2003 2月後半                 


拝金主義 2003/2/24/(月)
 テレビに犬が映るたび、その犬が大きかろうが小さかろうが必ずタローと呼びかけるゆめ。タローは雑種で、シベリアンハスキーと何かの合いの子みたいな感じ。大きいよ。ゆめが乗っても大丈夫なくらい。憧れのアルプス犬のうようだ。「はいよ〜〜シルバー」って叫んで乗る。(それは馬だろう)
 
 さて、今日の新聞にこんな記事があった。あらかじめ書くが、私もこの記事自体も、ペットショップを非難するモノではない。
 かいつまんで言えば、日本にはペットショップでいつでも犬やネコが買える。小さいうちに買っていく人が多いが、買われないまま大きくなってしまった場合は、ショップの人が飼う場合もあるが、ほとんどの場合は実験動物として買われていくか、繁殖用になる。
 実験動物の場合は、死ぬより苦しい実験に死ぬまで使われる。繁殖用では、なでられることも抱かれることもなく、散歩にも行けないまま、ひたすら繁殖のみ強要される。
 イギリスなどでは店では買えない。専門のブリーダーなどを訪れ、しかもしっかり審査されて里親となる。もちろんきちんとした飼い方も指導される。日本のペットショップは商業主義に走りすぎている。
 と言う内容だ。

 確かにイギリスの例の方が、飼い主にとっても飼われる方にとっても幸せだ。無駄に命の火が消されることも少ないだろう。
 一方日本では、某CMで使われた犬は、現在価格40万円以上。もはや命の値段ではなく、モノとしての価値しかない。商業主義の犠牲者が、ここにもいる。おまけに法律上もペットはモノだ。所有物だ。国民の命や財産を守る法律も、動物の命の重さを量ることはしない。

 いろんな意味で日本って、何から何までお金で換算なんだなって思う。金銭的な価値があるかどうかで、人の感情が動いている。人気が出た犬はいきなり値段が上がる。本来日本の風土には飼育に適さない動物まで、売れるとなれば連れてくる。おまけにどこででも飼う。飼えなければ捨てる輩もいる。
 心の有りようが間違っている気がする。

 話は飛ぶが、隣に話し方の記事も載っていた。妙になれなれしい話し方の店員や、クラスの生徒にため口で話そうと言ったバカ教師の話だ。
 店が対象にしている客の年齢によってはため口もあるかもしれない。でも、いい大人になって服を買いに行って、どう見ても年下の店員に「それいいよね〜〜」なんて言われたら、買う気も失せる。親しみを込めて「ため口」を使わせたかったんだろう教師も、気持ちはわからんでもないが、そう言う観点から親しみを持とうというのは自分の教育に信念がない証だろう。
 TPOをわきまえない話し方は、すべからく大人の責任だ。店の教育、親の教育、まして教師がため口で話そうとするなんて、とんでもない馬鹿話だ。正しい日本語を教える立場のくせに。

 商業主義、拝金主義と言い換えてもいい。儲かるためなら何でもやる。そう言う大人の情けない精神の挙げ句の果てが援交にも結びついているし、子供の情操教育にも悪影響を与えている。
 商業主義、こちらは拝金主義だ、完璧に。そう言うことでしか生活が成り立たない国にしてしまった政治家ども。イヤ、自分たち自身が既にその状態にある。今また介護の必要性をお金で計ろうとしている。
 何でもかんでも金・金・金か!?

 もしかしてこれを読んでるかもしれない俺の生徒達よ、人生は金じゃないぞ!
 前にも言ったが、40すぎてそれまで生きた人生が顔に出たとき、金の亡者になっているなよ!
 死ぬ間際に振り返った人生で、「我が人生に悔いなし」と言える、心ある人生を送れ!

 世の中金じゃないんだ!!心だ!!!愛なんだ!!!

