめは俺の歌にいつも反応している。
 俺の美声に。ふふ・・。

 ままがおふろにはいれっていうから、ほんとはまだはいりたくなかったんだけど、しかたがないからぱぱといっしょにはいってあげることにしたの。ぱぱはこのごろ「ゆめ」っていうことばがでてくるうたをしきりにきかせたがるけど、はっきりいってめいわくなのよね。だってそのことばがでてくるたび、よばれてるみたいでおもわずふりむいちゃうんだもの。
 う〜ん、じぶんのしょうじきさがこわい。

 そのとき俺は何気なく立ち上がり、シャワーノズルをとろうとしていた。一緒に入っているのはゆめだ。誰に遠慮があるものか。思い切り体を伸ばしたとき、
 「?>!*$#!!!!!」
 俺の下腹部を、言葉にならない激しい激痛がおそった!
 なんだ一体!?
 見るとゆめが珍しそうな顔をして、俺のピーをわしづかみにしていた!

 あいかわらずのぱぱのうたがいちだんらくしたとき、ふいにめのまえになにかみおぼえのあるようなないような・・・へんなのがぶらさがっていたの。なんだかぶらぶらしていて・・・あたらしいおもちゃかとおもっておもいっきりひっぱりよせたのね。そしたらぱぱがきゅうにへんなこえだしちゃって、ほんと、びっくりしちゃった!

 ゆめは思わず叫び声をあげた俺にびっくりしてさらにつかむ手に力が入った。しかも爪が・・・。俺は思わずゆめの手を思いっきり振りはらっちまった。

 いきなりぱぱがあたしのてをたたいたの〜あたしなんにもわるいことしてないのに〜でもびっくりしちゃって、なくのをわすれちゃったわ!
 
 俺はそのとき思った。はるはいいなあ・・引っ張られるものがなんにもなくて・・・。

 もうじょうだんじゃないわよ!もうおふろ、でる!だしてちょうだい!

 俺がその後、不用意にゆめの前にさらさないように気をつけたことは、言うまでもない・・・。
その名は   2001/12/18 (火)

 本日はようこそお越しくださいました。雪がやむまで今少しおしゃべりにおつきあいください。
 ご主人は最初若い旦那様だったのですけど、いつの間にかどこかに住まわれて、今は大旦那様に使えております。でも、若旦那様の方が気が利いていらっしゃるので好みでございます。え?何がっ
て?なでる場所とか、おいしい食べ物とかでございます。
 私が来たときはもっと小さなえばりんぼの犬がいたのですけれど、間もなく亡くなわれて、晴れて私の天下になったのですが、今度はえばりんぼ犬よりはもう少し大きめの若様がいらっしゃいました。 
 どうもこの方、乱暴・狼藉がお得意のようで、若旦那様がなでなでしてとおっしゃっているにも関わらず、必ずぎゅう〜とします。 
 あと、なにやら粘液質の物体をお口からまき散らしていらっしゃる。それに関しては私も少々自信があるのですが、若様は私以上に出がよろしいようです。時々なめて差し上げます。
 この若様はどうも危なっかしくて、私が言うのも何ですが、おそばについていないと何をしでかすやらわかったものではありません。私としてはあまり近くにいると何をされるかわからないので、少し離れていたい気もするのですが、見守りたいという気持ちがどうにも抑えられませんです。
 若様がお食事なさるときは、イスの下にいるのがとても楽しみでございます。何故なら、若様は私めのために、わざわざお食事を分けて、イスの下に落としてくださるのです。時々はそんなには食べられませんというくらいわんさか降らせてくださいます。
 先日来、若様はお車の運転を習われているようで、大旦那様に車まで連れて行っていただいた上に、私を助手席に乗せてくださいます。大旦那様はおかわいそうに締め出しです。大旦那様にドアを閉
めさせた上で、のりのりで運転をなさいます。でもどこかおかしいような・・・。車は少しも動いていないのです。でも、若様はそのことにお気付きにはなっていらっしゃらないご様子です。私もあえてそのことにはふれないようにしているのでございます。
 若様のお散歩の折りには私もお供させていただいております。この時は私も思わず野生の血が騒いで、バギーで颯爽とお出かけの若様ご一行の前を後ろを走り回ってしまいます。大概はお隣のろーそ
んへ行かれるのですが、私は中へ入れていただけませんので、外で待たせていただいております。
 若様はたいそうろーそんがお気に入りのご様子です。日に何度も行かれます。
 ご就寝の折りには、若旦那様は一緒に寝かせてくださいますが、若女将が私と同衾するのを快く思われていらっしゃらないご様子。私などに焼き餅を焼くとは、にんげんとしてはいかがなものでござ
いましょうか・・・。
 少しおしゃべりがすぎたようでございます。いずれまたお目にかかる機会もございましょう。それまでお元気で。
 申し遅れました。お初にお目にかかります。私タローと申します。雑種の大型雄犬でございます。顔はちょっと怖いようなおとぼけのような・・・麻呂みたいな眉毛があります。ハスキーと柴犬の雑種でございます。小野田家にもらわれて早7年。このごろはだいえっとに励んでいるのでございます。
 ちなみに金玉は付いておりませんです