HP 2003/2/23/(日)
 大勢の方々から、励ましのメールや応援メッセージ・カキコをいただいた。それもこれも、僕が何だか後ろ向きな日記を書いたり、人の掲示板に色々と愚痴なんかを書いたりしたからだ。

 時々考えるんだけど、このHP、たいした情報を流しているわけでもなく、人が見て参考になることがあるわけでもない。まあ、こんな生活しているという参考にはなるだろうけど。
 それでもHPを立ち上げ、それを公開し、あまつさえ個人的な思いを書き連ねた日記まで載せているのは、それはゆめの成長の記録をするため、元気な姿を長くとどめるためと同時に、私たち夫婦自身の成長ためだ。

 例えば日記。
 私個人の考え方で完結してしまい、それで良いと思いこめば、それ以上の精神的成長は、もはや無い。考え方が良いか悪いか、客観的な判断が下せない。でも、こうして公開していると、折々に様々な考えを教えてもらえるし、間違っていれば指摘してもらえる。
 学校の先生は、お山の大将で他人の意見を聞かない・えばりんぼとよく言われる。今は生徒なんか言うこと聞きやしないから、”お山の大将”になどなりようなないが、それでも他人に評価される機会や厳しい上司もいない、個々人が自分の判断で責任を果たさねばならない職業なだけに、おごり高ぶり安いと思う。私だって自分では解らないけど、人が見たらどうだかわからん。日記を公開することは、他人を意識し、あわよくばおしかりや教示をいただける、すばらしい機会だ。
 今回も様々な教示をいただき、恐縮至極です。大変にありがたい。

 今我々夫婦は、初めての大きな壁にぶち当たっている。健常児と障害児を隔てる行政の壁・・・と言うより人間の気持ちの壁、障害児に対する偏見の壁か。その結構な厚みに、ちょっと鬱に入ってる僕・・。まあ、それも行政やら色々なナイスな関係各所の御理解で、何とかなりそうな感じですが。

 きっと、いずれ自分で読み返し、自分がこんな時期もあった・ゆめがこんな時もあったと、懐かしく思い返す日が来るんだろうなあ・・・・。あのころはこんなことも出来てたんだ、このころはこうだったんだってさあ・・・・

 ああ、また後ろ向きな・・・。あはは〜〜。

2003/2/22/(金)
 その夜、俺は夢の中でとんでもないことをしでかした・・・。

 戦闘機を乗っ取り、浜名湖を周回し、手当たり次第に子供を撃ち殺し、燃料補給で立ち寄った水上給油所(いつの間にか飛行艇になっている)で戦闘機を押さえられ、今度は高速艇で逃げ回る。場面は一転、湖中が見渡せる高台で一人考える。
 「これだけのことをしでかしたんだから、最後は潔く自決・・・。だが、何故俺はこんなことをやってしまったんだろう・・・・どこで歯車が狂ったんだろう・・・・もう、ゆめやはるの元には返れないな・・・」
 ついに最後の時、桟橋で追いつめられた僕の周囲に、警官から打ち出される拳銃の弾が水柱をあげる。拳銃など走っている相手に早々当たるものではないが、心臓ははち切れんばかりだ。
 そしてついに・・・僕の右肩を銃弾が貫いた。
 勢いよく回る体。
 桟橋の上に倒れた俺の右肩は、早くも血でぐっしょり濡れている・・・。
 走馬燈のようによみがえるゆめの笑顔・ゆめの泣き顔・ゆめとの楽しかった日々・・・。
 俺の人生は、いったい何だったのだ・・・・


 目覚ましの音で目が覚めた。
 「夢か〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・良かった・・・・・・」
 と思ったのもつかの間、右肩が冷たいことに気づいた。
「え?だって夢だったろ?」
たった今見た夢が頭の中をぐるぐる回る。おそろおそる肩に手を当てる、パジャマを引っ張って見てみる・・・。
 
 透明・・・・

 水・・・?

 ゆめは左側にいるよな、ゆめのよだれじゃないし・・・・・・

 まさか、   


                          鼻水???

 右側を下にして寝ていた僕の、右の鼻から流れ出た鼻水・・・、ぬぐい取られることもなく、いつからかパジャマを濡らし続けた鼻水・・・・。今日も花粉の飛散が多いのね・・・。

 これのせいか、今の変な夢わ!!!
 もう、ゆめのよだれのこと言えないなあ。自分が鼻水で肩をぬらすようでわ!


遺品 2003/2/19/(水)
 痛ましい事故が起こるたび、その犠牲者の遺留品が発見される。遺体がないときは遺留品・・・ついさっきまで生きていた家族・恋人・友人が身につけていたものに、残された者の思いを託すしかない。
 話を混同して申し訳ないが、私より早く逝ってしまうことが解っているだけに、ゆめの服・おもちゃ・くつなどを見るたびに、それを懐かしく思う日がくるんだろうと考えてしまう。懐かしく、悲しくなる・・・そんな日がくるんだろうなあ。
 
 今の時期、3年部学年主任としては、次年度の1年生の学校行事の予定やら打ち合わせやらで大わらわ(加えて担任の仕事もあるしな!!指導要録とか、通信簿とかさ!!卒業間近だし〜〜!!)なのだが、行事の一つに”保育体験”がある。

 思い出すのは3年前。佐久間高校に赴任してきて2年目、ゆめが病気だと解ったすぐ後だ。そのころちょうど1年生の担任で、保育体験の事前指導などがあった。
 学年集会で幼稚園での行動計画などを担当の先生が説明しているのだが、傍らで
 「ゆめは普通に幼稚園に通うことなど無いんだ」
 「同じ年の子のように、跳んだりはねたりすることはないんだ」
 「もしまだそのころになって佐久間高校にいたとしても、自分の子供が幼稚園で    遊ぶ姿を見ることなど無いんだ」
そう思うといても立ってもいられなくなり、副担任の先生に後のことを頼み、職員室に戻ってしまった。戻りきれないまま悲しさのあまり廊下でうずくまって泣いてしまった。幸い、用務員の方にしか見られていない・・・と思うが、事情を知っている教頭先生などは、用務員さんの話を聞いてもあえて僕には話しかけてこなかった。保育体験の担当からもはずしてもらった。公私混同も甚だしいが、とてもじゃないが平常心で業務をこなせない。幸い当日に美術の出張が入ったので、喜んでそちらに出掛けた。

 今のところ、幸いにも交流保育という形で幼稚園にお世話になっている。おかげで見ることはないだろうと思っていた園児服やお道具バックなどの、ステキに可愛らしく小さいものを日々見ることが出来る。そんな当たり前の幸せ、健常児の親ならとるに足らないものにまで幸せを感じてしまう。

 でもね、いつかそれらも元気なころのゆめを思い出す、かえって悲しいもの達になってしまうのかなとも思う。
 勤務から帰ってきて玄関を開けると、廊下に置き去られた園バックなどがあったりすのだが、寂しげにぽつねんとおかれたバックを見ると、何だかいずれそれを懐かしく見つめるだろう自分を想像してしまう。あまりの不条理・・そんな思いにとらわれなければならない自分が悲しくて、悔しくて、泣きたくなることもある。

 それでも、突然愛するものを失うことに比べれば、
 「ゆめもいずれ・・・・」
と覚悟できるだけましなのだろうな。

大きいやら小さいやら 2003/2/18/(火)
 どてっと寝ているゆめ。
 でっかくなったなあと思う。

            ちょこんと座ってご飯を食べる後ろ姿。
            小さな背中だなあと思う。

 つかまり立ちさせてみる。僕の足にしがみついて、何とか立ってるゆめ。意外にも 僕の腰まで背が届いている。
 でっかくなったなあと思う。

            お風呂で体を洗ってやる。背中をこする。
            やっぱちいさいなあと思う。

 頭を洗ってやる。両手でごしがし洗う。片手ですっぽり入る大きさだったのに・・・
 でっかくなったなあと思う。
               
            一緒に布団に入り、寝かしつける。間近で見るゆめ。
            目も鼻も口も、小さいなあ。

定番 2003/2/18/(火)
 お弁当生活24年。今や弁当の定番とまで言われる、この私・・・。幼稚園児からOLまで、私の魅力についつい箸を伸ばさない弁当マニアはおるまい・・・。
 そう・・・、私は”卵焼き”・・。
 しかし、
 しかし、
 この私をすら歯牙にもかけない魅力が、あいつにあるというのか?そんなにあいつは魅力的か?
 あいつは、
 あいつの名は、