懺悔    2001/12/19 (水)

 今日はある方のHPに行ってきた。お子さんが障害を持っていらしたのだが、わずか1年あまりでなくなられ、そのときの様子を克明に記しているページがあった。
 親が子を失って悲しくないはずがない。僕は共感し、泣きながら読ませてもらった。しかし、その涙の中には、単純に内容に対する反応だけではなく、僕自身の懺悔の気持ちも含まれていた。
 懺悔・・・・ゆめに対してだ。
 
 ゆめが病気だとわかってから、僕も同様の境遇にある親御さん並に動揺し、拗ね、将来を悲観した。しかし、そうすることすべてがゆめの人生にたいする冒涜だと思い、また、はるともそう話し合
い、ゆめにとってよりよい未来を作ろうと誓った。しかし、現実はそんな気持ちをうち砕くような試練を、数多く用意している。様々な試練、些細なことでも大きく悲観し、いたたまれなくなることも多い。一度など、福祉体験の一環で幼稚園へ行って遊ぶ企画が学校であったのだが、その事前ガイダンスの時点で既にいたたまれなくなり、担任でありながらすべての担当からはずしてもらった。障害を持つことのつらさ、それ以上にそれを見届けなければならないつらさ・・・親として最低なことを考えてしまうこともあった。
 3Fのアパートに帰る間、ここからゆめを落としたら、あるいは車の運転をしながら、このまま崖下にでも転落したら、さぞ楽になるだろうと、一体何度考えたかしれない。しかも、この高さなら、このスピードなら、きっと苦しまずに死んでもらえるとまで考えたことが、あまりに情けない。
 ゆめとふつうに過ごし、成長を喜び、できるようになることが増えていくことを喜んでいた自分。同時にゆめのためじゃない、自分のために、ゆめの存在がなくなることを考えていた自分。
 まるで人間の皮をかぶった悪魔じゃないか。
 今は、そんなことは考えもしなくなったし、それがいかにばかげた考えであったかを冷静に判断できるが、そのHPを読んで、改めて自分の情けなさを思い知った。
 たとえ障害を持っていようと我が子を育てていくことは、我が子がいなくなることよりもつらいことか?
 わが子の死を願う、それで親といえるか?

 先日修学旅行の引率で、長崎原爆資料館に行って来た。写真を見ながら、この写真にあるような状況にゆめがおかれたら、どんなにかつらいだろうと思った。見ながら考えていたのは、ずっとゆめの
ことだった。ほんの数ヶ月前まではゆめの死を願っていたくせにだ。
 もちろん今はゆめの成長をひたすら願う日々なので、以前のような馬鹿な考えは持っていないが、持っていたことも事実。
 僕の懺悔は、ゆめに対してこんな情けない親であったということだ。
 本当の自分というものが、原爆資料館でゆめを思い、素直に涙した方であると信じたい。

 明日は2年生の職員全員が、生徒にメッセージを送る時間がある。ゆめのことは、まるでゆめや障害をだしにして教育しようとしているみたいでいやだったので、今まで生徒に(一部を除き)話したことはない。しかし、他にいろいろ話すネタはあるのだが、あえて明日はこの懺悔の気持ちを元に、もっと一生懸命生きて欲しいと生徒に言うつもりだ。
 結局だしに使うことになるのだろうが、障害者と健常者(この言葉、嫌いだ)を分けようとすることがそもそも間違いなのだ。隠すから、隠し続けなければならなくなる。日頃から接していれば、どうということもなくなるはずだ。