 ”きゅうり”
・・・・。

 今日ゆめは、お弁当のおかず数ある中で、他の物には目もくれず、真っ直ぐキュウリのハム巻きに取り組んだ。実際にはハムに興味はなく、中のキュウリを食べようとしていた。
 剥けども剥けども出てくるハム・・。業を煮やしかけたゆめを手伝い、ハムを剥いてくれたヘルパーさんに助けられて、念願叶って食べるキュウリ。
 至極の時・・・。
 恍惚のゆめ・・・。
 でも、ん?ほんのりハムの味が・・・。結構いけるんじゃない?ハムも。
 そのころヘルパーさんは、ゆめが食べやすいようにとハムを細かくちぎっていた。
 そ〜〜と一切れ食べてみる・・・。
 なんか美味しい気がする。
 もう一切れ食べてみる・・・。
 やっぱり美味しい!
 がつがつ食べた後、お弁当の中を見回してみる・・・。
 ドキドキ・・・・ドキドキ・・・・今度は僕かな?ドキドキ・・。
 あ、もうちょっと右。ァもうちょっとした・・・・。もうちょっと、こっち。
 あ?
 またキュウリですか〜〜〜?え?ハムの方なの?
 ・・・
 さっきのハム味キュウリで味を占めたゆめは、ハムをほおばるつもりです。ああ、ちぎってないハムを、そんなにお口に入れちゃって・・・・、大丈夫ですか〜〜〜?
 あ、ああ、あ〜〜〜〜
 吐きだしてます〜〜〜〜。
 やっぱりね。

解る 2003/2/17/(月)
 この頃ゆめは話が解る。

 ママに連れられ通う幼稚園。
 これまでは、ゆめが泣くからと、見ていないすきに逃げるように帰ってきていたママ。しかし今日は違った。
 「ゆめちゃん、ママ、お洗濯物干してきたいんだけどさあ、一度帰っても良い?」
とママが聞くと、
 「はーい」
と元気良いお返事。吃驚したままが再度、
 「ホントに良いの?」
 「はーい!」
と言うわけで、めでたく帰れたママであった。言えば解るじゃん、ゆめ〜〜。以前なら大泣きするか完全無視のどちらかだったモンなァ。

 お片づけの際使用するモップのようなほうき。みんなそれに憧れている。昼間みんなが取り合う様子を見ていたゆめ、お帰りの時のお片づけでは、ママに
 「えり先生にこのごみ、持っていって」
と言うままの言付けを合図にダッシュで駆け寄り(這い寄り)、先生のモップほうきをぎゅっとつかんだ。端で見ていたお友達と取り合いになっても、耐えて耐えて離さなかったが、
 「一緒にやろう」
と言われて一緒に掃いていた。いろんな意味で我慢を覚えたね〜〜。以前なら言われてすぐ離してしまったか、逆に何が何でも自分でやったかだもんな。

 なんて言うか、揉まれたよ、ゆめは。いろんな刺激受けてさ。
 これで良いんだ。これが成長するってことさね。

性格 2003/2/16/(日)
 熱しやすく冷めやすい女、ゆめ。
 しまじろうのプチシアター→ミッキー→トトロ→くまのプー→ディズニーシリーズ(アラジン・白雪姫・リトルマーメイドなど)→ジブリシリーズ(千と千尋・もののけ姫など)→くまプー→モンスターズインク→お母さんと一緒と変遷し、今は再び「千と千尋の神隠し」だ。
 一つのビデオにはまっている時は、その他のビデオには見向きもしない。同じビデオを繰り返し繰り返し何度も見る。朝起きてすぐに見始め、一日見てることもあるという。
 実はパパも熱しやすく冷めやすい。でも、同じビデオを何度でも見るぞ。ホントに映画が好きなんだな。「スターチャンネル」で見られる映画なんか、ほとんど見たことあるけど、見たことあってもかまやせん、何回でも見るモンね。その点、ゆめはパパの子だねえ。
 ママも熱しやすく冷めやすい。ははは、だから、結果を求める。早急に。

 道理で結婚早かったよ〜〜〜。「証拠を見せろ」だったモンな〜〜〜〜
 てへへーー

 ところで、どうでも良いことだが、”千と千尋の神隠し”のお母さんは、とっても冷たくて、嫌だ。あんなお母さん、嫌だ。沢口靖子の声が冷たい母をさらに際だたせている様な気がする。そう思ってみると、顔つきまで冷たそうに見えるから不思議だ。